175 / 204

噂《涼香》

次の日。 龍太郎はバイトがあるらしく先に学校を後にした。 薫と吉良が部活に行くのを見送り、一人で帰路についた。 昨日一昨日の賑やかさからは少し離れ、静かな一日だった。 これが日常で、あのきらきらしている空間が非日常なんだ。 そうわかっていつつも、どこか寂しさを覚えずにはいられなかった。 早い時間帯の電車には、同じく帰宅していく生徒が数人乗っている。 「ねぇ、聞いてよ」 「なになに?」 ふと声のした方を見ると、昨日の朝も見かけた女子生徒二人だった。 「友達が龍太郎くんとヤってたらしい」 車内に小さく悲鳴が上がり、聞きたくなくても耳に入って来る。 「ていうか色んな子としてたみたい」 「えー、やっぱ軽いんだ」 「ね、まじ最低」 今の彼からは想像できないくらいの噂話だった。 馬鹿みたいに俺のことを追いかけて、小さなことで喜んでいるあいつが。 あいつがそんなこと……。 そう思いながらも、龍太郎のことを何も知らないのも事実だった。 ざわつく胸を鎮めようとするも、余計にぐるぐると思考が巡る。 小学生の頃だ。 いつもより早い時間に授業が終わり帰宅した日。 いつもならリビングにいる母が見当たらずに、彼女と父の寝室に向かった。 そこで、女性の高い声が聞こえ、恐る恐る俺はドアを開けてしまった。 薄く開いた扉の隙間を覗くと、はじめに森口の姿が見えた。 彼がなぜこんなプライベートな場所にいるのかという疑問と同時に、彼の下敷きになった母のような女性の姿が目に入った。 遠巻きにしか見えなかったが、怖くなった俺はすぐにその場を後にした。 当時はただ漠然とした怖さがあっただけだった。 見てはいけないものを見たんだと、誰にも言えなかった。 今思えばそれが母の浮気現場なのだとはっきりわかる。 父と離婚した後、森口と再婚したという話も聞いた。 きっと、父といるよりもずっと母は幸せな場所に行けたのだろうと思う。 男女関係の煩雑さも人を裏切ることの虚しさもよく知っている。 「だからやっぱ龍太郎くんは無しだよ、やめときな」 聞こえてくる声は、やけに頭にこびりついて離れなかった。

ともだちにシェアしよう!