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第8話 秘密の場所で
「お疲れ様でした」
トレーニング後、二人はマンションに戻り、俺だけ打ち合わせのため事務所にやってきていた。それもやっと終わり、今日の仕事は終わり。
マネージャーの運転する車に揺られながらスマホを見ると22時を過ぎていた。
いつもと変わらない街を見ながら、例の陸橋のあたりについた。
一瞬逡巡し、マネージャーに声を掛けた。
「コンビニ寄るんでここまでで、大丈夫です」
マンションはすぐ近くだから拒否されることもなく、挨拶をして歩道に寄せた車から降りた。
10月ももうなかばを過ぎ、外は少し冷える。
羽織ったパーカーのポケットに手を突っ込んで、ゆっくりと陸橋のほうに足を伸ばした。
「あ」
そこに、真っ白な髪の毛の彼の後ろ姿が見えて駆け寄った。
「匡次郎さん」
昨日と違いコンタクトをしているからはっきりと彼の姿が見えた。
振り返る仕草で絹のような髪が揺れて、黒いPコートに映えていた。
「げ、お前か」
匡次郎は眉を潜め、思いっきり嫌そうな顔をした。
「こんばんは」
昨夜見た夢のようにも思っていた彼にまた会えた。
一日いろんなことを堪えていたのが、彼の前では耐えなくてもいい気がして心が楽になる。
「で? 今日も身投げしに来たのか」
「する元気も無いよ」
「そう……」
匡次郎をみると手にスケッチブックを抱えていた。
「どこか絵を描きにいくの?」
とはいえこんな夜遅くにどこにいくか予想もつかない。
「あぁ、ついてくるか? 騒がないならきてもいい」
そう言って、ふらりと歩き出す彼の後ろを何気なくついて行った。
どこへだって良い。
どこか知らないところへ連れて行ってくれる気がして、心が弾んだ。
匡次郎の後をついて行き、行き着いたのは小さな公園だった。
街頭の明かりの下にも野良猫が歩いているのが見えた。一匹だけでなく、見たところ十匹ほどは居るようだった。人馴れしているらしく、擦り寄ってくる三毛猫をしゃがみ込んで撫でた。
「こんなとこあったなんて知らなかった」
直ぐ側で猫を眺める匡次郎は、幾分か和らいだ表情をする。
「いい場所だろ」
前言撤回、かなり緩んだ表情で、ニヤけた顔で猫を見つめていた。
匡次郎は、街灯の下に膝をついてスケッチブックを捲り、良く使い込まれた革製のロールペンケースから鉛筆を取り出すと、近くに擦り寄りお腹を見せる猫をスケッチしはじめた。
昨夜、ホテルでも彼は猫を描いていたなと思い出す。
しばらく無言でじゃれついてくる猫を撫で、絵に集中する匡次郎を眺めた。
思えばこうして何も考えずにぼーっとする時間が最近は無かったなと思う。
本当は友達と遊ぶよりも、スポーツやショッピングよりも、こうしてただ黙って空や植物や生き物を見ている時間が好きだ。だけどそんなの、表のアイドルとしての俺には似合わないことで意図的に避けていた気がする。
そんな制約を気にせずに、ぼんやりとながめていると、匡次郎の動かす鉛筆の動きに猫が夢中になり飛びついて、彼は尻もちをついて猫を受け止めた。
「こんにゃろ、やんのかぁ」
まさに猫なで声ってやつで匡次郎が言って猫を撫で回す。
終いには諦めたように地面にあぐらをかき、その足の間に猫が収まり丸くなった。
そんな光景に顔が自然と緩んでしまう。
はっきりとしていながら優しく、整然としながら寛容で。
この人といるとなぜか落ち着く。
沈黙さえも心地よくて、呑気に顔を洗う猫や寄り添って眠る猫を見つめていると、荒んだ心も癒やされた。
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