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chapterⅣ 指輪にキスと奴の不穏②

奴から浴びせられる熱視線からの解放。普段は気だるい仕事も慎文が自宅にいるこの期間は幾分かマシに思える。 しかし、昼の時間を迎えて同僚の松原まつばらと休憩ラウンジに連れ立った和幸は躊躇しながら弁当袋をテーブルに置くと紐を解いていた。気持ちが晴れやかにならない原因はこの弁当にある。 「井波が弁当なんて珍しいな。彼女でもできたのか?」 「いいや、幼馴染の仕業。今遊びに来ているんだよ」  案の定、松原は真っ先に弁当について触れてきた。当然だ。独身で普段買い食いをしている男が手作り弁当なんか持ってきたら小突かれることは予想がついていた。 「ああ、例の?毎年この時期に来るっていう?」 「そう」  松原は唯一社内で、肩の力を抜いて話せる同僚だ。とはいうものの、話すのは仕事の愚痴やら趣味の話 で学生からの付き合いとは違う、仕事上だけの人間関係にすぎないが……。  毎年のようにこの時期になると弁当を持たされることから、性別は告げずに幼馴染事情だけは話していた。 「いいよなー。世話焼きの幼馴染って、憧れるだろ」 「どこが、鬱陶しいだけだろ」 「でも漫画とかでありがちじゃん?」 「俺のとこは漫画みたいに美人でもなんでもないから」  美人というよりは、イケメン。顔がいいことには変りないが、和幸にとっては嬉しくも何ともない話だ。 「でもさ、その幼馴染。毎年のように来るってことはお前の事、相当好きなんだろ?」 「まぁ、どうだか」 和幸が言葉を濁して返答すると松原は「クリスマスに女と一緒なんて勝ち組じゃん」と口を尖らせていた。  彼自身はかれこれ二年程恋人がいないらしい。そんな男に、『男に迫られる身にもなってみろよ』と口を滑らせたくなったが、喉元まで出かけて飲みこんだ。 職場上の付き合いでなら尚更、慎文のことは知られたくない。  しばらく松原と雑談をしながら昼食をとっていると辺りが急に騒がしくなった。  昼の買い出しに外出していたのであろう女子社員達がぞろぞろとラウンジに入ってくる。 「ほんとあの人イケメンだったよねー」 「酪農家にあんなイケメンいたんだねー。彼女とかいるのかなー」 特別に聞き耳をたてていたわけではないが、自然と会話が入ってきた。集団意識の高い女性の習性が不思議ではあるが、こうも騒がしいものかと耳に障る。 「あの人の名前なんだっけ……」 「やぎたって名札に書いてなかった?下の名前は読めなかったけど」 誰がカッコいいだとか容姿ばかり重視した会話に内心で卑屈になっていると聞き覚えのある名前を耳にして思わず会話に集中してしまっていた。 「えー。私明日も行って話し掛けてこようかなー……」 「なになに?狙ってんの。やめときなよー。結婚したら牛の世話手伝わされるって」  まだ知り合いですらないのに結婚うんぬんで盛り上がる女性たち。それよりも和幸は冷や汗をかいていた。 『やぎた』と言えば和幸の中で一人しか浮かばない。  まさか……。この時間のアイツは自宅にいる筈だ。今朝の奴自身からも催しに出るような素振りを見せていなかった。  彼女たちがどこで『やぎた』という男に出会ったかは知らないが、休憩時間で行ける範囲なのであれば徒歩圏内なのだろう。 「井波どうした?」 「いや、なんでもない……」  嫌な予感を過らせていたことで箸を止めてしまっていたところを、松原に声を掛けられて我に返る。  適当に誤魔化して笑うものの、松原の世間話も上の空で、不安が拭えないままの昼休憩が終わった。

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