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chapterⅡ 奴との過去②

それ以降、慎文が訪ねに来てもあのキスの恐怖を思い出しては、部屋に招き入れることはしなかった。 母親がうっかり家に上げることがあっても頑なに追い返す。狭い田舎で尚且つ家が隣同士。 偶然鉢合ってしまうことがあったが、お互いに友達がいるときで上手く回避できていたし、家の前で待ち伏せされていても踵を返して奴に合わないように細心の注意を払っていた。 そんな慎文を警戒しながらの高校生活が過ぎていき、進路はなんの躊躇いもなく短大への進学を選ぶと自然と街の方で独り暮らしを始めることになった。 就職や近場の大学という選択肢もあったが単純に慎文から逃げたかったからだった。 札幌で暮らし始めてからは年末年始に実家と慎文の家が集まって年を越す恒例行事には参加せず、サークルの友人達と呑んで騒ぐことが多くなり、実家に帰省することはなかった。 両親が嫌いなわけではないし、帰らなければと思うものの、慎文の存在が和幸の帰省を躊躇させる。  大学を卒業した春。就職先も決まり、母親伝いで慎文が寮に入ったと聞いた和幸は、社会人になって忙しくなる前に実家に帰ることにした。 今まで慎文を警戒して電話だけだった連絡。  せめて親に顔を見せてやるのと、実家に置いてきた荷物を整理するためだ。  この日は昼過ぎに帰ってくると、家族団欒で夕食を食べ、久々の母の味に上機嫌のまま泊まるつもりで二階の自分の部屋でベッドに凭れ、休んでいた。 暫くして扉が叩かれる音がし、どうせ母親だと信じて疑わなかった和幸は気だるげに扉を開ける。 「母さん、な……に……」 「カ、カズくん久しぶりっ」  目の前の人物に身が震えるほどの寒気を覚えた。隣の家にはいないはずの慎文が立っている。 しかも、最後に真面に会った日から目まぐるしく成長を遂げているのか、和幸よりも数センチ身長が高く、中学生のときは細くてひょろ長かった体格も太くてしっかりとした大人の男になっていた。 制服を着ているから高校生だと分かるものの私服だったら大学生に間違えられても不思議じゃない。  慎文の見た目がどうであれ、恐怖の対象でしかない奴と顔を合わせてしまったことが一大事であった和幸は、絶句した後すぐさま扉を閉めようとしたが、ドアを掴まれて阻止される。 「待って。俺、カズくんと話がしたい」 「俺は話すことないけど?つか、お前寮に入ったんじゃなかったの」 「今日は……。明日祝日だから家に帰る許可もらってて、帰ってきたらカズくんの部屋の電気がついていたのが見えたから、もしかしたら居るかと思って……」  目を伏せながら頬を赤らめてそう告げてくる慎文に舌打ちをした。 寮にいるなら家に帰ってこないものばかりだと思っていたから想定外だった。今すぐにでも追い返したい気分であったが、顔を合わせてしまった手前、奴があっさり引くとも思えず、和幸は腕を組んでドア枠に凭れかかった。 「話ってなに」  手早く済ませて早く帰してしまいたい。和幸が半ば邪険に問うと慎文は左右をキョロキョロし始め、もじもじと人さし指を擦り合わせながら部屋の奥を覗いてきた。 「中入っていい?ここじゃあ、ちょっと……」 「ダメだ。ここで充分だろ」  廊下じゃ話せない話をするつもりなら尚更、部屋に入れる訳にはいかない。 目の前の男は「でも……」と呟きながら、口をパクパクさせて目を伏せていた。お互いに一歩も譲らない状況下で、これでは時間だけが無駄に過ぎていく。 「此処で話さないなら……」 「あんた達こんなところで何してるの?」 和幸は強制的に話を終わらせ、扉を閉めようと手を掛けたところで、一階を繋ぐ階段から母親が上がってきては視線が合ってしまった。 紅茶と焼き菓子が乗ったトレイを手にして、和幸らを見ながらきょとん顔をしている。  母親が見ている前で慎文を邪険に扱うわけにもいかず、閉めかけた扉を元の位置までそっと戻した。母親が来たということは凄く嫌な予感がする……。 「そんな所で立ち話してないで、慎文くんと部屋で話したらいいじゃない。貴方たち久しぶりよね?お茶入れてきたから、ゆっくりしてって?」  茶菓子なんて部屋に上げて長居をさせるようなものを持ってこられてしまった。事情を知らない母親からしたら当然の行いだと分かっていても、和幸にとってはありがた迷惑だった。 「母さん別にいいよ。話は終わったし、慎文だって忙しいだろうし長居はできないだろ?」  どうにか切り抜けようと自分に有意な方向に話を誘導させる「そうなの?」と問う母親に大きく頷いて安堵していると、慎文が躊 躇いがちに「僕、学校は明日休みだし、時間はたくさんあるので……。できればカズくんと沢山お話したいな……って」と呟いてきた。 「そうよねー?あんた何勝手な事言ってるのよ。ほら遠慮なく、上がんなさい。それにしても慎文くん、すっかり男らしくなっちゃってー」 「いいえ。おばさんこそ相変わらずお綺麗です」 「いやだあー。口もお利口になっちゃって。さあさあ、入って頂戴」  母親と奴の会話が弾んでいる中、和幸は腕を組んで二人を傍観していた。無駄に人懐っこく、愛嬌のある奴は小さい頃から母親共々、痛く周囲に気に入られていたのを思い出した。   奴の方が一枚上手だったのが悔しい。 「入って頂戴って此処俺の部屋なんだけど。入っていいなんて一言も……。ってえ」  このまま二人のペースにのまれてしまうのが悔しくて僅かな抵抗で口を挟むと、母親は入口を塞いでいる和幸の脛を何食わぬ顔で、足先で蹴ってきては、押しのけて部屋の中へと入って行った。蹴られた脛がじーんと痛み、屈んで両手で押さえながら悶えているうちに、部屋の真ん中のミニテーブルに茶菓子が置かれてしまう。 「じゃあ、慎文くんゆっくりしていって頂戴ね。和幸、いいわね。慎文くんをいじめるんじゃないわよ」 「はい、ありがとうございます」  母親は慎文に優しく微笑んだ後に、和幸には当たり口調でそう言い残すと階段を下りて行ってしまった。 いつの間にか慎文も部屋の中へと入り、扉が閉められたところで頭上から控え目な笑い声が聞こえて顔を上げる。こんな状況で笑っていられる奴なんて一人しかおらず、和幸は奴の顔を思い切り睨んだ。 すると、慎文は「ごめん……」と呟き眉を下げていた。

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