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第八章 君のいる八月③

 直視することもできないくらい青く輝いていた海が、いまや茜色に染まっている。沈みゆく太陽が山の稜線を鮮やかに燃やし、最後に残るのはぼんやりと滲む赤だけだ。自分の輪郭さえ朧気にぼやけて、夕焼けの海に溶けていく。  海辺の神社で夏祭りが行われているらしかった。賑やかな祭囃子が潮風に乗って聞こえてくる。せっかくこんなところまで足を延ばしたのだ。少し見物していくことにした。  辺鄙な田舎町だが、祭りともなればそれなりの人出だ。神社の境内や参道には屋台が並び、浴衣姿の人々が行き交っている。俺達の育った村でも祭りは毎年行われていたが、それと比べてもかなり立派な夏祭りだ。   「子供神輿。覚えてるか?」 「ああ、毎年一緒に担いだよな。肩痛くなんだよな、あれ。まだやってんのかな」 「さぁな。どこも少子高齢化だ」 「あんな祭りでも、俺は結構楽しかったぜ。年一回の特別感もあるし」    屋台の一つも出ない、小規模な村祭りだった。屋台が出ない代わりに、婦人会から手作りのおにぎりが振る舞われる。大人神輿と子供神輿が町内を練り歩き、立ち寄った先の家々で菓子や飲み物が振る舞われる。冷えたスイカや焼きとうもろこしを出してくれる家もあって、それが嬉しかった。   「何か食うか?」 「食い物もいいけど、祭りと言やぁやっぱあれだろ。射的」    こんな機会でもなければなかなかお目にかかれない、屋台のゲーム。高校時代、隣町の祭りに参加した際に初めて遊んだ。あの時は、菓子の一つくらいは取れた気がする。   「何狙うんだ」 「任○堂ス○ッチ」 「無理だろ」 「じゃなかったら、あのでっけぇぬいぐるみ」 「どっちにしろ無理だな」 「まぁ見てなって。俺の射撃テクに腰抜かすから」 「へぇ。相当な自信じゃねぇか」    一回五発で五百円。プラスチックの銃にコルクの弾を込めて撃つ。結果は、お察しの通りだ。参加賞の飴玉を握りしめる俺を、歩は愉快そうに嘲笑った。   「はっ、射撃テクが何だって? 聞いて呆れるな」 「いやこれは無理だって。あの当たり札、絶対テープかなんかで固定してあるって!」 「てめェの実力不足だろ」 「だってビクともしなかったじゃん? 一応弾は当たったのに!」 「結局一回しか当てられてなかったろ。雑魚じゃねぇか」 「うるっせぇ! じゃあお前できんのかよ」 「まぁ、てめェよりはうまいんじゃねぇか」    一回五発で五百円。まんまと的屋の戦略に乗せられた気もするが、歩もまたおもちゃの銃を構え、コルクの弾をぶっ放した。結果はお察しの通りだ。参加賞の飴玉を握りしめ、歩は悔しそうに舌打ちした。   「何だ、この銃。壊れてんだろ」 「いや、正真正銘お前の実力不足だよね?」 「弾も真っ直ぐ飛ばねぇし、当たっても変に跳ね返りやがるし」 「そりゃそういうもんだからね。ていうか、お前の弾全然当たってないし、端っこをちょこっと掠めてただけだからね? 命中率で言えば俺の方が断然上だから」 「二発掠めたおれの勝ちだな」 「いや、一発でもちゃんと当てられた俺の勝ちだろ」    敗者同士の不毛な争いだ。結局、この手に残ったものは飴玉二つだけだというのに。なお、二つとも味は同じだった。   「せめて何かしらは当てたいよな」    ということで、外れなしのくじを引くことにした。   「やっぱス○ッチほしい~」 「まだ言ってんのか。目標は低い方がいいってさっき学んだろ」 「本体じゃなくてソフトでもいいんだけど」 「ソフトだけでどうやって遊ぶつもりだよ」    一回三百円のくじを、とりあえず二回ずつ引いた。結果は予想通り。大したものは当たらない。俺は、ポキポキ折って光るブレスレット。歩は、名前も知らないキャラクターの消しゴムだ。  ただ、二回目に引いたくじはそこそこいい景品が当たった。ピカピカ光る飾りの付いた、おもちゃの指輪。いかにも女の子が喜びそうなおもちゃだが、意外にも種類は豊富で、様々なモチーフの中から好きなものを選べるらしかった。   「お前、どれがいい」 「おれが選ぶのか」 「ピンクのハートとかどう?」 「てめェがそれでいいならいいんじゃねぇか」 「ちょっとぉ、真面目に考えてくんない?」 「……別に、普通でいいだろ」 「普通って何だよ。ほら、色々あるよ? よく見てみ? クマさんとかウサギさんとかいるよ? こういうのじゃなくていいの?」 「てめェはおれがいくつに見えてんだ……」    ピンクのハートも捨てがたかったが、歩が普通でいいと言うので、宝石モチーフのものにした。色も何種類かあったが、俺は迷わずシルバーを選んだ。  景品を受け取ってすぐにスイッチを入れる。白銀の宝石が鮮やかに明滅する。俺は歩の左手を取り、その薬指に指輪を通そうとした。   「ん? ……あれっ?」    しかし、子供向けに作られているせいか、関節で引っ掛かって指の付け根まで入らない。仕方がないので薬指は諦めて、左手の小指に指輪を填めた。   「……締まらねぇなァ」    小指で光る指輪を見て、歩は呆れたように笑った。   「ゴメンねぇ!? お前の指が予想より逞しくってさぁ!?」 「まァ、この場所はいざって時のために空けとかなきゃならねぇからな」 「っ……」    それってつまり、プレゼントしたら貰ってくれるってことだよな? とは聞けなかった。それこそあまりに格好が付かない。俺にだってなけなしのプライドがある。   「まぁ待ってな。そのうちでっけェダイヤの指輪買ってやっから」 「給料三か月分か?」 「そッ……れはちょっと……キビシーかも……」 「ふん。期待しねぇで待っててやらぁ」 「いやそこは期待して!?」 「今はこいつで十分だ」    歩は、左手を彩るおもちゃの指輪を愛おしそうに撫で、目を細めた。

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