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第45話
婚約しろと言われ一週間ほどが過ぎた。観光名所でもある大型ホテルで、洋風な個室を貸し切り、秀一と瑞希を中央に互いの家族が顔を合わせる。
「それにしても、秀一くんは噂どおり眉目秀麗だね」
「ありがとうございます」
「それに……そちらの、次男さんもご立派だ」
「世辞が過ぎますよ、穂波さん。そういうあなたも穂波の長男として、ずいぶんご活躍されていますね。噂は兼ねがね、伺っておりますよ」
「お恥ずかしい」
互いの両親と兄弟がそろうなか、兄の慶光と穂波の長男の会話が飛ぶ。テーブルを挟み、目の前に座る瑞希も何度か秀一に口を開くが、秀一は瑞希とは相槌をするだけだ。
瑞希の寂しそうな顔を見て、隣に座る慶光が、テーブルの下で足をがんと踏んでくる。が、秀一は知らぬ顔だ。
日高の面目がたつ程度に話を合わせている。たんに瑞希と会話が弾まないだけで。
役目は十分果たしている。これ以上、仲睦まじくする必要はない。何より早くこの場から立ち去りたい。
秀一は結局、晴也に婚約話をできずにいた。両思いになったとたん運命の番と婚約なんて、どの面下げて言える。
形だけの婚約だったとしても、誤解をさせてしまいそうで、どうしても言えなかった。けれど秀一を疑わない晴也は、包み隠さず晃司との約束を教えてくれるのだ。
間が悪いことに晴也は今、晃司と会っているだろう。互いが身を置く場所は違うが、車を走らせれば晴也のところへ行ける距離だ。
心にもない、くだらない芝居はやめて、晴也のところへ飛んでいきたい。
海外にいる日高の長男は不在だが、互いの家族と顔を合わせて両家の婚約は成立した。そろそろお開きだ。
予想どおり見合いが終わったと思えば、さっそく瑞希と二人きりにされるとは。利用する大型ホテルは美味い料理も有名だが、食事だけでなく設備も充実する。
個室を出ればスポーツジムにサウナや温泉、露天風呂。おまけにゲームセンターやバー、カラオケまである娯楽施設でもある。
秀一と瑞希の年齢も考えて、あえてこの場所を選んだのかもしれないが。両家が去ったあと二人で残されるとは思わなかった。
散り散りになった家族を見送り、廊下で隣に立った瑞希を秀一は冷たく見下ろした。
「そしたら俺も帰るから。君は遊ぶなりなんなり、好きにすればいい」
「え……」
先ほどの温和な雰囲気はどこへやら。個室を出た秀一は、呆然とする瑞希を冷ややかに見下ろす。
棒立ちする瑞希をよそに、迷いなくエレベーターに足を進めた。昼時で利用客が多い、一階のロビーへと一目散に向かう。背を向けた秀一の背後で、慌てて走る音が響いた。
「秀一さん、待って下さい……っ! ちゃんと僕と話を」
瑞希が小走りで秀一を追いかけてくる。ドアが閉まりそうなとき、同じエレベーターに乗りこまれた。
何かを言いたそうに、秀一を覗いてくる瑞希を横目にする。だが言葉は発さず、大勢の人であふれた豪華なロビーに降りた。
賑わう人だかりをすり抜けて出入り口に向かう。しかし無言で進む秀一の片腕が、後ろからぐいと引っ張られた。背中ごしに、瑞希の苦しそうな声が響いた。
「話をしましょう……っ! 秀一さん。僕が気に入らないのはわかりますが、ひどすぎませんか? 僕がまだいるのに顔さえ合わせてくれず、本当に帰るつもりなんですか」
切羽詰まった瑞希の声に、数人の利用客が秀一たちを振り返る。悪目立ちしては困る。秀一は冷たい眼差しで、背の低い瑞希を覗き見た。
「手を離してくれ。これ以上、俺と瑞希くんが一緒にいる理由はないはずだが? ましてや俺と君は慣れ合う間柄でもない」
「でもあなたは、僕と婚約したじゃないか!」
黒々する瞳を潤ませる、瑞希の通る声が弾けた。一瞬だけロビーが静まり返る。秀一は眉をしかめ、瑞希の細い腕を握り返した。
瑞希の腕を引っ張って人けのない廊下の奥に進む。強引に引っ張れば、痛みともとれる瑞希の悲鳴じみた声が聞こえた。
ほんの少し力を緩めたものの、掴んだ腕を勢いよく壁に打ち付け瑞希をどんと押しつけた。硬い壁に背中をぶつけられた瑞希の、上品な顔が痛みで歪む。
息を詰めた小さな顔に、秀一は高い鼻先を寄せて唸るように声を出した。
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