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第315話 匠
一進一退というより全く進まないのに時間だけが過ぎていく。長くこういう状態が続いていると、上原がいない日々が当たり前になるようで怖い。
つい先日の上原を思い出しながら、この先のことを考えていた。今日は土曜日だが、上原の自宅まで遊びに行くか?しかし、そろそろ理由がなくなってきた。その時知らない番号から着信があった。
「はい?」
『タクミ?会える?今マンションの下』
ザックからの電話は想定外だった、何の用事だろう。
「ふーん、蓮とここで暮らしていたんだ」
ザックは辺りを見渡し、あれこれと手に取る。少しは落ち着いて座っていればいいのに。
「コーヒーで良いか」
「いらない、話しだけしたら帰る」
「何の話だ?」ザックの真剣な表情に椅子に腰を下ろした。
「蓮は家にいても苦しいだけでしょう。ここに連れ戻そうとは何故思わないのか俺にはわからない」
「蓮のご家族の事もあるし」
「家族より先に個人でしょう。日本人のそこわからないんだよな。"エンリヨ"って日本語嫌い。それって上手に逃げるのに使いやすい言葉だよね」
その言葉にどきりとする。もしも上原に拒否されたら全てを失うだから慎重にとどこかで思っていた。衝撃だった「逃げる」そう逃げていたんだ。本当にこいつ十歳も年下なのか。
「今日、病院からタクシーでここまで来てみた。リハビリの行き帰り、ここの方が楽だよ。朝は匠が送って行けば良い」
確かに上原のリハビリが始まって自分で病院と自宅を行き来している。しかし自宅の部屋は二階だし、自宅は入り口にも数段の階段がある。
「俺が蓮の母さんに話そうか?」
「いや、ありがとうザック。俺がきちんと話しをする」
上原を想う気持ちが伝わってきた。背中を押されて動けないほど、俺も情けなくはなりたくないと思った。
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