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第31話

 知らずに詰めた息を吐きだす。ひとりになった室内はやけに気が重かった。畜生と、また小さな文句が口をついた。椅子をぎしりと鳴らしてもたれかかる。 「どうしろってんだ……」  いつも自信にあふれた秀一にしてはひどく弱い声音だった。静まる室内に虚しい声が響き、秀一自身も動揺しているのだと自覚せざるを得ない。  あれだけ多量の抑制剤を乱用したのに瑞希の匂いが染みつくのだ。薬物依存か、アル中か。泥沼に足先まで浸かる中毒者だ。  刺激的で、求める存在がないと物足りない。素面では我慢できず、姿が消えたとたん落ち着かなくなる。  運命と現実のはざまで、秀一の心が揺れ動くようだ。  瑞希は運命を利用してヒートを悪用しなかった。ラットを起こさせもしなかった。むしろはっきりした口ぶりで迷いがない。  αやΩといった色眼鏡なしで見ても、彼の人となりには正直好感が持てた。今まで、秀一の周りにいたΩは自分勝手で、辟易するものばかりで。あんなΩは初めてだった。  晴也と運命をさまよう心が、雲を踏むように浮き沈みする。長期戦になったとき、秀一は己を襲う衝動にいつまで抗い続けられるか。  運命にこだわる瑞希は、たやすく引き下がってくれないだろう。  これから瑞希と接触するたびに、抑制剤を過剰に摂取するのは身体に負担がかかりすぎる。かといって、素面では顔を合わせられない。  ひどく疲れた自身を振り切るように、抑制剤で痛む頭を振った。  重い気を呑みこんだとき、ロッカーのなかから着信音が響く。秀一の携帯だ。怠い身を動かしてのろのろと音のほうへ近づいた。  抑制剤や注射の残骸が散乱する荷物を掻き分け、携帯を手にする。そこに表示された画面はたった今思い描いた、晴也の名があった。  そういえば……店で、晴也を振り払ってそのままにしていた。当たり前だが晴也の前で怒鳴ったことは一度もない。  晴也を怖がらせないように、秀一の羽目が外れないように。できる限りαの衝動を制御している。それなのに、積み重ねてきた、日々の努力が一瞬で台無しだ。  晴也の動揺する声が今更ながら思い出される。無事に、家まで帰れただろうか。弱弱しく秀一を呼び、汗ばむ腕を掴んだ痩せた手は震えていた。  秀一が……運命の番と出会ったことに、晴也は気づいたのだろうか。  ラット寸前の秀一を気遣い、いたわるように添えられた優しい温もり。強引に振り払われた晴也の手は、行き場をなくしていた。  いつもは浮かれて電話に出るのに、通話ボタンを押す手が止まってしまう。しかし避けては通れない。秀一の真意ではなかったとしても、晴也を突き放す格好になった。  きっとショックを受けたはずだ。休みの日に店まで来てくれたのに。どう話したらいいのか。重い気分のまま、秀一は電話にでた。 「俺です……。晴也さん、さっきは」  言葉を選びしゃべりかける。晴也は優しいから。自分が傷ついていても、秀一を心配し、変わらず穏やかな声音で応じてくれる。そのはずだった。  電話の向こうにいる相手が、正しく晴也であったのなら。  第一声を放った秀一に返ってきた声の主。それは秀一が聞いた覚えもない、穏やかな声質とはかけ離れたものだった。低く重たい、男の声。 『――ハルヤ? あんたはこの携帯の、持ち主を知ってるのか?』

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