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第21話 穏やかな時間

 七瀬が目覚めたときには、外は茜色に染まっていた。 「……眠っていたか」  七瀬の隣では、春斗が未だ静かに寝息を立てている。  気持ちよさそうに眠っている春斗を起こすのは些か忍びないが、夕餉の時間が迫っている。  そろそろ里緒と菜緒が呼びに来るはずだ。  その前に湯浴みをしなければ、二人とも情事の痕跡が色濃く残っている。 「春斗、起きろ」 「んんん……」 「ほら、起きないと知らないぞ」  そう言って、春斗の胸の尖りをきゅっと摘まんだ。 「うわぁっ!」  春斗の慌て様に、七瀬が声を立てて笑う。 「もう……」 「ははは、すまん、すまん。ほら、湯浴みに行くぞ。そのままでは気持ちが悪いだろう?」  春斗は自身のあり様を見て火が出るほどに赤面した。 「うわぁ、み、見ないでくださいっ!!」 「春斗はいつまでたっても初心だなぁ」  からかう七瀬を一睨みして、春斗は足早に風呂場へ向かった。  身体のあちこちが痛んだが、それを訴えるのも悔しかったので、気丈に振舞う。  そんな春斗を、七瀬は慌てて追いかけるのだった。  風呂場に着くと、湯船にはなみなみと湯が張ってあった。  一通り身体を綺麗にした二人は、湯船に並んで腰を下ろす。温かい湯は身体に染み入り、癒しをもたらした。 「ふう」  心地よさに自然と漏れる吐息。 「傷は大丈夫ですか?」 「ああ、全く痛みはない。邪気も全て抜けたようだ」 「よかった……」  春斗は安心して、微笑む。 「本当はもう駄目かと思っていたのだが……春斗の笑顔をまた見ることができて良かった。感謝せねばな」  春斗の肩に七瀬が頭を乗せるように寄りかかる。  眉を下げて笑う七瀬を、春斗は敢えて笑い飛ばした。 「七瀬さんを簡単に見捨てるわけがないでしょう? 俺だって男ですからね。見縊(みくび)らないでいただきたい!」  わざと偉そうに胸を張る春斗。  風呂場には和やかな時間が流れていった。  湯浴みを終えて、居間に行くと、ちょうど夕餉の支度が済んでいた。  何だか二人の行動が筒抜けになっているようで、春斗は気恥ずかしかった。  ……もしかして、里緒と菜緒には閨での事も筒抜けなのでは……恥ずかしい……  七瀬はそんなこと微塵も考えていないようで、いつも通りだった。  用意された夕餉は、野菜と雑穀の雑炊、焼き魚、漬物と、回復したばかりの七瀬を気遣う内容だった。  久しぶりの全員揃っての夕餉。  なんて幸せなのだろう。春斗は穏やかな時間を噛みしめるように、ゆっくりと箸を取った。  翌日。まだ万全ではないだろうと、止める春斗の言葉も聞かずに七瀬は外出の準備を整えていた。 「ほら、春斗も準備はできたのか?」 「もう、今日くらい休んでいればいいのに」 「何を言っている。約束しただろう?ほら」  差し出された手を無視するわけにもいかず、春斗は手を重ねた。  引っ張る様にして連れていかれたのは、海の見える高台。  そこには目を奪われるような見事な菜の花が一面に咲き誇っていた。  その先には海が見え、穏やかに波打っている。  圧巻の光景に言葉が出ない。 「あの桜もいいが、ここもなかなかであろう?」 「……はい。言葉にならないくらい素敵です」  七瀬は繋いでいた手を引き、春斗を後ろから抱きしめた。 「春とはいえ、まだ少し冷えるな」 「ふふ、こうしていれば俺は温かいですけどね」  そう言って振り返った春斗。  七瀬はその唇にそっと己の唇を重ねる。  柔らかい口づけは春の風に溶け込んでいくようだった。 「来年は桜と菜の花と両方見に来よう」 「はい。……また絶対に」  二人を包み込むように、春の風がそよいでいた。 完 次回 番外編に続きます

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