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お泊り5《涼香》

「俺が床で平気だから、ベッド使って」 そんな龍太郎の言葉を断りきれずに、彼のベッドに入り横になった。 すぐ横に布団を敷き、そこに龍太郎が入った。 「おやすみ、涼香ちゃん」 「……おやすみ」 電気が消されて暗闇に包まれると、雨音が耳についた。 夜になりまた降り出した雨はすぐには止みそうになかった。 雨は好きじゃない。 母が出ていった日を思い出すから。 『お父さんはね、雨が降ると涼しくなるから好きなんですって』 『お母さんは、雨が降ったときの独特な香りが好きなの』 ふといつかの母の言葉が頭に浮かんだ。 『すずはね、雨の日に生まれたから、そこから名前をとったのよ』 涼しい雨。 雨のあの香り。 『お父さんとお母さんが大好きな雨から、ね』 無邪気に微笑む母と、天気雨の空を窓から見上げていた。 『あの人は覚えてないかも知れないけれど……ふふ、お父さんと初めて会った日も雨が降っていたのよ――』 だけど、やっぱり雨は嫌いだ。 俺は好きになれないままだ。 「ねぇ、涼香ちゃん起きてる?」 ふと龍太郎が声をかけてきた。 「あぁ……」 そう返事をすると、寝返りをうつ衣擦れの音が耳に入った。 「あのね、もし俺に出来ることがあったら何でも言ってね」 一瞬言葉に詰まり、それからできるだけ平然を装って答えた。 「どうしたんだよ、いきなり」 「ううん、なんとなく、……ちょっと寂しそうだったから」 なんでいつも。 「今日はその……色々あって、不安になるかもだし……」 なんでいつも、見透かしてくるんだろう。 欲しい言葉をくれるんだろう。 カーテンの隙間から漏れ出す、街灯の淡い光をぼんやりと見上げた。 少しでも気持ちを落ち着けようと、深く息を吸う。 「……かすみさん、さみしいって言ってたんだ」 いつもなら押し込めている言葉がつい溢れていた。 きっと今日はいろいろありすぎて疲れてしまってるんだ。 龍太郎が「うん」と相づちを打つのを聞いて、またぼそぼそと言葉を続けた。 「誰もが幸せな結婚をするわけじゃないって。帰ってこない人を待つ寂しさに疲れたって……」 こんなこと彼に言ったってなんの意味もないとわかっているのに。 一人で抱えておくには重すぎた。 「俺なら、わかってくれるでしょって、そう言われて」 「だからって、涼香ちゃんに望むのもおかしいって思うよ」 龍太郎は真剣にそう答えた。 「涼香ちゃんはかすみさんの旦那さんでも、恋人でもないでしょ。本当に欲しい人の代わりには、誰もなれっこないよ」 たしかに彼の言う通りだ。 俺は誰の代わりにもなれない。 「まぁ、俺が言えたことじゃないんだけどさ」 自嘲気味に龍太郎は言った。 「俺も女の子を傷つけちゃったことあるんだ。ほら、昨日会った元カノもその一人で……」 「何か、……理由が、事情があったんだろ?」 「優しいね、涼香ちゃんは」 そんなんじゃない。 ただ、俺の知っている彼を信じたいだけだった。 「でもね、俺がいくら傷ついて、荒れてたからって、人を傷つけて良い理由にはならないよね」 龍太郎は聞いたことがないくらいに冷たい声でそう言った。 何があったかなんて聞けないけれど……。 少しだけほっとしている自分もいた。 何か理由があってのことなのだと、今の龍太郎を信じても良いのだと、そんな気持ちになった。

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