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第26話

 安定する秀一の心がぐちょぐちょに掻き乱される。コントロールできない。荒く激しく、けたたましく。警鐘を鳴らす。  誰であろうと引き裂けないはずの、ひとつの魂が真っ二つに引き裂かれそうになる。地鳴りを立てて前後左右に揺れ動き、壮大な固い大地がひび割れて裂けるように。  秀一の体内を巡る血液は、血管を逆流して正常を忘れたか。異常な強さで心臓が胸を強打する。全身を打ちつける鼓動は、痛いほど脳天を痺れさせた。  耳鳴りがする。体温が急激に上昇する。脳味噌が沸騰する。息が上がり、全身の毛穴が開き、呼吸をしたいと絶叫する。 「日高さん……?」  秀一の異変にいち早く気がついたのは晴也だ。カウンターの近くにいたこともあったのだろう。心配げな晴也の声を聞き、秀一はひきつった笑みを返そうとした。しかし。  秀一の視線がいった先は晴也ではなかった。正体不明の汗をかき、息をのんで、強張っただろう顔を上げたその先は。喫茶店の、ドアだ。  店内のドアベルが涼やかな音を立てて開いた。入ってきたのは、見知らぬ小柄な青年だ。直後、青年も瞬時に目を見張って秀一を見た。瞬間だ。  強烈な衝動が秀一を襲う。彼だ。彼は――オレノΩダ。 「はっ……、はっ……ッ」 「ひ、日高さ……」  息がひきつる。体内がぐつぐつ煮えたぎってしまう。息を吸えども吸えども、灼熱の炎に焼かれ喉がひりつく。大量の汗がこぼれる、瞳孔が開く、視界が真っ赤に染め上げられる。  理性も思考も消えうせて、剥き出しの本能が秀一に牙を剥いた。  彼を今すぐ……引き裂きえぐり、むしゃぶりついて、噛みつきたい。今すぐ彼をオレノ番ニ。 「日高ッ! まずい、ラットを起こしかけてる。聞こえるか、おい日高! しっかりしろ」 「はッ、はッ、はぁッ……っ!」 「ひ、日高、さん……っ、だ、だい、じょ、ぶ……?」  汗が噴き出た秀一の片腕が、やんわりと掴まれる。今にも泣きそうなくらい心配された、弱弱しい声音。これは、晴也か。晴也、永瀬晴也だ。秀一が唯一求める相手は晴也。 「は……っ、は……、ふ」  静まれ。暴走するな。喰われるな。爆発寸前の膨大なフェロモンを制圧しろ。誰かれ構わず襲いたくなる衝動を、ぎりぎりと耐えて抑えこむ。  凶悪なフェロモンは濃煙(のうえん)となってとぐろを巻き、秀一にまとわりついているだろう。秀一の意識をとどめようとする、晴也の手は、微かに震えていた。  添えられた細い手をぐっと握る。加減ができず、力が強すぎたのだ。晴也が小さく息をのんだ。しかし余裕がない。  せめてこれ以上傷つけまいと、もう一方の手で握りこぶしを作る。自身の爪が手のひらの皮膚を突き破るまで。 「ふ……っ」  己を痛めつけ、どうにか理性を呼び戻す。秀一は焦って飛んできた同僚に、血走った顔を上げた。 「日高?」 「ゆう……。そこの、Ω。今入ってきた男。童顔で背の低い奴だ。あいつ、たぶんヒートを起こす。緊急ルームに抑制剤があるだろう。今すぐ連れていけ、早くっ」
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