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きょうふう注意報1

 匡次郎がイギリスへ発ってから、あっという間に時間は過ぎていった。  これきりの関係になるのが嫌だった俺は、連絡先を聞き出しメッセージを何度か送った。  しかし、お互いに仕事などもあり、まめに連絡を取り合う程ではなかった。  本格的に冬がやってきて、年末年始を控え、喜ばしいことにかなり忙しくなった。特番に、ライブに向けてのレッスンなどをこなし、日々は慌ただしく過ぎた。  ネコムンの二人とは、なんとか普通に、以前のように話せるようになってきていた。  それでも、時折、ふとした瞬間に記憶は蘇る。  何気なく目が合った時。さり気なく触れ合った時――。  これでいいのだと自分に言い聞かせながらも、罪悪感が襲い、胸を締め付けた。  心とは裏腹に持て余した身体に戸惑ったりもした。数ヶ月の間、二人と関係を持って覚えてしまった快楽は簡単には忘れられるものではなかった。  それが余計に苦しくて、自分が惨めに思えた。  寒さが日に日に増す12月の終わり。  仕事の忙しさに時々、匡次郎との出会いが夢のように思えた。  真っ白な髪の毛や透き通るような肌、ひんやりとした指先。はっきりとした物言いだが、それでいて、彼は優しく俺を受け止めてくれた。  日常からかけ離れたような優しいあの空間も、かけられた言葉も遠くにあるような感覚に陥った。  全てが順調に、うまくいく。なんていうハッピーエンドは現実にはきっと無い。  少なくともそうあるように努力しなければ、簡単には手に入らないのだろう。  日々の小さな(ひずみ)が積み重なり、知らず知らず心に限界が来ているのだと、そう気付いたときには、朝、布団から出るのが億劫になっていた。  人は簡単には変われないものなのだ。  相変わらず外では顔に笑顔を貼り付けて、できる限り努力して、才能のある二人に遅れを取らないように必死だった。  気まずくならないように、前と同じ失敗を重ねないようにと心労はかさんでいた。  自分でも知らず知らずのうちに、二人にこの苦しみを預けていたのかもしれないと最近思うようになった。  二人に求められ認められる感覚を頼りにして、彼らの横にやっと立っていたのではないかと。  俺は一人では、やっていけないくらいに、憧れの自分への重責で心をすり減らしているのかもしれないと。  早めに起きて、昨夜、中途半端にしていた台本のチェックをしなくちゃ。  そう自分を奮い立たせようとするも、意志とは反対に温かい布団を引き上げて潜り込んでしまう。  匡次郎と過ごした朝は、心がすっとして心地よい時間だったとぼんやりと思い起こす。  ただ、そこに彼がいてくれるだけで、何かを許してもらえたような気になれた。そんな朝を彼が何度となくくれた。  後から知ったが彼は日本や海外で活動している画家だった。それも雑誌や本の挿絵からポスターやグッズなど活動は多岐に渡り、個展を開いたこともあるくらいの売れっ子。  当然、仕事で忙しいのだろうからと、連絡をするのも遠慮するようになっていた。  心の支えは、彼との思い出と、彼から貰った猫の絵だった。  スマホを何気なく開き、ホーム画面に設定しているその絵を見た。  こうしていると、あのひと時が夢ではなかったのだと思える。  ぼんやりと絵を眺めていると、ふと通知が届き、その文字に驚いて飛び起きた。 『ドラマ最終話まで見たよ。波止場のシーン引き込まれた』  匡次郎からのメッセージの通知だった。  それだけでも嬉しいのに、俺が出ていた作品を最後まで見てくれていたらしい。  いろんな気持ちがごちゃまぜになって、勢いに任せて通話ボタンを押していた。時差やいろんなことを気にする余裕もない。 「――もしもし」  通じた電話口の向こうから彼の声がする。 「匡次郎……!」 「どうしたんだ? って、お前……泣いてるのか?」  久々に聞いた彼の声の澄んだ響きにほっとして、つい涙腺が緩んでしまった。 「ドラマ、見てくれて、ありがと」  どうにか言葉を紡ぐけれど、声は上擦った。 「あぁ」 「ずっと話したかったよ匡次郎」 「また、なにかあったのか? 大丈夫か?」  気にかけてくれるのが嬉しくて、それだけで感極まって止めようもなく涙が伝い落ちた。  けれど悲しい涙じゃない。  手で拭って、そして笑ってみせた。 「ううん。ただいっぱいいっぱいになっちゃって……でも、匡次郎の声を聞いたら元気出た、なんか不思議だね」  話しながらカーテンを開き、そしてもう一度ベッドに戻って布団を足元にかけて座った。 「僕も、少し気が楽になった気がする」 「え?」 「……弔いの旅中だって、前話しただろう」  匡次郎は、長年連れ添っていた人を亡くした。その彼との思い出の地を旅している最中だった。 「ロンドンには長く住んでいたから、余計にいろんなことを思い出してしまって」 「そうだったの……。俺でよければ何でも話聞くから、だから、それくらいしか出来ないけど……辛い時は一人で抱え込まないで」 「ふっ、お前にそんな風に励まされるなんてな。しかも、泣きながら」 「俺じゃ頼りないかもしれないけど、でも何でも話してね」  大切な人を失うなんて経験は、まだ子どもの俺には現実感を伴わない想像しか出来ない。長い間、一緒に暮らしていた人との別れなのだから、余計にその喪失感は計り知れない。 「ありがとう楓季」 「うん!」  彼がそうしてくれていたように、俺も彼の支えになれたら良いのにと思う。  俺が苦しいときに寄り添ってくれたお返しができたらと。 「元気にしてた?」 「それなりにな。お前は?」 「俺は……なかなかうまく行かなくて。ネコムンの二人とは離れて暮らすことにしたけど、どうしても仕事で一緒にいる時間長いでしょ。二人も気を使って距離を保ってくれてはいるけど、それでもこうなる前みたいにはいかなくて」  膝を抱えて外を見た。  日が昇り、薄暗い空が白んできていた。 「そんな色んなことに気疲れしちゃって、忙しいのもあって、正直しんどくて……でも、匡次郎と話せて吹っ飛んだよ。不思議」 「……よくやってるよ、お前は。逃げずに向き合おうとするのは簡単なことじゃない」 「そうかな?」 「あぁ。お前が頑張ってるから、僕も頑張ろうって思えるんだ」  匡次郎の真っ直ぐな言葉は偽りもお世辞も含まないようで、思わず頬が緩んだ。  彼とこうして話しているだけで、幾分、気分がすっきりとしてきていた。 「俺が頑張れるのは匡次郎のお陰だよ。辛い時いつも思い出すんだ」  彼が助けてくれて、側にいて、話を聞いてくれたあの夜を。 「また電話してもいい?」 「もちろん」 「匡次郎も辛くなったら、なんでも話してね」 「あぁ、ありがとう」  9000キロの距離は遠くて、隣にあの美しい姿を見ることは出来ないけれど、それでも、こうして声を聞くだけでいい。  それだけで居場所になってくれる。  心を支えてくれる。  不思議と、また前に進もうと思えるのだ。  朝の空は澄んで、世界に光を届けてくれる。

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