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chapterⅣ 指輪にキスと奴の不穏①
翌日も慎文の用事に付き合わされるようにして映画を見たり、レジャー施設で室内テニスをして遊んだりと、日頃自宅で読書やゲームをしている和幸とは真逆のアクティブな休日が終わった。
慎文への警戒心からくる緊張も相まって、ろくに体が休まらないまま、またいつもの一週間が始まる。
ワイシャツの上からニット素材のベストを被り、その上からジャケットを着る。
昨日の運動からの筋肉痛をかかえながら灰色のウール地のロングコートを手にして部屋を出ると、朝食のフルコースがテーブルに並べられていた。
「カズくん、御飯できてるよ」
ダイニングテーブルに座り、既に食事をしている慎文に満面の笑みで挨拶された。
相変わらず朝から胃もたれしそうな量の朝食。角食に目玉焼きにソーセージと一昨日よりはマシではあるが、和幸にとっては多すぎる量であった。
「朝は時間ないし、珈琲だけでいい」
椅子の背もたれにコートを掛けてテーブルを素通りしてキッチンへと向かう。
頭上の戸棚からインスタントコーヒーを取り出し、マグカップに粉を落としては、ケトルでお湯が湧くのを待っていた。
「せめて角食だけでも食べなよ、朝食食べないと頭働かないって良く言うし……」
朝は低血圧のせいか、慎文の母親のような小言が耳に障りで溜息がより深くなる。
反論するのも億劫でお湯を注いでカップの柄を持ちながら、気だるげにテーブル椅子に座った。
正直食べる気にならなかったが、出された手前で残すのは幼いころから食に関してだけは厳しかった親の下で育ったせいか、それは出来なかった。
角食をひと齧りして、ソーセージと目玉焼きに手を付ける。
ふと、和幸が自宅に居ない間の慎文がもしかしたら外出するかもしれないと頭を過らせた。和幸はコートのポケットから自宅の鍵を取り出しては慎文に差し出す。
「鍵、お前。きっと出かけたりするだろ?」
「うん」
此奴が買い出しや掃除を勝手にしてくれていることは分かっている以上、鍵を渡さない訳にはいかなかった。
お互いの実家は田舎だから治安は然程悪くはない。
故に戸締りに関して用心がないことは知っている。その警戒心のなさから、以前買い物だけだったから鍵を掛けずに出たと言われた時は肝が冷えた。
普段使っている予備の方を奴に渡して本鍵をテレビボードの引き出しから取り出すと自分のキーケースに移し替える。
「ありがとう、本当の恋人みたいで嬉しい……」
慎文は笑みを浮かべながら鍵を受け取ると朝飯そっちのけで何の変哲のないただの鍵を眺め始めた。確かに恋人に合鍵を渡す光景はよくあることではあるが、慎文に心を許したつもりで渡した訳じゃない。鍵が開いたまま外出されるよりはマシだったからであった。
「帰る時には返せよ。お前にあげたわけじゃないからな」
とんでもない勘違いをされても困るので御灸をすえるように忠告してやると、「はーい」と間延びした返事が返ってきて半信半疑に
なる。
細かいことを気にしすぎても心労が増えるだけなので時が来たらもう一度言ってやればいい。
和幸は朝食を食べ終えると、コートを羽織って玄関先へと向かった。同時に慎文もお見送りをするつもりなのか、後を追ってきていた。
和幸が靴を履き、振り向いたところで「はい、お弁当」と弁当袋を手渡される。
これが可愛い彼女であれば気分も上がるのだろうかと思いながら、渋々受け取ると慎文に右手首を掴まれた。
「指輪、してくれてる」
「ああ、一応貰ったもんだし」
慎文は顔を傾けて和幸の薬指に光る指を認めると安堵したかのように頬を綻ばせる。
一昨日、慎文から贈られた指輪。本当は身に付けたくはなかったが、自身が贈ったものをちゃんとしてくれているのか、気にしてくることは何となく予想がついていた。
形だけでもと思いながら嵌めたのは部屋を出る前のこと。当然、仕事中はするつもりはない。同僚や上司に突っ込まれるのは面倒くさいからだ。
和幸が手を引っ込めて下げようとするとそれよりも強い力で慎文に引っ張られ、薬指の指輪目がけて唇を落とされてギョッとした。
「お前、何やってんの」
途端に寒気がして奴の手を振り払うと眉に皺を寄せて睨みつける。
「行ってらっしゃいのチュー」
「はぁ……。やめろよ」
「行ってらっしゃい、カズくん」
完全に油断をしていた。朝から怒鳴るのも労力を使うのでしたくなかった和幸は、逃げるように玄関扉を開ける。
マンションのエレベーターに乗り込んだところで漸く一息をつく。
和幸は即座に指輪を外して鞄から指輪の箱を取り出すと、元あった場所へと納めた。
しばらくしてスマホがコートのポケットの中で震えたので画面を確認する。内容は「仕事終わったら迎えにいくね」と言う慎文からのメッセージだった。
和幸は一読だけすると返信をせずにスマホをポケットに戻し、奴が来てから何度目かも分からない溜息をついた。
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