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第四章 銭湯・炬燵・姫初め④

 地元の神社へお参りに行った。古びた神社で、普段は参詣客などいないのだが、正月ばかりは例外で、参拝するための行列ができるほどだった。   「寒みィ」 「だから手袋をしろと言ったんだ」 「マフラーしてるし、イケると思うじゃん」    昨晩降った雪が、まだ溶けずに残っていた。枯れ木に咲いた雪の華が、冬の太陽を反射して白銀に輝いていた。   「あっ、歩先生!」    周囲をぱっと明るくするような、元気な子供の声がした。少年は軽やかに歩の元へと駆け寄った。   「やっぱり歩先生だ。来てたんだ」    銭湯で会った悠太くんだった。他にも数人、小学生がぞろぞろと群がってくる。学童に通う子も、そうでない子も交ざっているらしい。クラスの仲良しグループで集まって、初詣に来たといった様子だった。  新年の挨拶に始まり、神様に何をお願いしたとか、絵馬に何を書いたとか、そこのテントでおしるこを貰ったとか、果ては、冬休みの宿題がどうだの、お年玉をいくら貰えただの、明日親戚の家に行くからもっと増えるだの、そんなことを口々に喋った。   「歩先生が眼帯外したとこ、初めて見た」    一人の男の子が言った。歩は左目に手を翳す。「ボクも初めて見た」「アタシも」「痛そう」「こわ~い」「ホントに何にも見えないの?」と、子供達は好き勝手に騒ぎ立てる。   「怖くなんかないよ。歩先生の目が見えなくなったのは、勇気と友情の証なんだよ」    場を収めたのは悠太くんだった。   「昔、准さんが歩先生を助けてくれた時に怪我しちゃったんだって。だから、准さんは歩先生のヒーローなんだよ。だから、今もずっと仲良しなんだよ」    そうだよね?と振り向いた悠太くんの頭を、歩は優しく撫でた。すると、さっきまで騒ぎ立てていた子供達は、「悠太だけずるい!」とばかりに、歩に甘えるように纏わり付いた。歩は、そんな子供達の頭を順繰りに撫でていく。   「ねぇ、歩先生。学童始まったらさ、キックベースして遊ぼうよ」 「ちょっと、歩先生は女子と大縄する約束なんだけど」 「それよりサッカーがいいよ。ね、歩先生」 「アタシはドッジボールがいい」 「分かったから、順番な」    歩はかなり子供にモテるようだ。若くて体力があって遊び相手にちょうどいいから人気者なのだろうと前に遼二が言っていたが、それ以上の理由で子供達から慕われているように俺には思えた。   「じゃあね、歩先生。また学童でね」    帰り際、手を振る悠太くんを、歩は呼び止めた。外れかけていたマフラーを、優しく巻き直してあげる。   「風邪引いたら遊べなくなるぞ」 「うん。ありがとう」 「気を付けて帰れよ」    子供達の後ろ姿が見えなくなるまで、歩は手を振って見送った。   「……歩センセェ~」 「何だよ」    歩は、少し気まずそうに俺を見た。仄かに顔が赤いのは、寒空の下で冷えたせいかもしれない。雪景色に薔薇色の頬が美しい。   「歩センセェ、俺も手が冷たいで~す」 「てめェに先生と呼ばれる筋合いはねぇんだがな」 「ねぇ~、風邪引いちゃうよぉ、センセェ~」 「分かったから黙れ。手ェ出してみろ」    歩は、自分の手袋を外してコートのポケットに仕舞い、素手で俺の手を包んでくれた。   「お前の手も冷たいじゃん」 「しょうがねぇだろ。体質だ」    はぁ、と優しく息を吹きかけながら、歩は俺の手を摩ってくれた。   「お前ソレ……やべぇな」 「何がだ」    歩の体温を直に感じ、不埒な感情が込み上げた。俺の冷えた手はあっという間に温度を取り戻し、それどころか、あらぬところまでもが熱を持ち始める。   「も、いいって。十分あったまったから」 「そうか?」 「むしろお前の手のが冷てぇよ。おしるこ食って、帰ろうぜ」    狭い境内にテントを張って、参拝客におしるこが振る舞われていた。ありがたいことだ。冷えた体にあんこの甘さが染み渡る。   「お前があんな風に思ってたなんて、俺ァ全然知らなかったよ」 「何の話だよ」 「銭湯で、あのガキに話してただろ」 「悠太な」 「そうそう、悠太くん」    中一の夏のあの事件に関して、俺はてっきり歩に恨まれていると思っていた。俺があの場へ駆け付けなければ、衝動的に暴力を振るったりしなければ、海へ行く約束なんかしなければ、歩がその手を血に染めることはなかったし、左目を失うこともなかったのかもしれないのに。   「ずっと後悔してたんだ。俺がもっと上手く立ち回れていたら、お前を傷付けずに済んだんじゃないかって」 「お前は何もしていないだろ」 「だからだよ。お前が辛い思いをしてるの知ってたのに、誰でもいいから大人に助けを求めればよかった。お前を余計に苦しませた」 「それこそ、お前が背負うモンじゃねぇだろ。おれはな、あの時お前が来てくれて、本当に……」    歩は、唯一残った右目を伏せて、言葉を紡ぐ。   「救われたと、思ったんだ」 「……」    その言葉に偽りはない。しかし全てではないだろう。救われた、と思う以前に、胸を抉るような葛藤があったに違いないのだ。それはとても口に出して言うことのできるものではないだろうが。   「その後のことは、全部おれの責任だ。お前が気に病むことなんざ何もねぇんだよ」 「……だな。俺はお前のヒーローらしいし」 「調子に乗るな」    歩は肘で俺を小突く。   「ホントのことだろ?」 「悠太が勝手に言ってるだけだ」 「ハイうそー。歩も同意してましたー。この耳ではっきり聞いたもんねー」 「……空耳だろ」 「いやいやいや、はっきり言ってたからね!? 今も昔も未来も、歩先生のヒーローは――痛ァ!?」 「調子に乗んな」 「おま……照れ隠しがバイオレンスすぎる……」    肘鉄砲が鳩尾に命中した。悶える俺を見て、歩は子供みたいに笑った。   「はは、ヒーローも形無しだな」 「お前なぁ、マジで……食ったモン全部出るとこだぞ」    歩の小憎らしい笑顔が、可愛く見えて仕方がない。これが惚れた弱みというやつか。  考えてみれば、悠太くんを始めとして学童の子供達は歩に相当懐いているようだが、歩のこういった顔は知らないのだろう。結構短気で口より先に手が出たり、意外に幼いところがあったり、何より、本気の笑顔が可愛いということを、あの子供達は知らないのだ。  俺だけに見せてくれる表情がある。俺だけに甘えた姿を見せてくれる。そう思うだけで、独占欲がみるみるうちに満たされる。俺だけに見せてくれる表情は、俺だけが知っていればいい。心のポケットに、大切に大切に仕舞っておこう。   「なぁ」 「ん?」    俺は歩の肩を抱き寄せ、白玉のような頬にキスをした。   「早く帰ろうぜ。今すごく抱きしめたい気分」 「……ばか」    白玉が赤く色付いた。歩のこういった表情も、子供達はきっと知らない。

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