43 / 54

第43話

「それ本気で言ってるの?」 『私が冗談を言うとでも?』  疑問を疑問で返されたが返答には十分だ。やはり信彦は、冗談を言わない。けれどそれなら余計にお断りだ。 「だったらやっぱ、そんな話は俺じゃなくてさ、慶兄でしょ」  順番で言えば秀一ではなく、四つ上の慶光(よしみつ)が先だ。慶光は日高の次男でもうすぐ二十九になる。一番目の兄は、すでに番を持ち今は海外にいた。  お門違いの婚約話がなぜ秀一に舞いこむのか。納得いかないと、秀一は速攻で拒否した。  ただでさえ昨日晴也から、あのいけ好かない晃司と会うことになったと聞いたばかり。詳細な日時は未定だが、いかがわしい場所に連れこんだら殴り飛ばそうと誓ったところだ。  晴也の気持ちは疑いようがないし、晃司と深い関係にならないと思ってはいるが。正直内心は複雑だ。これ以上余計なことをして、掻き乱さないで欲しいのに。 『そういうな。相手が誰かも聞かないのか?』 「興味ないね。誰だろうと、そんなのしないから」  通話の向こうで面白そうな声がする。喉を揺らした信彦の声を聞き、秀一はくだらないと吐き捨てた。だが。 『悪くない条件だぞ。なんといっても、あの穂波家からの縁談だ』 「……穂波?」 『そうだ。いくら興味がないとはいえ聞いたことはあるだろう。あの穂波だ』  愉快そうな、意味ありげな信彦の言葉に秀一の眉が跳ね上がった。まさか。秀一が関わる穂波と言えば瑞希のこと。  しかし、信彦が悪くないと言う穂波は瑞希自身のことではない。おそらく、その家名。 「まさか、穂波って」 『そのまさかだ。世代にわたり、長年政界を牛耳る政治家だ。そこの次男が、ぜひお前と縁談を結びたいと言っているぞ』  数々の政治家を世に排出し、現在も活躍中だ。いまや政界では誰もが知る穂波家だ。そこの次男だと。瑞希がか。  どことなく育ちは良さそうには見えた。だがそれにしては妙だ。秀一が知る穂波家は、αの兄妹が二人のはず。Ωの次男がいるなんて初耳だ。  実際に今まで何度か、穂波家が主催する社交界に参加したことはある。けれど次男の話題なんて聞かない。トップクラスの数あるパーティーに、Ωの次男が顔を見せたこともない。  瑞希がいたら、とっくの昔に運命と出会っていたはず。秀一の疑問を払拭するように、信彦の声が届いた。 『すでにこの時世で、政界を代表する穂波はサラブレッドのα一家だからな。結婚相手は必ずα同士にこだわり子もαばかりだ。次男のΩは、イレギュラーだ。彼は、社交界で顔は売らない』  政界のトップにこだわり、αを常に優位性とする穂波家だ。家系もαばかりを輩出する。Ωの瑞希は底辺に位置付けられ、ほとんど表に出されなかった。  政界を牛耳る権力があれば人の口を塞ぐのもたやすい。αの兄と妹に挟まれ、瑞希の存在は知らない者も多いのだ。  むろん、穂波家に恥じない教育は受けただろう。瑞希の堂々とした振る舞いは理知的でさえあった。  一般的なΩよりも裕福に育てられただろうが、Ωというだけで、ずいぶん肩身が狭かったはず。 『次男のΩだけは名前は聞いていても、私も顔を見たことがなかった。だというのにその彼が、お前と婚姻したいそうだ』 「はっ……。ふざけんな。俺は嫌だ」  秀一を諦めないと。番になってみせるとはこのことか。世を代表し、あらゆる実権を握る穂波家なら、嫌がる相手をねじ伏せるのはお手のものだ。  あのまま簡単に引き下がらないだろうと、思ってはいたが。こんな手を使ってくるとは。嫌悪感を露わにすれば、対照的な、緩やかな信彦の声が返された。 『運命を見つけたと、言ったそうだ。それを知ったうえで、穂波からの縁談をないがしろにはできん。向こうの顔は潰せんからな。ひとまず婚約はしろ』  強制的に事を進める信彦に、秀一はたまらず反発の声を出した。無駄とわかっていても、このまま言いなりになどなりたくない。秀一には晴也がいる。

ともだちにシェアしよう!