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chapterⅤ 向き合う好意③

「よおー。カズくん」  就業時間が過ぎ、いつものように会社のビルを出ると和幸の名前を呼び、手を挙げて大きく振ってきている男がいた。慎文ではない。  慎文よりもやや低めの身長の男は昨日の櫂とかいう男だった。 その男の隣には萎縮した様子で背中を丸めている慎文が突っ立っている。昨日の様子からして、慎文と関りを深めてくるだろうと思っていたが、まさか和幸の会社まで連れてくるとは思わなかった。 できればあまり関わりたくない男。和幸は深く息をついて呼吸を整えると奴らの元へと近づいた。 すると、和幸が歩み寄る途中で、慎文が狼狽えながら和幸の元へと駆け寄ってくる。 「カズくんごめん……。先輩がどうしても着いてくるって言うから……」  細々とした小声で慎文が謝ってくる。それを数メートル離れたところから聞いてか聞かずしてか、櫂が後ろから近寄ってきては慎文の肩を叩いていた。 「久々の再開だったから嬉しくてさ、慎文を飯に誘ったら用事があるって断られたんだよ。俺より大事な用ってなんだよって問い詰めたら『カズくんと帰るから』ってそれ聞いたら余計に引き下がれなくてさ」  苦手な先輩からの誘いであれば適当にはぐらかして断ればいいものを、正直に話す慎文は器用にみえて不器用なのか。普段であれば怒って睨みのひとつでも利かせたくなるが、部活の先輩ともなれば気弱な慎文には強く言えるほどの肝はないのだろう。  万年帰宅部であった和幸には無縁の話であるが、体育会系の部活であったのであれば尚更、先輩には反論できないのだろう。 「だからって、わざわざ着いて来なくてもいいのに……」 「やっぱり慎文の好きな奴がどんな男か気になるじゃん。俺が見定めしてやるよ」  櫂に上から下まで嘗め回すように見られて、和幸は顔を顰めた。 「ああ、俺は帰りますので二人でごゆっくりどうぞ」  慎文のことを考えなくもなかったが、自分がこの男と飯を食うのはとてもじゃないが堪えられない。それに慎文と一緒に帰ることを望んでいる訳でもなかったので好都合だった。 和幸は櫂に背を向けて自分はそそくさと帰宅しようと踏み出した所で、慎文に手首を掴まれて振り向くと奴はどこか不安げな表情(かお)をして目で訴えてきていた。 「で、俺に何か用ですか?」 あくまでも慎文の先輩だから和幸も乗ってやる義理はないし、慎文もいい大人なのだから自分の意志で断ればいい。 そう思っていたが、慎文の性格の頼りなさというべきか、はっきりと物を言えない未熟さに兄心から手を貸してやりたくなってしまった。 「おっ。乗ってくれるの?じゃあさ、カズくんも一緒に呑み行こうよ」 「少しだけなら、すぐ帰りますけど」 和幸は帰ることを強調しつつも、短期間とはいえ仕事仲間である慎文の面子を立てる為にも櫂の誘いに乗ることにした。   櫂に連れられて飲み屋街にあるチェーン展開されている居酒屋に足を踏み入れた。 商業ビルの建物内の一階。店内は然程広くはなく、開けたカウンター席とボックス席の背もたれには襖の間仕切りが立てられている。案内されたのはボックス席の方だった。  櫂が奥側の席に座ると、その向かいに慎文と隣同士で座る。斜め向かいの男は、席に案内されたと同時に生ビールを頼んでいたので和幸も慎文も同じものを頼んだ。  流石に居酒屋に来てお酒を頼まない訳にはいかない。一杯だけ飲んだら帰るつもりでいた。 「そういえば、名前。俺、櫂理人。慎文と同中だった先輩。よろしくカズくん」  慎文に呼ばれるのですら抵抗のあるあだ名を馴れ馴れしく、ほぼ初対面で年下の男に呼ばれるのはあまりいい気がしない。煮えたぎる怒りを抑えて、愛想笑いをする。 「慎文から存じてます。申し遅れましたが僕は……」  大人の所作を崩さぬように牽制するつもりで丁寧な物腰で自己紹介しようとしたとき、「知ってる。幼馴染の井波和幸だろ?」と横槍を入れられて、思わず息を呑んだ。知っているにしても相手の話を最後まで聞くという概念がないのだろうか。 「よくご存じで……」 「慎文がさ、よく相談してきてたんだよ。カズくんのこと」 第三者から自分のことを話していたなどと聞いてあまり心地いい気はしない。慎文を鋭く睨んでやると「ごめん……」と呟きながら俯いていた。 幼い頃から慎文は正直に話し、素直に受け止める性格だった。だからと言って敬遠している先輩に対して易々と恋愛相談を持ち掛けていた奴もどうかと思うが、その純粋さ故にそうやって櫂にも上手く丸め込まれて、予期せぬ初体験を迎えてしまったのではないかと思えてくる。 「なぁ、慎文。いつからお前ら付き合ってんの?」  櫂がテーブルに肘をついて、身を乗り出しては慎文に問う。 「さ、最近……」 「ふーん」  慎文は一瞬だけ和幸の方を見た後で、小さく呟く。 この件についても昨夜、慎文が櫂に交際していると公言した訳を「櫂に昔のように関係を迫られるのが怖かったから」と話してくれたが、正式じゃない故に多少の気負いがあるのだろう。目を瞑ってやってはいるが、和幸にとっては慎文と恋人同士など認めたくない関係だけに複雑な心境だった。 それを見透かすように櫂は目を細めて、慎文と和幸を交互に見てくる。