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【匡次郎】雪下で咲きたる火の花よ 3

 夜毎、男に抱かれるたび、先生の目を思い出した。  僕を心から欲するような目つき。  ただ淫猥なだけの瞳とは違う。  僕の心までも欲しいという欲望。  先生に抱かれたら、どんなに心地いいのだろうな。  でも、そっか。  あんな心まで純粋そうな人には、似合わない。  僕のような汚れきった物怪は。 「ね、お前さん……またあたしを描いてくれない?」  ある時、天津兄さんがそう切り出した。  仕事前なのもあるが、いつも以上に髪も整えて、綺麗な着物に身を包んでいた。  言われるがままに彼を描いた。 「一番綺麗に描いておくれ」  彼は、とても美しかった。  黒髪は艷やかで、色が白く、腕も女のように細く、柔らかな印象を受ける目元やふっくらとした赤い唇。何より憂うでもなく恥じるでもなく、堂々としていた。  彼が満足するまで数枚描き直した。  その度にじっくりと彼を見て、その度、その優美さにため息をついた。 「ありがとう、あんたはいい絵師だね」  その笑顔を見たのはその時が最後だった。  次の日、お客の一人と駆け落ちした挙げ句、入水。  彼は死んだ。  それから、人を描くのが嫌になった。  怖かった。  一番綺麗な姿で、綺麗な顔で微笑んで、それで次の朝には冷たくなっている。  目に焼き付いているのに。  その瞳も髪も、指先の動きさえはっきりと覚えてしまっているのに。  なのに勝手じゃないか。  人はいつも自分のことばかり考えている。  こっちの気なんて気にすること無く。  次に先生が来る日が待ち遠しかった。 「物怪の類と言っても大して人と変わんねぇな」  買われて抱かれて、それでおまけのように嫌味。 「芸の一つでも出来ねぇのかよ」 「堪忍してください」  心を潰して笑いながら、ご機嫌をとる。 「あー、こういうのはどうだ獣みたいによぅ」  四つん這いにされ帯を首に掛けられ引っ張られる。 「こりゃ、いい。具合もだいぶ良くなった」  首が絞まり呼吸するのもやっとの中、犯される。  それでも身体は快楽を覚える。  お客が飽きるまで、されるがまま。  付き人の金剛には気味悪がられていたから、助けてくれるものもない。  いっそこのまま死ねたらと嫌でも思う。  いつ死んだって別に構いはしなかった。  親の愛情も知らず、誰かに愛されることも――。 「っ、はぁ……げほっけほっ」  死ねずにいたら、いつか誰かが愛してくれることもあるんだろうか。  誰かと一緒に死にたいと思えるくらいに。 「泣いてんのか。へぇ、泣き顔のがよく似合う。不気味でいいや」  虐げられて、笑われて、いろんなことに鈍くなっていたのに。  なぁ、先生。  あんたに抱かれたら、なにか変わるんじゃないかって……。  あんたの瞳の中に映っていられたらそれだけで幸せで、胸が苦しくて。  怖い。  こんなにも嫌な気持ちだったっけ。  お客だから。  仕事だから。  そう思うのに苦しい。  あんたに合う前は、どうやって笑ってたんだっけ。 「……これは?」 「昔の歌さ」  次に先生が来た時、和歌をしたためた文を貰った。 「先生ったら、あたし字は読めないよ」 「あぁ、そう、か……」  純朴で無垢な人だ。  その名のように真っ白で清らかな人。 「読んで聞かせて」  頼んでみると、彼は少し照れくさそうにしながら僕を見た。 「日暮るれば 山のは出づる 夕づつの 星とは見れど はるけきやなぞ」 「どんな意味?」  期待しながら聞くと彼は、寂しそうに笑いながら続けた。 「黄昏時の山際にでる、ひときわ輝く明るい星は遥か遠くに……」 「ふふ、先生ってば星が好きなんだねぇ」 「あぁ、すきだ」  ずいと迫られて、間近の彼の顔を見上げた。 「君はその星よりまぶしい」  真剣な、真っ直ぐな言葉に、柄でもなく顔が熱くなった。  手を握られ耳元に顔を寄せられる。 「君が欲しい」  甘い響きに胸が苦しくなる。  期待して高鳴ってしまう。 「ねぇ……洲雪先生……」 「うん?」 「このまえの……本気なの」 「あぁ」  真っ直ぐな瞳。 「おれと共に生きよう」  飾らないすっと響く言葉。 「君が笑っていられるようにするから、だから」  真っ暗な闇の中、一筋の光が差し込む。  地獄に垂れる糸のように。  手を伸ばしてしがみつくと引き上げてくれると思わせるように。 「これ、持っててくれない?」 「あんたこれ、天津かい?」 「そう、天津兄さん」  洲雪に金を工面してもらい、茶屋を出ていくことになった。  その去り際に、絵を持って行くか悩んだが、他のものに託すことにした。 「死んじゃう前の日にね、描いてって頼まれたんだ」 「あの子らしい」  天津と仲の良かった彼に託したほうがいいと思った。 「一人でね、泣いてる子だったよ……誰の胸も借りず夜明け前に泣いて、次の夜にはお首にも出さずに笑って」  初めて聞く話だった。 「話聞いたげようとすると、自分はいいからあんたの話を聞くよって……あんなに優しいんじゃこの世はさぞ生きにくかっただろうね」  いっそ死んで良かった、とは思わない。  せめて、縋ってくれたら、絵を描くだけじゃなく何か出来たかも知れない。  この胸を貸せたのかも知れない。 「あんたも、あんまり下手にでて好き勝手させるんじゃないよ」  頷くと彼は寂しそうに笑った。  忍びない気持ちはあったけれど、絵を託して、先生と共に茶屋を後にした。

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