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寄り道7《涼香》

「……昔のことを、思い出してしまったんだ」 龍太郎の温もりを感じていると、余計に頭に浮かんでくる。 彼女の隣にいるときだけが幸せだった。 満たされていた。 「昔のこと?」 「あぁ、ずっとずっと前のこと」 失ったものにいつまでもすがりつくのは、愚かなことだとわかっているのに。 跡が残って痛み続けて、それでもその傷を忘れることも手放すことも出来ない。 「お母さんと、その……行ったんだ。水族館に」 「そう、そうだったんだ?」 口にすると一層笑えてくる。 こんな年になっても、まだ母との思い出に固執しているなんて。 言った側からすぐ、口にするんじゃなかったと後悔した。 「離婚しちゃう前の思い出、とか?」 龍太郎がぼそぼそと言った。 「……うん」 まただ。 前に何気なく一度話したきりだったのに。 こんなことまで覚えているなんて。 「お母さんが、家を出ていく少し前に行ったんだ。最後の思い出に」 感傷的になりすぎなのだとわかっている。 こんなことにいつまでも囚われるべきじゃないって。 それでも、まざまざと思い出さずにいられないほど、あの場所はあの頃のままだった。 「それから一度も行ってなかったから」 「そっか、それで……」 珍しく龍太郎は言葉を詰まらせる。 ちらっと見るとどこか思い詰めるようで、胸がざわついた。 「……それでも、行って良かったって思えたのは、本当だから」 目が合うと、龍太郎はふにゃりと頬を緩ませる。 腰に手を回され、体が密着する。 彼の髪が頬をくすぐり、肩に頭を乗せられた。 「なら、行かなきゃよかったかななんて、思わない」 龍太郎の声が肌を伝って響く。 今日きっと楽しめたのは、彼がずっと側にいてくれたからだ。 こんなにも、温かくて落ち着く。 こんなにも、まっすぐに愛を向けてくれる。 どうやったら好きにならずに、いられるんだろう。 「なぁ……龍太郎」 名前を呼ぶと俺に顔を向ける。 意外とまつげが長いんだな、なんて気付いてしまう。 「なぁに?」 「その、俺……」 柔らかな微笑みを向けられ、頭が真っ白になった。 目が合って、耐えられずに視線を下にそらす。 薄い唇が目に入る。 「ずるいよ涼香ちゃん。そんな顔……」 一瞬よぎった思考を振り払いたいのに。 また空気にのまれてしまいそうだ。 龍太郎の手が頬を撫でる。 ぎゅっと目をつむった。 「龍太郎ー!」 そんな雰囲気を一気に打ち砕くような声が響き、階段を駆け上がってくる足音がした。 「いるならでてきな、さ……」 龍太郎から離れる間もなく、バタンと勢いよく扉を開けられ、その女の子と目が合った。

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