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第15話 あかほし
「げ、何やってるんだ」
夢だったのかも……。
そう思おうとし始めた時、声がした。
見上げると、ぼやけた視界にもはっきりとその白が見える。
「きょうじろう、さん……」
震える声で名前を呼ぶと、はぁとため息が聞こえた。
声を姿を彼を感じるだけで不安に駆られる心が落ち着く。
「とりあえず入れよ、まったく」
涙をごしごしと拭いて立ち上がり、彼の後に続いて部屋に入った。
どこかに出かけていたのか、彼は上着を脱ぎ、つばの広い帽子を脱いだ。
「ひどい顔」
俺を見るとそう言って、バスルームの方に入っていく匡次郎。
俺はただ、ぼんやりしてベッドの上に腰掛けて、涙が溢れるのを堪えていた。
「ほら、拭けよ」
匡次郎が戻ってきて、お湯で濡らしたタオルを手渡された。言われるがまま、眼鏡を外して顔に当てた。
しかし、涙は止まらず、溢れ出てくる。
呼吸が乱れて、しゃくりあげて――。
そんな子どもみたいな泣き方。
「ゆっくり息しな」
いつもよりも彼の声が優しく感じる。
匡次郎が横に座り、背中を撫でた。
彼の言う通りに、深く息を吸い、吐き出す。
こうして背中を擦られるのなんて、幼い頃以来だ。
あったかくて、安心する。
次第に落ち着いてくる。
ぎゅっとタオルを押さえつけている手に冷たい指先が触れ、タオルを奪われ優しく顔を拭かれた。
「腫れると困るだろ」
攻めるでもなく淡々とした澄んだその声が好きだ。
いろんな壁を突き抜けてすっと心に入ってくるような、真っ直ぐな言葉が。
やっと涙が収まり、ゆっくりと呼吸した。
もう一度タオルを持って匡次郎がバスルームに消え、水の音が聞こえてきた。
再びあてがわれた冷たいタオルで目元を冷やす。
「お前、すごいやつだったんだな」
匡次郎が優しい声で続けた。
「仕事の用事で外出てたんだが、駅にも街中にも広告でてた。お前のグループの新曲のさ」
いまはあまりネコムンの話は聞きたくなかったけれど、黙って聞いていた。
「それと、打ち合わせしてた人たちもみんな昨日の生放送の話で盛り上がってて、半強制的にライブを見せられて」
そこまで聞いて少し気になり、タオルを外して彼の顔を見た。
微笑む顔に目を奪われる。
「歌も踊りも群を抜いて魅力的だった」
真っ直ぐな声は偽りもお世辞も無いんだろうと思わせる。
「ある子は、お前のファンらしくてドラマまで見せられたよ」
一言一言に胸が高鳴った。
「本当に別人みたいで、演技もうまいし……それだけじゃなく、なんだろうな惹き込まれる何かがある。画面越しの照月楓季には」
素直に嬉しかった。必死で縋り付いているアイドルとしての、芸能人としての……表の俺を評価してもらえてる。それは素直に嬉しかった。
「生まれながらの才能ってやつなのかな」
無邪気な言葉が突き刺さるように胸に響く。
そんなわけないと自分が一番良くわかっている。嫌でも上には上がいるって知らしめられるのがこの業界だ。
それに、俺にはもう、続けられる自信がなかった。
「だけど……」
言い返そうとして言葉に詰まる。
なにも知らないで俺を見てくれていたから、きっと今までは素のままでいられた。飾らずにいられた。
だけど、知られたなら、素を見せるのは裏切りにならないだろうか?
相手の期待する俺でいないといけないんじゃないか?
「火花散らし……」
匡次郎が沈黙を破る。
顔を上げて彼を見つめた。
「火花散らし、灯火消えんとして光を増す。しかし、いくら花があってもやるせないじゃないか……」
まっすぐと匡次郎の真っ赤な瞳が俺を捕らえた。
手が伸びてきて、ひんやりとした細い指先が前髪を梳く。
「いつか、僕を地獄から引っ張り出してくれた人が、そう言ったんだ」
懐かしむような、愛おしそうな表情で匡次郎は微笑んだ。
「俺は運が良かった。物語のように手を伸ばして救ってくれる人がいた」
窓の外は日が傾き始め、夕日が燃えていた。
「もし、お前が望むなら全部捨てて僕と逃げるか?」
何度と無く頭を掠める死と同じくらい心を惹かれる言葉だった。
同じように悩ませられる言葉だった。
沈黙を貫く俺をみて、匡次郎はふっと笑った。
「お前は僕に似ている。花の美しさを知っている。散ってしまっても、なお、咲けるという顔で縋り付いている。それしか自分には無いから」
夕日に照らされて、匡次郎の白髪が緋色に染まり、美しさに見惚れていた。
彼の冷たい指先が頬を撫で顎をくいと掴んだ。
「お前はその才能を捨てられないんだろう。お前自身であることを」
こくりと頷く。
死にたいし、逃げたい。
だけど手放したくない。
俺は壊したくないんだ。
俺であることを。
「画面越しのお前も、ここにいるお前も同じだよ。自分を武器に出来ることに変わりはないんだ。どこにいようと、誰の前だろうと」
にっと微笑む顔は綺麗で、自信に満ちあふれていた。
不思議なんだ。
彼の言葉はいつもすっと胸に入り込む。
たしかに俺を光の射す方へ引き連れていってくれる。
彼の絵を描く姿を見守り、眠りについた。
彼に揺すり起こされ朝日を見る頃には、自分で思っていたよりもずっと気持ちが晴れ晴れとしていた。
朝焼けに染まる朝は、いつもより静かで、まるで別世界に足を踏み入れたような気持ちにさせてくれた。
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