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第七章 隣の学生さん② ♡
「お前さぁ、ホント気ィ付けた方がいいよ」
「っ……何の話だ」
さてさて、やはり今夜も始まった。僕は壁に耳を当てて息を呑む。
「ったく、これだから無自覚は」
「だから、何の話だって」
「天然人誑しなんだから、あっちこっち愛嬌振り撒いてちゃダメっつーこと」
「……別に……んなことした覚えはねぇが」
「いや、してるから。無自覚でもしてんの。ほら、隣の学生とか……」
どうやら、話題は僕のことらしい。声の調子からして、絶賛ヤッている最中だと思われるが、それは今しなきゃいけない話なのだろうか。
「あいつ、絶対お前のこと好きだよ。目ェ見りゃ分かる」
「本当に、何もねぇぞ? 今日だって、一緒に猫撫でてただけだし……」
「そういうとこが甘いんだって。お前、そういう時って結構気の抜けたかわいい顔すんだろ? それで俺も好きになったわけだし」
「……別に、かわいくねぇ」
「やだ、照れてんの? かーわいい」
「だまれ」
どうやら、僕の話題はイチャつきの出しに使われただけのようだ。全く腹立たしい。これだからカップルってのは。
「てめェが穿ちすぎなんだよ。ただの隣人だろ? 惚れられる要素が一ミリも思い浮かばねぇ」
「よーく思い出してみ? なんかあるだろ」
「……そう言えば、落ちた洗濯物を届けてもらったことがあった」
「ウソ、お前のドスケベエロエロパンツが?!」
「んなパンツ履いたこともねぇが?」
ドスの利いた声が聞こえ、鈍い物音がした。続いて、男の呻くような声。またしても、お隣さんの暴力が炸裂したらしい。組み敷かれている側のはずなのに、よくやるものだ。
「落としたのはてめェのパンツだ」
「マジかよ」
マジかよ、はこっちの台詞である。確かに、地面に落ちた下着を拾って届けたことはある。あの時は、「これがあの綺麗なお兄さんが身に着けているものなのか」と感慨に浸ったものだが、まさかあのとぼけた面をした男のものだったとは。思い出して、手を洗いたくなった。
「今日履いてたやつだ」
しかも今日履いてたやつなのか。夕方会った時も、あのパンツを履いていたってことか。何とも言えない気分だ。というか、いちいち相手の下着の柄なんて覚えているものなのか。そりゃそうだよな。同棲しているんだもの。
「ああ、お前が買ってきてくれたやつね」
「そうだ。てめェの手持ちがあまりにもダサいんでな」
「何でだよ。かわいいだろ?」
「それに、擦り切れるまで履こうとしやがるし」
「それはまぁほら、もったいないしね? 今使ってるやつらも、擦り切れるまで履くよ?」
「貧乏性だな」
「物を大事にするって言ってくれる?」
パンツのプレゼントなんかするのか。付き合って、同棲までしているんだから、これも当たり前の話なのだろうか。僕にはまだ分からない世界だ。
「まぁとにかく、お前は無自覚に人を惹き付ける魅力があるんだから、あんま油断すんなよ」
「ふ、そんなに心配か?」
「心配っていうか……お前を疑ってるわけじゃねぇけどさ。俺以外の奴にそういう目で見られんの、ムカつくじゃん」
「こんなことまでしてるくせに。お前以外の男に、おれはここまで許さねぇよ」
「あっ、ちょっと……」
男が何やら情けない声を上げる。攻守交替か? 壁の向こうでは何が行われているのだろう。見えない分、想像力が掻き立てられる。
「俺だってなぁ、お前相手だからこんなになってんだぜ。正直、自分でも引くほど独占欲強いし、自分がこんなめんどくさい男だとは思ってなかったけど、でもそれもお前が相手だからこうなってるんであってだな」
「んっ、おい……喋るか突くか、どっちかにしろ」
「うるせぇなら黙らせてみな」
「っ、くそ……」
キスしているのだろうか。声が聞こえなくなった。代わりに、床の軋む音がする。キシキシ、カタカタ。いよいよ本格的な夜が始まる予感だ。僕は静かに下着を下ろした。
始まってしまうと、もう会話なんてしている余裕はないようで。もちろん、僕のことが話題に上ることなんて一度もなく。脳を蕩かす官能的な喘ぎ声ばかりが、ただひたすらに響いてくる。
「やっ、んんっ、もっとゆっくり……」
「んなこと言って、お前が締め付けてきてんだろ」
「っ、言うな、ばか」
「ほら、ここ好きだろ。いっぱいしてやっから」
「あっ、それだめ……やっ、だめ、きもちい……っ」
そろそろラストスパートだろうか。二人とも声が切羽詰まっている。僕は息を潜め、集中して聞き耳を立てた。
お隣さん、性格は結構キツそうだし、顔付きも凛と引き締まっているのだが、夜の声は途轍もなく甘ったるい。どこからあんな声が出ているのだろう。猫の甘え声より甘ったるい。香り立つように甘ったるい。蝶や蜂が勘違いして蜜を吸いに来るのではないかと思うほどに甘ったるい。
「ああっ、も、だめ、だめ……!」
そろそろイクんだな、と僕は冷静に思った。
「だめっ、あぁっ、いく、いくッ――!」
僕も同時にフィニッシュを迎える。妄想の中では、彼の胎内に僕のものが注がれている。けれど実際には違う。
「ん、上手にイけたな」
男の優しい声が聞こえる。夕刻、僕を威嚇してきた時とはまるで別人みたいだ。優しく甘やかすような、落ち着いた大人の声。
結局のところ、僕は妄想の中で彼を犯しているに過ぎない。実際に彼を抱いているのは、あの男なのだ。現実を直視するならば、僕は彼に指一本触れることさえ許されない。
イク時にイクと宣言するのって、なんかエロいし可愛いよな。僕はぼんやりと霞む頭の片隅で思った。ああいうのって、彼氏が教え込むものなのだろうか。それとも、自然と宣言したくなるものなの? どっちでもいいや。僕には知る由もないことなのだし。
ガタン、と壁の向こうから物音がする。どうやら、第二ラウンドに突入するようだ。たった今終わったばかりだというのに、飽きずによくやるものだ。
「ばか、もうむりだ……」
「何言ってんの。もうへばっちゃった?」
「すこしは休ませろってんだよ、くそ絶倫野郎が」
「インターバルなら取っただろ? ほら、エロいケツこっち向けて」
「なにがエロいケツだ」
「これがエロくなかったら世界にエロいものなんて存在しねぇよ」
「あっ、んぅ……ばか、ぁ……っ」
「やっぱりエロいケツじゃねぇか。腰揺れてるけど、気付いてない?」
「ちが、っ、これはおまえが……っ」
「何が違うんですかぁ? こんなにかわいくおねだりしてるくせに」
「やめっ、やっ、あっあっ、あぁっ!」
一体どんな体位でしているのだろう。ケツケツうるさいから、バックでしているのだろうか。壁が透けて見えればいいのに。もちろん、そんなことは不可能なわけだけど。
換気したくなって、窓を開けた。夜はまだ肌寒い。涼しい風が吹き込む。窓を開けた音は隣室にも聞こえたと思うが、隣の二人はそんなことは全く意に介さず、熱烈に愛し合っている。行為に夢中で、隣室の物音なんて耳に入らないのだろう。
全く、愚鈍なカップルだ。僕が盗み聞きしているとも知らず、決して実を結ばない行為に夜な夜な耽っているのだから。
都会の夜空に星は瞬かない。夜道を照らす街灯の明かりが涙に滲んで、二つ三つと重なって見えた。
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