33 / 54

第33話

 張りのある声音とともに、男が身を乗り出して何かを言いかける。けれど、肝心な続きは、晴也の小さな目覚めの声で途切れた。  秀一と男が同時に、身動きする晴也を覗く。秀一たちの話し声で目が覚めたのだ。慌てて秀一はベッドに寄り、ぴくんと瞼を動かす晴也の顔を覗きこんだ。 「晴也さん……っ!」 「んぅー……、はよぅ……」  だから違うってば。眠りから覚めたあとだから、眠たそうな晴也の「はよぅ…」もなんとなくわかるんだが。  同居していた口調で朝の挨拶をされて気が抜ける。でもやっぱり可愛くて、緊張した秀一の頬がくすくすと緩んだ。  晴也は目元をこすり、目をしゅぱしゅぱ瞬かせる。つぶらな瞳を大きく開き、ようやく何かがおかしいことに気づいたよう。晴也の動揺した声が聞こえた。 「え……。ここは、どこ……? 俺、なんで……」 「病院だよ。喫茶店の帰りの途中で転んで、この人が助けてくれたらしいですよ」 「あ」  記憶喪失にでもなったような口調にまた笑みがこぼれる。秀一が促した先を、晴也の視線が追いかけた。そこでようやく晴也は男の存在に目を見張った。  男と晴也が見つめ合う。数秒の間があり、晴也はいきさつを思い出したと、ベッドから飛び起きた。 「あっ。す、すみません俺……見ず知らずのあなたに、迷惑を」 「……いいんだ。構わねぇ。それよりお前。ハルヤっていうのか?」  ぺこぺこと頭を下げた晴也を起こさせ、男が硬い口調で言う。唐突な質問に、ちょこっと首を傾け、晴也は頷いた。 「は、はい。永瀬晴也です。あなたのお名前は? あっ、あのよかったら、俺の番号をいうので、連絡先を教えてください。よかったら、今度改めて、お礼に……あ。待って下さいね。これ。俺の電話番号で、こっちがメールで」  身振り手振りを使って晴也が懸命にしゃべるが口下手だ。近くに置いてあった自分の荷物から、ペンと手帳を取り出す。しどろもどろ説明し終えて連絡先を晴也が渡した。  一生懸命な様子はずっと見ていても飽きがこない。気を和ませた秀一は、晴也の様子を見守り口を挟もうか迷う。  すると男が、晴也の反応を探るように、訝し気に口を開いた。ためらいを見せて、開けた口を閉じる。晴也をじっと見つめ、男が低く言った。 「俺は……俺の名前は……コウジだ。俺の名前は、武藤(むとう)晃司(こうじ)だ」 「え……」 「なんだって?」  耳を疑った。秀一と晴也の声が同時に響く。ムトウコウジと言ったのか。  正真正銘、初めて顔を合わす男。しかしその名は何度も口にしたことがある。ムトウコウジ。ネームバース保持者である、晴也の胸に刻まれた……晴也の、運命の刻印の名だ。  口をあんぐり開けたまま表情を固まらせる晴也を見て、武藤晃司と名乗る男は口元を引き上げた。 「その反応。ビンゴだな。やっぱそうか。俺の、運命の刻印なんだな」 「え」  動きを止めた晴也が目を見開いて固まる。そんな馬鹿な。受け入れられるはずがない。晴也の刻印者がここで現れるなんて。秀一はぎりりと歯を食いしばった。最悪だ。  しかし限りなく低い確率だとしても、おかしなことはないのだろう。秀一にしても、予測なく運命の番に会ったのだから。  秀一、晴也、瑞希、そして……晃司。数奇に複雑に、絡まりあって繋がった運命といわれたらそれまでだ。 「驚いた。ほんとにいたんだな。まじでびっくりした。奇遇な縁ってのはこういうのを言うんだろな。お前が鈍くさくなかったら、俺はハルヤを避けて、お前の横をあっという間に通り過ぎてたぞ」  くくっと愉快そうに晃司が肩を揺らす。そしていまだ固まる晴也に向け、彼は自分の左腕を手繰り上げた。  白いワイシャツの袖口を寛げ、男らしい太い腕をさらけ出す。鎖骨あたりまでシャツをめくり上げた、肩の下だ。肌色のテーピングがさりげなく巻かれていた。  晃司は大切そうに、テーピングを丁寧に剥がしていく。露わになった素肌の上。盛り上がった二の腕の筋肉を囲うように、黒い文字が刻まれていた。  HARUYA NAGASE、と。 「あ……、これ。俺と、いっしょ……」 「だろうな。つまり俺たちは数少ないネームバースの、運命の刻印者ってことだ」  ぴくっと晴也の身体が震える。晴也は弾かれたように、至近距離で晃司を見つめた。

ともだちにシェアしよう!