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第27話
「あ、あぁ……、わかった。お前は? 平気なのか」
「俺も抑制剤をのむ。今はΩだ、俺に引っ張られてヒートしかけてる。悪いが俺……、今日は、使いものにならない」
「あぁ」
ゆうはβだ。冷や汗をかいて頼むと伝えれば固い頷きが返された。ヒートになったΩにあてられたら、βでも理性が危ういと聞く。だが今は彼に頼るほかない。
来店したΩはドアの前で立ちすくみ、前のめりになっている。αが近寄れば、フェロモンが相乗し本格的にヒートを誘発してしまう。こういう日に限ってΩのスタッフはいない。
動画の騒ぎが収まったばかりだ。またも店内で騒動を起こせば収まるものも収まらない。
すでに様子のおかしい秀一たちに、困惑する客もある。濃厚なフェロモンが充溢する前に姿を消さなければ。秀一もΩも。
立ちすくむΩは自力で歩くこともできていない。引きずられる格好で、緊急ルームに連れられた。
動きにあわせてΩから漂う、ペパーミントの香りが秀一をなおも揺さぶってくる。大きな幹から切り離された、薄っぺらい一枚の葉っぱになったようだった。
強烈な風が吹けば、なすすべもなく振り乱されて飛んでいきそうに脆い存在。後を追うな。流されるな。引きずられるな。どれほど難しくとも踏みとどまれ。
秀一は、手のひらに食いこませた爪をさらに強く握り締めた。ぽとぽとと、生ぬるい血が流れ落ちる。
「ひ、日高さん手……っ! 血が」
「ごめん……俺、少し奥にこもる。しばらく表に出てこれないから、ご飯、食べたらそのまま帰って」
店内に入ってきた見知らぬ彼。小柄で、瞳が大きくて。遠くから見ても華やかだった。秀一の本能が一瞬で沸き立った。彼が……秀一の運命か。
「くそ……っ」
眉間にしわを寄せ、気を抜けば上がりそうな呼吸を深く整える。心配げな、不安そうな晴也に今すぐ笑い飛ばし、なんでもないと伝えなければ。なのに。
駄目だ。気が荒立つ。あのΩを今すぐ捕まえて、自分のものにしなければ。
「違うだろが、黙れ……ッ」
頭に響く本能の声に、唸るように喉の奥で声を荒げた。押し殺した怒声に、明らかに動揺した晴也をまともに見返すこともできない。
びくりと揺れた晴也の手を振り切って、殺気立って背を向けた。秀一を呼ぶ、戸惑う柔らかな声がしたけれど、足早にスタッフルームへ消えた。一度も晴也を振り返らずに。
ひとまず抑制剤だ。ゆうに連れられたΩを追いかけ、緊急ルームに行きたくなる衝動に逆らって進む。スタッフルームのドアを開け、蝶番が軋むほど乱暴にドアを閉めた。
誰もいない室内でひとりきり。荒い息を整え、ドアにもたれ安堵した。
胸板を上下させてから、冷や汗をかいて自分の荷物をあさる。ラットの抑制剤はどこだ。
汗がにじむ手で目当てのものを見つけ、抑制剤を過剰に飲みこむ。そして薬のほかにも、もうひとつ握り締めたもの。手のひらほどの、細長い一本の注射器だった。
太ももの服のしわを伸ばし、注射針のキャップを咥えて外す。伸ばした服の上から、太ももの外側付近に注射針を打ちこんだ。緊急ショットだ。
ためらいなく薬液を注入し、近くの椅子に怠い身を預ける。即効性がある、注射型の抑制剤だった。
薬液を体内に直接入れるから、経口薬より効力が早くて強い。運命の番にどこまで通用するかは知らないが、実際に使う日がこようとは。
「は……」
予期せぬラットを起こさないよう、毎日薬を飲み、発情期の管理は徹底していたというのに。秀一は深い息を吐きだした。
喧騒が去った静けさが訪れる。気を落ち着かせて、備え付けの冷えたタオルで目元を覆った。
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