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雪下出麦 3

 その夜、啓介は英策の書斎へ呼ばれた。英策の書斎は広く、壁一面に造られた書棚に本や古文書が整然と並べられている。南側の窓に面した一角に、来客用の革張りのソファと卓が置かれている。 「宮崎邸のフィールドワークはどうでしたか」  英策は瑪瑙のカフスボタンを外して腕をまくりながら、啓介にソファを勧めた。啓介がソファに腰を下ろす。 「アティックはかまどの灰まで蒐集すると言われましたよ」 「馬小屋の藁でもか」  英策が笑い皺を浮かべる。背が高く、押し出しのよい役者のような英策には芸者のファンが多かった。が、英策は父や祖父のように芸者へ手を出すことはなかった。二重の大きな目と、高い鼻筋、つねに口角を上げた唇。その感触を知るのは自分だけだと思うと、啓介は誇らしいようないたたまれないような気分になる。 「宮崎家のご当主に、筍掘りのシャベルを自慢されましたよ。農鍛冶に作らせた、浅くて細長いシャベルで、細工が見事だったのでつい指で触ってしまったら、当主に目の前で油を塗られました」 「錆止めか。大事にしているんだな」  額に手を当てて、英策がからかうように口元を緩める。 「美しいものには手が出てしまうんですよ。蒐集品であれば、自重しますがね」  英策は夜露で湿った窓の外を眺めている。  夜気で冷えた窓辺に近づく。ガラスが絹のように光るだけで、窓には何も映っていない。 「啓介」  英策の笑みに隠微な艶が混じる。背中に回された腕に引き寄せられて、啓介は湿度を帯びた冷気を頬に重たく感じる。 「君がどこのご当主をたぶらかすか、心配でならないよ」 「私に籠絡されるひとなんかいませんよ」  長旅で真っ黒に日焼けした、農民然とした自分は、英策にはずいぶんと美しく見えているようだった。 「君はひとの心を蕩かす色悪だ」  英策は啓介の唇を覆った。肉厚の舌を迎え入れながら、英策はおそらく自分の舌しか知らないし、自分も今は英策の舌しか知らないと思う。  冷えた室内に、互いの荒い息づかいが響いた。秘められた交情をこの部屋で繰り返してきた。  自分の主であり永遠の伴侶でもある男の硬い髪を、手のひらで乱していく。  互いに息が上がるほど唇を貪り合ったあとで、英策は啓介から唇を離した。 「君に会いたかった」  低く快い声が耳元で囁く。啓介は伸び上がると英策の耳たぶをやわらかく噛んだ。 「私もです」  英策の整髪料の香りに目を細めながら、啓介が英策の肩に頬を載せる。

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