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第313話 匠

 もしかしてと思ったが、安易にことは進まないようだ。結局、振り出しに戻るのか。  何も思い出せないのなら仕方ない。上原をむやみに怖がらせても仕方ない。さっき赤くなった顔は可愛かった。嫌がってはいない、確信がある。最初に出会った頃を思い出す。  まだ両足では立てないから上原は俺に体重を預ける形になった。信頼して身体を預けてくれていた、決して嫌がってはいなかった。  「まず一歩な」  そう言うと、上原が不思議そうな顔をして俺を見つめていた。上原を自宅まで送り届けると、ドアのところに厄介なヤツが立っていた。  「蓮っ、何もされなかった?大丈夫?」  大丈夫?だって?俺がまさか襲うとでも?  「ザック、ただいま。退屈してたからドライブ連れて行ってもらっただけだよ。何大騒ぎしてるの?」  「だって、昨日は何も言ってなかったじゃ無いか」  「ああ、暇だってメールしたら、田上さんが、たまたまお休みだっただけだよ」  「へえ、たまたまねえ」  ザックは相変わらずライバル心むき出しで応戦してくる。  「たまたまだよ、蓮がそう言うんだからそうだろう。お前は蓮の事信じないの?」  「あ、蓮は俺が連れて行くからもう大丈夫です。せっかくのお休みですから帰ってごゆっくり、さようなら」  「いや、コーヒーくらいはご馳走になろうかな」  ザックとの意地の張り合いのようになってしまった。別に負けているとは思ってはいないが、普段の距離は今ザックの方が近い。それが腹立たしかったのだ、俺もガキだなと少しおかしくなった。

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