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【匡次郎】雪下で咲きたる火の花よ 9
「それで、シュウが死んですぐ、雪さんは自殺した」
冷たくなったコーヒーを飲み干して、楓季を見た。
彼は眉根を寄せて今にも泣きそうなくらい悲痛な表情をしていた。
「そろそろ出るか」
まだ16年しか生きていない彼にとっては、重すぎる話だっただろう。久々の再会にする話でも無いのかもしれない。
それでも、最後まで彼は聞いてくれた。
黙って聞いてくれているだけで、それだけで、心の重荷が幾分か軽くなったような感覚になった。
会計をして店を出ると、外気の寒さに身がすくんだ。
二人でゆっくりと歩いた。
「せっかく出かけようと誘ってくれたのに、昔話に付き合わせて悪かったな」
「ううん」
楓季は寒そうに手をこすりながら首を振った。
「俺、ずっと自分のことばっかりで。匡次郎がそんなにも苦しんでいたなんて知らなくて」
「話してなかったんだから当たり前だろ。気にすることじゃない」
どんな傷を抱いて苦しんでいるかなんて、簡単にわかることじゃない。簡単に理解できることじゃない。
あれだけ長い時間を連れ添った雪さんのことですら僕はわからなかったんだ。
まして出会ってままならない彼とどうやってお互いを理解できる。
「ただ……聞いてくれてありがとう楓季」
信号に差し掛かり、立ち止まった。
寒空の下、東京の街は雑然と動き続ける。車も行き交う人もただ過ぎ去る。
「俺で良ければいくらでも話して? 俺だって匡次郎に感謝してるんだ。辛い時、話を聞いてくれて、それですごく救われたんだ」
ちらほらと会話を重ねながら歩いた。
こうして誰かの隣を歩いていると、嫌でも雪さんの事を思い出した。
ずっとずっと長い間、いつも隣にいてくれた彼のありがたみを思い知らされるようだった。
ヴァンパイアは確かに不老不死だけれど、長命のものは少ない。ヴァンパイア・ハンターに殺されたものも多いけれど、それだけじゃない。
永遠の命には相応の代償がある。孤独と別れの悲しみ、途方もない時間の空虚さ……それに耐えられるものはかなり少ない。
「雪さんに出会わなければ、人を失う苦しみを知らずにすんだのだろうか」
だけど、そう、最初は傷ついた僕を雪さんが助けてくれたんだ。天津兄さんが死んで傷ついた心を癒やしてくれたのは彼だった。
なのに、僕は大して何もできなかった。
「僕は何もできなかった。せめて何か言ってくれたらよかったのに。でもきっと、そんな気力も無いくらいに彼は長い人生に疲れて、悲しみに耐えられなくなっていたんだろうな」
何度も頭の中で繰り返し、納得しようとしていた言葉を口にするのは初めてだった。
「死ぬのは難しいことだよ。生から逃れようとするのは。それだけ覚悟がいる。もしかしたらそれしかないと思ってしまうのかな? 僕は、死に場所をさがして各地を旅した。けど僕には理解しきれなかった」
絵や猫や花や空や――いくらでも言い訳して生に執着してしまう自分があるだけだった。
「それでも、もし死後の世界があるのなら、そこにいけたらいいのにと思ってしまうんだ。雪さんが隣にいない世界なんてますます嫌いになるばかりだったんだ」
ちょうど陸橋の上に差し掛かった。
そこは楓季と初めて出会った場所だった。
「ここで……お前が身を乗り出すのが見えて、ほんの少しだけ羨ましかったんだ。死ねるだけの苦しみや悲しみがあるんだと」
「匡次郎……」
「だけど、助けずにはいられなかった。誰とも関わりたくなんてなかったのに。いつしかお前を気にかけるようになって、世界に新しい光が差し込んだようで、色んな顔を見せるお前に夢中になって……」
雪さんがいなくなって暗闇に包まれた世界を、楓季が柔らかく照らしてくれた。
「一人、誰かがいるだけでこんなにも人生が変わってしまうんだ。人間の危うさは同時に可能性でもあって、ほんの小さなことが、こんなにも大きな希望になっていた」
いつか彼を描くと、楓季とした何気ない約束が繋ぎ止めてくれる。
果たされるかもわからない約束に、それでもいいと縋り付いている。
「きっとそれでいいんだよ。全部、匡次郎にとって大切な感覚なんだ。俺にとってもこうして助けられたことが、受け入れてもらえたことが、小さな救いだった。簡単に傷は癒えないけれど、一人じゃないよ。俺がいるよ。洲雪さんのかわりにはなれないけれど、俺がいるから」
俺の手をぎゅっと握りしめて、楓季は微笑んだ。
なんて綺麗な子だろうと思う。
その赤みを帯びた頬を伝う涙も、真っ直ぐな言葉も、柔らかな笑みも。
ただ彼の温かい手を握って、頷いて見せた。
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