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第25話

 身体の関係から始まって、晴也の心だけが現状においついていないのだ。怯えさせず、自覚を促すにはどうするのがベストか。秀一は思いあぐねていた。 「あと少しなんだけどな……」  晴也が完全にこの手に落ちてくるまで。  同居を進めたのは晴也を案じてだ。だが互いの関係を進めたかった思惑もある。さらに日高の三男坊に守られる晴也は、秀一のものだと暗に示したかったのだ。  晴也に手出しすれば日高が黙っていない。そんな暗黙の意図もあった。大手グループの日高を無視できる企業は、この世に存在しない。  なにより同居してからは定期的に身体を重ねている。βの晴也には自覚がないが、今の晴也の身体には、秀一のフェロモンがこびりつく。  恋人でもない相手に、フェロモンを浴びせるのはマナー違反だ。だが逆に言えば、狂おしいほどの執着の裏返し。 『近づくな』『手を出すな』『俺のものだ』……と。秀一が、晴也の影となって威圧する。  晴也につけたフェロモンは別格だ。上位αの獰猛なもの。決して甘やかなものではない。フェロモンに敏感なαやΩなら、秀一の重圧的な匂いで吐き気すらもよおすだろう。    もちろん、これだけ密着する機会が多ければフェロモンをつけるのはたやすい。けれど晴也の体内に秀一を残せばいっそう濃く染みこむ。  ただ問題は、秀一のフェロモンに対抗し、当てつけに手を出す輩がいないと言い切れないこと。  気づかれないよう晴也に身辺の話を聞き、探りはこまめに入れている。無自覚な晴也は疑いももたず、細かいことも教えてくれる。最近は、失くし物が減って調子がいいと喜んでいた。  今朝も晴也を見送ってから旅館の事業をする。傍ら、今回のSNSの動画も継続してチェックした。  あれほど騒がしかった無数のコメントは削除され、出回る動画もめっきり数を減らす。騒動で浮上したワードを詳細に検索しても、ネットには浮かび上がらなくなっていた。  まだ晴也とこうしていたい。そう思うけれどどうやらタイムリミットだ。案の定、数時間後に、秀一の携帯が呼び出し音を鳴らす。藤崎オーナーだった。 「日高です」 『やぁ。元気にしているかい? 次の月曜から通常通りで頼むよ』  やっぱりか。嬉しいけれど残念に思い復帰を承諾する。二週間弱。夢のような晴也との同居生活も、これで終わり。  今夜、帰宅した晴也に、同居の解消を伝えなければ。晴也が……寂しいと、感じてくれたらいい。 ***  晴也が去って早くも四日だ。晴れて職場復帰になった秀一は、同僚たちに歓迎され再び喫茶店で客をもてなす。  慌ただしいけれど欠かせない日常だ。それは晴也にしてもそうだったらしい。  同居中、晴也は秀一が作る食卓を囲み喫茶店にあまり足を向けなかった。けれどやはり、店ならではの雰囲気が恋しくなるのか。秀一の復帰とともに晴也も喫茶店通いを再開した。  今日も休日にわざわざランチを食べに来てくれたのだ。ともすれば、秀一に会いに来てくれたのかと錯覚しそう。  たかが二週間、されど二週間。長い人生で一緒にいた時間は知れている。だが一分一秒だって、晴也と過ごせば貴重な時間に変わっていく。  晴也と一緒に寝起きをし、身体を重ね。秀一と晴也の距離、そして絆は、想像した以上にぐっと縮まった。  店内のドアベルを軽やかに慣らし、秀一を見つけた晴也は、一瞬で花開くような満面の笑みを浮かべた。あんなに人見知りだったのに、その様子に頬が緩む。  カウンターのひとり席に腰を落ち着ける、嬉し気な晴也に、秀一がにこやかな笑みを浮かべた。 「らっしゃい。いつもの、俺のおすすめランチでオーケー?」 「うん」  ランチタイムで店内はがやがやと騒がしい。ついでに言えば、注文を受けた数名のスタッフも、オーダーを厨房に飛ばし合ってきりきり舞いだ。  そんななかで不思議と晴也の周りだけが、殺伐とした空気が打ち消され穏やかなバリアが張られていた。やはり晴也は秀一の癒し。 「日高ー! にやついてないで、8番テーブルに食後の飲み物持ってって!」 「へいへい」  同僚にオレンジジュースを受け取り、秀一は鼻歌交じりに移動する。ジュースを乗せたトレイを巧みに操り、テーブル客へ運び終えた。  再び晴也の近くを通りカウンター内へ戻る。次から次にやってくる料理を、別の客へ運ぼうとしたときだ。奇妙な違和感が秀一のなかをよぎった。  もの凄い速さで急激に。胸の内が、伸びた背筋が。ざわざわと逆なでされる。全身の血が溢れんばかりに逆立った。なんだ、これは。この感覚は。
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