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Two Drifters 3

「春森(はるもり)」  やわらかい声が、僕の名前を呼んだ。 「やっぱり春森だ」 「……三崎(みさき)」  何度も頭のなかで思い描いていた彼より、頬の輪郭が鋭かった。三崎はベージュのスプリングコートと、黒のカットソーにジーンズというラフな格好で、大きなゴールデン・レトリバーのリードを曳いていた。三崎はカーブを描く栗色の髪を軽めのアッシュブラウンに染めて、やはり頬に滲むような笑みを浮かべている。 「エルザ、まだ生きてたのか」 「十四歳。大型犬にしては長寿だね」  尻尾を振りながら僕の隣に座るエルザの喉を撫でてやる。エルザは白髪交じりで、顔の肉が垂れ下がっていたが、ひとなつこい黒い瞳の輝きは以前と同じだった。 「こんな遠くまで散歩に来るのか?」 「叔父の家に引っ越したんだよ。叔父はこの近くに住んでいるから」  だからここにもよく来るんだ、と三崎はエルザの隣に立って空よりもすこし濃い色の水平線を眺めた。 「ちょっと遊んでおいで」  三崎がエルザからリードの綱を外す。エルザがはじかれるように砂州の向こう側へ走っていく。三崎と僕を遮るものがなくなって、僕はかすかに彼の体温を感じた。全身が仄かな熱に包まれる。 「君の家のエルザは元気?」 「三年前に老衰で死んだ」 「会えなかった?」  僕がうなずくと、三崎は瞳に淡い陰を走らせた。 「僕も、母の死に目には会えなかったよ」  三崎の母親が亡くなったことは、二年前の同窓会の席で知った。三崎は一度も同窓会に来なかった。そうやって、僕の存在を断ち切ったのだと思っていた。  ――すべて白紙にしよう。  東京へ進学した日、大学の寮で彼の手紙を受け取った。白い便箋にそれだけ書かれた、別れの手紙。  三崎はあの日の僕の逡巡を見破っていたのだ。  彼に電話をかけても繋がらなかった。三崎は携帯電話の番号を変えていて、僕は三崎の友達から、むりやり彼の新しい番号を聞き出した。  ――遠距離で続く関係とは思えなかったから。  電話口で、三崎は僕に壁を作っていた。  ――春森には医大の実習があるし、僕は母を看なければならない。これ以上はもう、続けられないよ。  三崎は僕を責めなかった。だから僕も、彼を責めるきっかけを失った。大学の過酷な授業に押し流されて、僕は彼の存在を忘れていった。 「実家に帰ってきたのか?」 「こっちの医大で、勤務医になったんだ」 「彼女はできた?」  僕の隣に腰を下ろして、三崎は痛みをこらえる子供のような顔で笑った。何度も彼女を作ろうと思った。が、三崎の肩のぬくもりを思い出すと、身体が心にブレーキをかける。僕は器用に恋愛を繰り返す人種ではないのだと、そのときに思い知った。 「いないよ」 「春森はもてただろうに」 「好きな人にもてなきゃ、何の意味もない」 「それはそうだ」  三崎が軽やかな笑い声をあげる。僕の体温がおかしいように、三崎のテンションもどこかおかしい。 「僕は、お前にもてれば、それでいいよ」  三崎は泣き笑いのような顔で僕を見上げている。

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