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第2話 助けてと言えたなら

 連れられてやってきたのは、ホテルの一室だった。長い事滞在しているのか、服が散乱していた。ベッドにテレビ、窓辺に面した大きな机の上には絵の具や紙、描きかけの絵があった。 「それで、とりあえず話を聞いてやるよ。自殺未遂することになった経緯ってやつをさ」  備え付けの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、男が差し出してくるのを素直に受け取った。  俺はベッドに腰掛け、彼は机の前の椅子を引きこちらを向いて座った。 「……どこから話すべきかな。とりあえず……俺は照月楓季(てるづき ふうき)、テレビで見たことあったりしないかな?」 「テレビはみないんだ」 「そっか……一応アイドルやってるんだ」 「アイドル……なるほどな」  男は長い脚を組んで、俺の顔をじっと見ながら頷く。 「春からNeko-Moonlight(ネコムーンライト)ってグループでデビューして、メンバーが俺の他に2人いるんだけど……まぁその……いろいろあって、どっちからも求められるようになってしまって」  そこまで話して、一口水を飲んだ。緊張していた。目の前の男が芸能にいくら興味がなくたって、スキャンダルとして雑誌に売ることはできる。  ちらりと様子を伺うと、やけに真っ直ぐ俺を見つめていて、真剣に話を聞いているようだった。  それに、自殺を止めてくれたんだ……そんな人が社会的な死を望むとも考えにくい。 「か、身体を……求められるように」  意を決してはっきりと口にした。 「合意無く?」  男の返答は淡々としたものだった。 「合意は……うーん、してないわけじゃないんだけど」 「じゃあ無理やり襲われてるわけではないんだな?」 「う、うん……俺が断りきれなくて、流されちゃって」  言いながら自分が悪いんだって、よく理解した。きっぱり断れずに、ずるずると関係を続けている俺が悪いのだと。 「で、でも……せっかくデビューしたグループなのに仲悪くなんてなりたくないし、問題にもしたくないんだ」  何度も何度も頭を悩ませていたことだったが、こうして口にするのは初めてだった。見ず知らずの男に初対面で話す内容じゃない。だけど、一度口を開いたら止まらなかった。  彼なら俺を助けてくれるんじゃないか、なんて、淡い期待を胸に抱いてしまっていた。 「そんなふうに悩んでいたら、その……死んだら、俺さえ居なくなったら解決するんじゃないかって」 「方方(ほうぼう)に迷惑を掛けるだけだ」  そう、きっぱりと言われる。 「芸能人なら尚更、死で解決しようとするのは無責任だ」  至極当然な言葉で反論もできない。 「それでも死のうとしたんだろ?」  頬を温かい液体が伝い落ちていく。 「どれだけの覚悟があったのか理解はできないが、それでも死なれるのは気分が悪い」  透き通った声は、冷ややかだがやけにすっと頭に心に入ってくる。自分でもなぜかわからないけど、どこか落ち着く人だった。 「……物語ならあなたが俺の問題を全部片付けてくれたり、良い方に運んでくれるのにな」  なんとなく、そう切り出すと彼は鼻で笑う。 「自分で道を切り開く話のほうが売れるさ」  たしかにそうだなと思い、頬を流れ落ちる涙をごしごしと服の袖で拭った。 「僕は救世主なんかじゃない」 「そう、だよね」  うまく笑えない。いつも貼り付けてる笑顔がうまく出てこない。それがまた悔しくて涙が滲む。 「俺が壊しちゃうかもって怖いんだ……二人とも才能のある人だから。このグループのせいで、俺のせいで……二人の足を引っ張りたくない。それに、断るのも傷つけたり、気まずくしちゃうんじゃないかって怖くて」  毎日毎日、頭の中を巡っていた言葉を吐き出すように口に出していた。  関係者には絶対話せないことだった。  何も知らない関係のないこの人だから、きっと話せることだった。 「死のうと考えたりするだけあって、えらく自責的だな」  同情するでもなく、泰然とした口調で彼は言う。 「そう、なのかな」  自責的……そんな風に考えたことはなかった。 「ふつうもっと相手を酷く言うものだ。傷つけられてるんだから。恋人間でも行為を強要するのは虐待だぞ。恋人ですらないんだろう?」 「そう、だけど……大げさだよ虐待、なんて」 「悩んだあげくに橋から身を乗り出していたやつがよく言うな」  そこまでいって、はぁとため息をつかれた。 「まぁ、直視しないほうが気持ち的には楽なもんだろうが、それでも着実に苦痛は積もり積もっていく」  身にしみるような説得力のある言葉だった。  目を逸らし、考えないようにしてきたことに首を締められているのは事実だった。 「少しは自分を労れ、守れ。せめて、嫌なら嫌とはっきり言え。したくないのなら同意などするな。僕が言えるのはそれくらいだ」  そこまで言うと彼は立ち上がり、こちらに向けていた椅子の向きを机の方に直した。 「僕は仕事するから、少し休んでいけばいいんじゃないか」  声色は冷たいが、なんて優しい人なんだろう。  彼の白い髪の毛が首を動かす度に揺らめいて綺麗だった。  それを眺めながら、声を潜めてすすり泣いた。  彼の言葉を噛み締め、すこし現実的に問題を見られるような気持ちになった。「自分を労れ、守れ」と言ってくれるだけでも救いになった。

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