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第八章 君のいる八月⑤ ♡
夜は海辺の民宿に泊まる。「後でな」という歩の言葉を信じて、俺は律儀にその時を待った。大浴場で一日の汗を流し、糊の効いた浴衣に着替え、ふかふかの布団にダイブして、それでもまだ“その時”は訪れない。
「付き合えよ」
冷えたグラスと四合瓶を手に、歩が誘う。歩もまた、俺と同様に浴衣姿だ。同じものを着ているはずなのに印象が違って見えるのは、着こなし方のせいだろうか。衿をきちんと合わせて、裾が真っ直ぐ整っていて、帯も綺麗に結んである。俺はまんまと誘い出されて席に着いた。
「気が利くじゃねぇの。いつの間にこんなの用意したんだよ」
「下の売店で買ったんだ」
青い酒瓶を傾けて、歩が酒を注いでくれる。冷えたグラスに透き通った酒が注がれる。俺も歩のグラスに酒を注ぎ、杯を交わした。
「……うまい」
「ああ」
「いい酒だな」
すっきりと爽やかな口当たりと、清涼感のある香り。夏に飲むにはもってこいだ。
「この辺の地酒かなんか?」
「さぁ。たぶんそうだろ」
「いい買い物したな。もう一本買って帰るかな」
「気に入ったか」
「土産にちょうどいいと思ってさ」
夜の始まりを祝うのに、これほど贅沢なことはない。一口ずつ味わいながら、俺達は互いに酒を酌み交わした。
電気は早々に消してしまった。行灯だけで明かりを取る。窓を開けると、潮の混じった夜風が吹いて、頬を撫でる。海はすぐ目の前だ。
「月だ」
海に浮かぶ月を見て、歩が言った。半月よりも少し膨らんだ月が、東の海を蒼く照らしている。さざ波が、ガラスのような水面を揺らして、月明かりを反射させる。
「綺麗だな」
「ああ」
歩は頷き、グラスに口をつける。喉仏がゆっくりと上下する。本当に綺麗だ。夜風が涼しく、月が綺麗で、時が経つのも忘れてしまいそうになる。
「たまにはいいだろ。こういうのも」
「まぁな。旅行の醍醐味って感じで」
「いい身分になったもんだ。昔は電車賃すら工面できなかったってのに」
歩は遠い目をして海を眺める。中一の夏、あの夏の日に、俺達は二人で海に行く約束をしていた。
「旅費がねぇから自転車で移動して、宿賃もねぇからそこらで野宿する計画だったよな」
「今考えるとかなり無謀だな」
「電車でも結構かかったもんな。途中で迷子にでもなりゃ一巻の終わりだぜ。しかも野宿って」
「テントも何もねぇくせにな。どこで寝るつもりだったんだ」
「その辺の草むらとか?」
「虫刺されがえげつねぇことになりそうだな」
「砂浜もありだな。今日寝てみたけど、意外と柔らかかったぜ。あとは、海の家にこっそり忍び込むとかね。ちゃんとした海水浴場なら海の家もあるだろ」
「不法侵入じゃねぇか。これだからガキは」
「なんだよ、海行きてぇって言い出したのはお前だろ? だから俺も金ねぇのにどうにかしようとして」
「待て、海行きたいっつったのはてめェの方だろ。おれは金もねぇのにどうすんだって言った気がするが」
「いや、言い出しっぺはお前だろ」
「絶対違う。こういうのはいつもてめェの無茶のせいで始まるんだ」
「普段はそうかもだけど、この件は絶対お前」
「いや、てめェだろ」
「絶対お前だって」
「絶対違げェ」
堂々巡りの水掛け論が展開されたが、歩が不意に笑みを零したことで終止符が打たれる。
「まァ、どっちでもいいんだ、んなこたァ。おれもてめェも、結局よく覚えてねぇっつーこったろ」
「はん。そーいうことにしといてやらァ」
「唯一分かるのは、無謀な計画を立てて頓挫したっつーことだけだな。でもおれは、結構楽しみにしてたんだぜ。てめェと海に行くのを」
「……」
「だから、てめェが一緒に計画を立ててくれただけで、おれには十分だったんだ」
「……たぶんさァ、あれじゃない? お前がどっか行きたがってるのを察して、俺が誘ってやったんだよ。俺ってば昔っからやさしーから」
「かもな。実際、あのままじゃ日記が空白のままだった。おれはお前に、どこかへ連れ出してほしかったのかもしれねぇな」
「……」
俺も同じだった。歩を連れ出して、二人きりでどこか遠くへ行きたかった。あの村は、中学生の俺達にとって狭すぎた。
「満月でもねぇのに、やけに月が明るいな」
歩は再び窓の外へ目を向けた。蒼く冴えた月明かりが差し込んで、歩の項を照らしている。酒が入ったせいか、着衣がいくらか乱れている。俺は、グラスに残っていた酒を空にして、月に見惚れる歩に口づけをした。
「んっ……」
口移しで酒を流し込む。歩は素直にそれを飲んだ。口の端に伝う酒を舐め取り、挑発的にこちらを見上げる。
「……まだ昔話の途中だろ」
「後でな」
「後でって、それはおれの……」
