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第2話

談笑する声、食器の触れ合う音、何かが焼ける音が絶え間なく響いている厨房、においがついて取れない指定された制服。  従業員入口を出て路地裏に立った瞬間、何もかもから解き放たれた気分になる。  重い鉄の扉を押して外に出ると、空気は澱んでいるのにやけに清々しい。ビルの隙間から見上げる狭い星空も嫌いじゃない。  桜井は思い切り伸びをして小さく唸った。  どれだけ悩んでいようと、クラスメイトに秘密がバレようと、シフトが入っている限りは出勤せざるを得ない。もちろん今日も例外なく出勤したわけだが、普段以上に疲れているような気がした。  賄いでもらった余り物のピザ入りのビニール袋がカサカサと音を立てる。押し寄せる疲労感に気づかないふりをして駅の方向へと歩き出した。  五月に入りそれなりに新生活に慣れ始めたこの季節、新入生や新入社員の歓迎会も四月に引き続きまだまだ多いシーズンとあって夜は賑わっている。  トラブル回避のためサラリーマンの集団や笑い声の大きい大学生を避けつつ端を歩いていると、すれ違いざまに視線を感じて思わず身を竦めた。振り返る勇気もなく早足で飲食街を抜けようとすれば足音が近づいてくる。気のせいではないと察した瞬間、目の前に先回りされて行手を阻まれた。 「ねぇ君、高校生?」  頭上から降りかかった声に恐る恐る顔を上げると、下卑た笑顔を浮かべる男が桜井を見つめていた。男は草臥れたスーツに身を包み、値踏みするように上から下まで桜井の体に視線を向けている。  幸い顔見知りでもなければ補導のために見回りをしている警官でもなかったが、知らない人間とこんな場所で立ち話をするのは憚られた。  ため息をつきたいような気持ちになりつつ、穏便に済ませるために曖昧に微笑んでこの場を立ち去ろうとすると腕を掴まれた。 「お金、困ってない?」 「え……」 「ホ別で五出す。すごく好みなんだ」  意味のわからない単語を並べ立てられ桜井は困惑していた。血走った目に異様なものを感じる。  桜井の腕を容赦なく掴む手を振り解こうとしてもびくともしない。 「バイトでちまちま稼ぐよりも効率いいよ」  力強く腕を握り直されて呼吸が浅くなる。  まずいことに巻き込まれたと頭ではわかっていても体が動かせない。誰かに助けを求め大きな騒ぎになって学校に知られたらと思うと迂闊な対応もできなかった。 「あの、」  声が情けなく震えて頬にかっと血が昇る。  桜井の反応を見て男は嬉しそうにさらに口角を上げた。 「こういうの初めて?」 「何言って……」 「大丈夫。すぐ慣れるよ」  近づいてくる気配と込められた力に震えが増していく。喉の奥が締め上げられたようで声が出ない。  思わず逃げるように後退りすると不意に腕を掴まれていた手が離れた。一気に訪れた開放感に呆気に取られていると目の前に影が落ちる。  桜井を庇うように立ちはだかる大きな背中と、見上げるほど高い位置にある小さな頭に見覚えがある。緩くカーブを描く襟足が視界に飛び込んできた瞬間、神崎だと気がついた。今朝校舎裏で見送った背中が今目の前にある。 「おい、何触ってんだよ」  冷たく低い声なのに、心底安堵した。  あれほど顔見知りと遭遇したくないと思っていたこの街で再び神崎に遭遇し、助けられている。  状況を理解しても頭は処理しきれず言葉が出ない。 「な、なんだよお前……!」 「この子の連れだけどお前こそ何?」  神崎の美しい容姿に惹き寄せられるように周囲からの視線も集まり始め、男は舌打ちをして走り去って行く。雑踏に消えた後ろ姿を呆然と見つめ、桜井はその場に立ち尽くした。 「大丈夫か」  夜の光を受け止めて振り返った神崎と目が合い、安心感から一気に脱力した。その場に崩れ落ちそうになった桜井の体を神崎の腕が支える。見た目の印象よりもしっかりとした腕が桜井を支えたまま人気のない場所へと誘導してくれた。

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