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第3話 新しい家

 春斗が落ち着くまで、七瀬は何も言わずに春斗の背をさすり続けた。  その手はとても温かかった。 「落ち着いたか?」  頃合いかと、七瀬が口を開く。 「はい、すみませんでした」  年甲斐もなく泣きじゃくってしまった恥ずかしさに俯いてしまうが、七瀬は何でもないことのように笑っていた。 「なに、人間誰しも泣きたくなることくらいあるだろう。泣くということは感情があるということだ。良いことでではないか」  ふわりとほほ笑んだ七瀬。それはとても優しく温かな笑顔だった。  土地神だなどと言われ、初めは信じようもないことだと思っていた春斗だったが、少なくとも悪い人ではないらしい。  二人で話をするうちに、いつの間にか春斗は心を開きかけていた。 「私のところに来ないか」 「え?」 「無理にとは言わないが。今、春斗は幸せか? 私は春斗を守ってやりたい。でも、今の春斗の住む場所は遠すぎて私の力が及ばないのだ」  唐突な提案に春斗は驚いた。  ここには秋江と暮らしていた家があるとはいえ、仕事はない。  一人で生活するのは難しいだろう。 「でも、仕事が……」 「仕事ならあるぞ。私の手伝いをしてほしい。場所もここではない。私の住むところへ来てほしい」 「七瀬さんの住んでるところですか?」  春斗はとっさには判断できず、困惑の色を浮かべた。 「未練があるか? 春斗はどうしたい? 今の生活が好きか?」  そう問われ、春斗は考える。  今の生活に未練はない。  每日休みもなくただ仕事に明け暮れる生活。趣味だって何もないし、あったとしてもそれに割く時間はない。  「あなたの生きがいはなんですか?」なんて質問を時々耳にするけれど、果たして自分にとっての答えは何なのだろうか。  そう思った瞬間、春斗の口は自然と開いていた。 「行きます」 「そうか。良かった。それでは少し目を閉じて」  春斗は言われるままに目を閉じる。  途端、先程と同じような突風が吹き荒れた。 「春斗、もう目を開けて良いぞ」  七瀬の声に、目を開いた春斗は、目の前の景色に呆然と立ち尽くした。  目の前にあったはずの祠は消え去り、そこには、昔、教科書で見たことのあるような風景が広がっていたのだ。  行き交う人々は老若男女問わず、着物のようなものを着ており、草履を履いている。  道路も舗装されておらず、土の地面を固めただけのようであった。  さらに民家は長屋が多いようで、家の前では近所の人だろうか、二、三人と集まって何やら会話に花を咲かせているようだった。  しかも、どういうわけか、その住人の頭には獣のような耳が生えている者も多い。  春斗の心を読んだかのように七瀬が口を開く。 「ここに住む人々は、人間ではない。かつては動物だった者や、様々な神々、妖が暮らしている」  だが、春斗は七瀬の言葉を到底理解することはできず、ただただ呆気にとられるだけだった。 「こっちだ」  ぼうっと夢見心地で立っていると、七瀬に手を引かれる。 「あ、すみません」  春斗は、慌てて手を離そうとしたが、思いの外強い力で握られており、それは敵わなかった。  「ここだ」  連れてこられたのは、大きな平屋建ての一軒家。  さっき見てきた長屋とはずいぶん格式が違うようだった。  玄関の前には大きな赤い鳥居があり、そうか、この人は神様だったっけ……と春斗はよく働かない頭でぼんやりと考える。  案内され家の中に入ると、そこは土間になっていて、端には釜土や水場のようなものがあった。  やはり教科書で見たような光景だった。

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