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【慧菜×楓季】暁に咲くレディ・ブルー 6

 年末年始は予想以上に多忙を極めた。  やっと一息つけたのは1月も半ばを過ぎてからだった。  忙しい中に身を置いている方が悩みに頭を悩ませることもなく、比較的気楽だった。それが、落ち着くと一気に頭の中がうるさくなった。仕事のこと、学校のこと、自分のこと、それからネコムンの二人……慧菜とのこと――。  一度間違ってしまった関係をやっと元の友達に、仲間に戻せているはずなのに。それ以上を望んでしまう自分がいた。  慧菜はいつだって明るくて、周りをよく見て気が遣えて、仕事でもそれ以外でも助けられてばかりだった。 『ぼくの前ではふうくんのままでいていいからね。だから、あんまり無理しないこと!』  いつか言われた言葉に素直に縋り付いて、慧菜に甘えてしまう自分がいる。  それじゃ、きっとだめだってわかってるのに。  慧菜のことが――。 「――それで、今回は……って聞いてる? 楓季くん?」  マネージャーに顔を覗き込まれてはっとした。 「あ、すいません!」 「ううん、まだ疲れ残ってるでしょ」 「いえ……」  誤魔化して微笑みながら、またやってしまったと心の中でため息を付く。いくら悩んでるからってそれを表に出すのは良くない。 「それで、オーディションなんだけど……結論から言うと今回は縁がなかったということで、と」  気まずそうなマネージャーの言葉を耳にしながら、純粋に落胆を感じた。ドラマも好評だったし、オーディション当日の反応も悪くはなかったはずなのに。 「気落ちしないでってわけにはいかないだろうけど、まだまだこれからだよ楓季くん。大丈夫」 「はい……!」  そうだ、これでなにもかも終わるわけじゃない。駄目で元々だったんだ。そう、頭ではわかっていつつも正直気落ちする気持ちを誤魔化すのでやっとだった。  もやもやした気持ちを抱えたまま、レッスン室に足を向けた。  落ち込むのも。悩むのも仕方ない。  だけど、それで立ち止まってるわけにもいかない。もっと、もっと努力しないと。  そう自分に言い聞かせながらレッスン室の扉を開けると、そこには慧菜がいた。 「あれ、ふうくん?」  振り返って微笑む顔を見るだけで、暗く重くなる気持ちが少しだけ軽くなる。 「慧菜も練習?」 「うん。いつもダンス、二人に出遅れちゃうから練習。ふうくんも?」 「うん! 気になるとこあったら一緒に確認しよう」 「いいの? ふうくん優しいね」  身体を動かして、他のことに気を向けていると気も紛れた。  俺と央華よりダンス経験が浅いから仕方ないが、それでも付いてきている慧菜は純粋に努力家で尊敬する。  慧菜の苦戦しているステップにアドバイスをして、練習を続けた。  暫く続けたあと、休憩することにした。壁際に背をもたれさせて座りながら飲み物を飲んで喉を潤した。 「……そういえばオーディション、ダメだったんだ」  何気なくそう切り出すと、慧菜は息を呑んで少し驚いたようだった。 「そんな……。でも今回ダメでもまた次は大丈夫だよ。ふうくんなら」 「慧菜、ありがと」  彼に励まして貰えると気持ちがずっと楽になった。  あの日から、慧菜の前では幾分気を緩めてしまうようになった。そのままの俺でいていいと、言ってくれた彼の前だから。  完璧で何でもこなせるような俺じゃなくても良いんだと言ってくれる彼の前だから――。  「そういえばさ……男に、興味無いって本当なの?」  この前からずっと頭に残っていた疑問をつい口にしてしまった。慧菜は一瞬きょとんとした顔をしたあと、すぐ肩をすくめてみせた。 「うん。ぼく、こんな格好してるけど女の子が好きなんだよ。変でしょ」  珍しく自嘲気味に微笑む彼にすぐ首を振って見せる。別に彼が変だと言いたくて話題にしたわけじゃなかった。 「じゃあ……その、俺は?」  ぼそぼそと、そう言葉にすると、慧菜は困惑したように俺を見つめた。 「……ふうくんは、ふうくんは……特別」  目を伏せて独り言でも言うように慧菜は小さく口元に笑みを乗せて話した。 「ぼくにとって大事なのは、そのままでいてもいいって認めてくれる存在で……ふうくんは出会ったときからそうだから。自分でもどうしたらいいのかわかんないくらい、好きになってた」  その好意を痛いほど知っていた。なのにまた、彼の心を抉るようなことをしていることに罪悪感を覚えた。それでも、同時に高鳴る鼓動を誤魔化せなかった。  二人きりのレッスン室はしんと静まり返って、強張った顔をした二人の姿が鏡に写っている。 「俺は……わかんなくて、好きかどうかとか……同性だと余計にね」  ずっと口にできなかったことを、彼に伝えたくて言葉を選びながら続けた。 「慧菜のこと可愛いって思うし、優しくしたくて優しくしてたんだ。それに、好きになれたらどんなにいいかって……」  俺の言葉にあからさまに傷付いた表情をする慧菜に胸が締め付けられる。 「……けど、好きってそんなに特別じゃないのかもしれないね。ただその子に笑っていて欲しいって、そう、思うのも好きなのかも」  男を好きになったことは俺も初めてで、だからこそきっとその好きを見失っていたんだ。  たくさん傷つけて、今更望んだって手に入るとは限らないとわかっている。それでも、心の奥から欲してしまう気持ちが見過ごせないくらいに膨らんでいた。 「意識しないようにって思えば思うほど、気になっちゃって」 「気になる?」 「そう、慧菜のこと……」  彼の名前を出すと、はっとして頬が染まる。一拍置いて、まるで期待しないようにと自分を制するように首を振って見せる彼が可愛らしくて、つい手を伸ばして膝の上で握りしめた彼の拳にそっと触れた。 「まって、どんな反応したらいいのか」 「ごめん」 「ううん。その、そんな言い方されたら、変に期待しちゃうから」 「期待……して、いいって言ったら」  微かに震える手を握ったまま、彼の色素の薄い瞳を覗き込む。 「今更好きって言ったら困る?」  大きなその瞳を潤ませて、頬が赤く染まる。  今にも泣き出しそうな彼をおずおずと抱きしめようとした時、騒がしく走ってくる足音が聞こえ、扉の方を振り返った。  勢いよく扉が開き、マネージャーが息を切らせて入ってきた。彼は、驚いている俺と慧菜に満面の笑みを浮かべる。 「楓季くん! 伝え損ねてたことがあったんだ!」 「は、はい」 「合否通知のメールの他にももう一個メールが送られてきてて……オーディション受けたのと別のショートドラマに出ないかって、主演で」 「そんな」  主演のオファーなんて、願ってもみなかったことだった。 「よかったね、ふうくん!」  まるで自分のことのように慧菜が喜んで笑みを浮かべる。  小さく何かが変わり始めた冬の日。役者としてまた一歩前に進める機会を得て、少しだけ自分に自信をもってもいいかなと思えるようになった。  そして「ぼくでいいなら、もちろんよろこんで」と慧菜から返事が返って来たのも、そう遠くはない未来だった。

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