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夢見の悪い日に1 《涼香》
夢を見た。
ずっと小さかった頃のことだ。
遥か昔のように思えるし、実際そうなんだとも思う。
あの頃のままのお母さんは、とてもきれいだった。
黒髪はその小さな背中をすっかり覆ってしまうほど長い。
透き通るような白い肌も好んで着た真っ白な服も、あまりにも無垢な少女のようで母であるのが不思議だった。
あの頃は幸せだった。
寂しくなんてなかった。
朝の澄んだ日差しの中。
気怠くて、布団に潜ったまま二人で本を読んだ。
寝る前の絵本も好きだったけれど、彼女が朝に読んだ少し難しい本も好きだった。
見たこともない漢字も難解な文章も、お母さんの声で聴くと不思議と意味もわかる気がした。
幸せな時間。
白いピアノを弾く姿も好きだった。
優しい音色も流れるように動く指も、その生き生きとした表情も。
全て大好きだった。
お母さんが演奏すれば、時々、お父さんもそれを聴きに来た。
僅かな家族の時間を生み出すそれを魔法の道具の様に思っていた。
『すず』
声色はいつも穏やかで、柔らかな笑みがよく似合う。
『お母さんが、いるよ』
そう言ってくれたのに、どうして行ってしまったのだろう。
抱きしめてくれた温もりも、頬にくすぐった髪の感触まで、未だに憶えているのに――。
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