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第312話 蓮
「田上さん!放してください」
何が起こっているの理解できない。自分のあまりにも速い心音の理由も、田上さんのこの抱擁の意味も。
「そうか……いや、そうだよな。悪かった」
すっと離れた田上さんは少し寂しそうに微笑んだ。
「そろそろ帰さなきゃいけないな。さて、行くか蓮」
「はい」と小さく返事をした。
心臓が壊れるくらいの速度で走り出してしまった。
何よりもさっきの田上さんの言葉が、決してふざけているようには聞こえなかった。ただ何か分からない感情が身体中に広がって、制御不可能な怖さに身体が委縮した。
「田上さん……あの、気分を害されていませんか?」
「俺が気分を害する?それは蓮の方だろう、悪かったな驚かせてしまって。出来れば忘れてくれないか」
「毎日、思い出そうと必死になってるのに忘れてくれなんて言われたの初めてです」
田上さんの言葉が、可笑しくなって笑ってしまった。
「何もなかったですよ。その方が田上さんが良いのでしたらもちろんそうします」
「けれど俺は忘れないよ、さっきの腕の中のお前の体温」
そう言われて恥ずかしくなる。自分の顔が赤くなるのが分かった。そんな俺を見た田上さんはふっと微笑んだ。
「蓮、何もしないから少しだけ抱きしめさせてくれないか」
そう言うと俺の手を取り立ち上がらせた、優しく抱きしめられて苦しくもないのに呼吸が止まりそうになった。
耳元で小さな声がした。
決して聞き間違いでは無い、聞き取れないほどの微かな声で、確かに田上さんが囁いた。
「蓮、お前を愛しているよ」
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