歩のグラスをテーブルに置き、手を握って指を絡めた。浴衣の衿を緩めて、露わになった首筋に唇を落とす。
「あったけぇ。酔ってるから?」
「このくらいで酔わねぇよ」
「でもすげぇあったけぇよ」
歩が酔っているのか、それとも俺が酔っているのか、触れた肌は温かく、むしろ熱いくらいだった。軽いリップ音を鳴らし、夢中で唇を落とす。
「なんかいい匂いする」
「食うつもりか?」
「それもいいかもな」
鎖骨を噛み、舌を這わせ、耳を噛んだ。耳たぶを舐め、舌をねじ入れ、穴の周囲を舌先でくすぐる。細い体がピクピク震えているのが伝わってくる。
「っ……んなとこ、やめろ……」
「いーじゃん。気持ちい?」
「っ、ん……」
耳舐めだけで素直な反応を見せてくれるから、俺も気持ちがいい。唾液を含ませてわざと音を立ててやる。
「ん、……准……っ」
歩が、空いている右手を俺の腕に絡ませる。意識的なのか無自覚なのかは分からないが、素直な甘え方が可愛い。
「なぁ、……」
「んー、もうちょい」
緩んだ胸元をさらに大きく開けさせる。白い肩が露わになる。月明かりに濡れている。俺は吸血鬼のように歯を立てて噛み付いた。
「痕つけんな、ばか」
「いいだろ。どうせ見えねぇし」
歩は、痕はつけるなと口では言うくせに、すっかり脱力して壁にもたれ、おいしそうな柔肌を惜しげもなく曝け出す。そんなことをされたら、俺も応えずにはいられない。
薄布の隙間に、桜色の突起が恥ずかしそうに顔を出す。昼間、灼熱の砂浜で、太陽の光を一身に浴びていた時と比べると、どこか淑やかで奥ゆかしい。俺が舌を這わせてしゃぶり付くと、歩は白い喉を反らした。
「っ……吸うな……」
「だって甘ェから」
「ばか……」
つんと尖った乳首を舌に乗せ、飴玉を溶かすようにころころ転がす。もう一方の胸は手で弄り、指先でくりくり捏ね回す。そうしながら、反対側の乳首を唇で摘まみ、甘く噛んで、舌先で舐り立てる。ちゅぱ、と唾液を纏わせ吸い上げると、口の中で可憐に弾む。
しっとりと濡れそぼった桜色は、月明かりを浴びててらてら光り、より一層妖艶だ。何かを訴えるように、歩は繋いだ手をきつく握りしめた。
「准……、窓、閉めろ」
「なんで。声出ちゃうから?」
「…………いずれはそうなるだろ」
「ふぅん。いずれねぇ」
俺は、窓を閉めるふりをして離した手を、浴衣の裾に滑り込ませた。
「おい……」
「まぁまぁまぁ」
そのまま手探りで手を忍ばせ、衣服の下に隠された素肌に手を這わす。しっとりしていてすべすべで、やっぱり温かかった。
「変な触り方すんな。くすぐってぇ」
「だって気持ちいいんだもん。ここに挟まれて死にてぇ」
「変態くせェ……」
歩は呆れた様子で首を振るが、その鉄壁の防御は崩れつつある。膝が崩れて裾が乱れ、見るからに柔らかそうな太腿がちらちら見え隠れしている。月明かりの差す薄明かりの部屋で、肌の白さが際立って見える。
「もっと触っていい?」
「……だめっつったらやめんのかよ」
「ムリだな」
衣服の下で、さらに際どい場所へと指を滑らせる。太腿から鼠径部をなぞって、下着の中に指を入れる。
「もう濡れてる?」
あえて意地悪を言ってやると、歩は怒ったように顔を背けた。差し出された耳を噛んでやれば、咎めるようにこちらを振り向く。
「いちいちまどろっこしいんだよ、てめェは」
「なんでだよ。俺はこういうの好きだぜ。イチャイチャすんの」
「イチャイチャって……」
「それに濡れてんのもホントだし。歩クンの歩クンもずいぶん立派になりましたねぇ」
「どこに話しかけてやがる」
芯を持ち始めた中心を、掌に収めて撫でてやる。優しく擦ると、我慢できなかった汁が溢れて俺の手を濡らす。歩は堪えるように目を伏せる。睫毛が微かに震えている。
「ガキの頃は裸で水遊びとかしてたよな。学校のプールでも、いちいち隠すとかいう概念なかったし、平気で見せ合ったりしてさ。どっちが大きいとか小さいとか言って」
「んなこと……」
「絶対してたって。これはマジ。ガキの頃のお前のちんちん、記憶にあるしよ。白くてつるつるで、まぁ俺のも似たようなモンだったんだろうけどな。あの頃はエロいとかいう感覚なかったけど、まさかアレがコレになるとはねぇ」
「っ、准……!」
歩が僅かに声を張った。その両手は縋り付くように俺の腕に巻き付いている。すっかり蕩け切った表情で、何か言いたげに見つめてくる。
「はやく……」
「早く、何? してほしいことあんなら、正直に言ってくんねぇと」
「っ、……」
また意地悪を言ってしまった。歩は悔しそうに瞳を潤ませる。言葉なんかなくたって、何をしてほしいかなんて分かるに決まっているのに。「もっと触れ」か「キスしたい」かな。そんな唇をしている。
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