男に向けられる視線が居心地悪い。 見定めるというよりは警察の尋問に近いほど鋭い眼差しを向けられる。和幸はあまりの居心地の悪さに慎文の身体を肘で小突いて、話題を振るように促した。 「せ、先輩は……。いないんですか。付き合っている人」 「いるわけないだろ。俺、特定のヤツは作らない主義だから」  貞操観念がなさそうな男だと思っていたが、話を聞いていると正しくその通りの男だった。 暫くテンポが悪いながらも会話を続けていると最初に注文していたビールが運ばれてきたので乾杯をする。 櫂が音頭をとり、あまり乗り気ではなかったが男のグラスに自分のグラスを合わせる。  乾杯後、礼儀として一口だけ口をつけて隣を見遣ると慎文が両手でグラスを持っては、何やら躊躇しているようだった。  手元のビールと睨めっこした後に、喉を鳴らすと口をつけては一気に飲み干す。 その姿を見て、櫂も調子づいてきたのか、飲み干した慎文に追加でグラスを注文してやると、饒舌に「あの時の慎文との体の相性は今までで最高だった」と下世話な話を吹っ掛けてきていた。    慎文は顔を真っ赤にしながら櫂の話に頷いていたが、あまりに下品すぎて和幸の酒は進まない。一刻も早く退散してしまいたかった。 「なあ、カズくんさあ。慎文どうよ?」 「どうって何が?」 「決まってんだろ、あっちの方だよ。此奴、気が小さいくせにアソコはでかいだろ?締めごたえあるでしょ?」  慎文の真横に居ながら二人の話を聞き流していると唐突に話を振られる。向けられた問いに驚きはしなかったが、まさか他人の性の事情まで聞いてくるとは思わなかった。 「せ、先輩。カズくんの前でやめてよ」 「いいじゃん。カズくんだって知ってんだろ?お前とのセックス」 「ち、違うっ」  慎文は顔を俯け大きく首を振る。今にも泣きだしそうに顔を歪めている慎文を見て、流石の和幸もあまりの節操のなさに腹が立った。 親交の深い仲間内ならともかく、唯の先輩後輩間でするような話ではない。  自ら話すならともかく、例え慎文と付き合っていたとしても他人に性事情を詮索されたくないのが当然だ。 「何、お前らまだなの?」  この期に及んで、慎文の気持ちなど構わずに男は無神経に問うてくる。和幸は我慢ならずに座席から立ち上がると、激情に任せて財布からお札を抜き出し、テーブルに叩きつけた。 「おい、慎文。帰るぞ。こんな奴の話を聞いていたって酒が不味くなる」  隣に座る慎文の腕を掴んで立ち上がらせる。 「待てよ。冗談だからさ。慎文って揶揄ってやると面白いんだよ」  面白いからと言って相手を不愉快にさせてまでしていいことではない。和幸は引き止める櫂を無視して、一礼だけすると足を踏み鳴らしながら店を後にした。  店を出て、無我夢中で駅から電車に乗り込み帰路を歩く。刺すように冷たい夜風にあたり、頭が冴えてきたのか、自宅マンションを前にして漸く冷静な頭が戻ってきた。 「おい、大丈夫か?」  ふと店を出る前まで涙目であった慎文のことが気になり振り返ると、口元を緩めてふにゃふにゃと笑みを浮かべながら此方を見てきていた。瞳がかち合うと、抱き竦められて身動きが取れなくなる。 「ちょ、お前。抱き着くのはナシって……」 一杯目のグラスを飲み干していたので酔いが回ってきたのだろうか。和幸を抱きすくめながらも少しだけ覚束ない足。全身から立ち込めるアルコールの臭い。 「カズくんが俺の名前呼んでくれたっ。嬉しい」  奴の名前を呼んだ覚えはなかったが、店を出る直前に櫂に向かって慎文のことを名前で呼んでいたことを思い出す。そんなことで嬉しいだなんて、なんて単純な奴なのだろう。 普段は意識的に距離を取るため呼んでいなかっただけに、奴の期待値をあげてしまったようで後悔する。 「お前、酔っぱらってんだろ。家すぐそこだから、ほらさっさと離れろよ」 「うーん。お酒苦手だったけど、カズくんと同じのが良かったから頑張って飲んだんだよ。カズくん褒めて」 「はぁ⁉なんで、俺が……。お前が勝手に飲んでいただけだろ」 「名前呼んで褒めてっ」  酒が苦手なくせに注文した挙句に酔っぱらうなんて呆れてものも言えない。 しかし、項に顔を埋めて甘えてくる慎文が不思議と不快ではなかった。 「え、偉いな。慎文……」 ぎこちなくゆっくり右手を慎文の後頭部に添えて、優しく撫でた。犬の毛並みのように柔らかい髪の毛の感触が心地いい。 今日は奴も奴で苦手な先輩を前にして気持ちが張り詰めただろうし、許してやってもいい気がした。 「ふふふ、カズくん。好きっ。大好きっ」 和幸が優しく頭を撫でたことで、慎文の抱き竦める力が更に強くなる。まるで逃がさないというように腕ごと拘束されてしまう。  ハグから慎文の想いが伝わり、胸が締め付けられるほどに真っすぐな奴の気持ちをどう受けとめてやればいいのか分からなかった。 これは真面に恋愛をできなかった慎文への単なる同情だ。心を動かされたわけじゃない。  弟のように可愛がっていた奴が助けを求めていたから優しくしてやっただけ。 そう云い聞かせながらも、内心では慎文に触れて、抱き竦められて嫌悪感がなかった自分に戸惑っていた。

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