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第3話

   3 「おい、朝礼はじめるぞ」  いつも通りの愛崎だ。パリッとしたスーツとシャツの上から、鍛え抜かれた身体の稜線が見え、ダイキは思わず目で追う。 (昨日のキス……愛崎主任どう思ってんだろ─) 「よし、じゃ、解散」  愛崎の号令に他のメンバーがばらけていく中、ダイキは焦る。 (やば、ぜんぜん聞いてなかった!) 「森山」 「はい! すみませ─おごふっ!」  謝るより速く、愛崎の膝がダイキの横っ面に直撃する。 (と、とび膝蹴り……) 「お前には聞きたいことがある!」 「イダダダダダッ!」  とび膝蹴りをされ、床に片手をついたまでは理解できた。だが、よくわからないうちに首に両足が絡まり、右腕を思いっきり引っ張られ、目にも止まらぬ速さで肩関節が極まる。 「あだだだだだっ! すい、すいませんでしたあっ!」  肩関節の無事を確認しながら、ダイキは改めて謝罪する。まじで、怒らせると怖い。 「それは、昨日の会議室でのこと言ってんだよな?」 「違います」 「違うのかよっ! じゃなんだよ!? 昨日のアレは!!」  愛崎が盛大にずっこけながらキレる。同性にいきなりキスされて怒るのも無理はないが、ダイキにも言い分はある。 「俺、愛崎主任がタイプって言いましたよね?」 「おお、言ったな。でもそのあと、殴るやつはありえないって言ってただろ?」 「……確かに」  冷静なツッコみに、ダイキは思わずうなずく。 「ならないと思うだろ! バカ!」 「いやいや、見た目は性癖なんですよ? そこ自覚してもらわないと。べたべた触られたら、好きじゃなくても襲いたくなりますって」  うそだ。本当はもう半分以上好きになりかけている。だが、ここは誤魔化してでも、この関係を続けたい。 「じゃあお前は、腹いせにキスしたってのかよ」 「だったらなんです? いい加減、餌もらわないと走れませんて」  憮然とした態度のダイキに、愛崎があきれつつ、思い出したのか、指で、唇を守るように触れる。 「餌奪っといてよく言う。それで、似顔絵捜査官、やる気になったのかよ?」 「愛崎主任からキスしてくれたら」 「ばかかお前」  だがそう言いつつも、愛崎は伸びた前髪をかき上げ、折衷案を出してくる。 「あーじゃ、飲みに行くのは? 俺が奢る」 そう提案され、ダイキは思わず目を剥く。 「なんだよ。お前が言ったんだろ?」 「そう……ですけど。ほかに誰か来るとかなしですよ。俺と、愛崎主任二人で」 「ああ」 「ほんとにわかってます? 俺、愛崎主任が」 「でも、中身は願い下げなんだろ? 逆上する暴力男はナイって」  そう言ってにっと笑う。 「ッツ……」 「なら問題ねーじゃねーか」  ありまくりだと、ダイキは内心頭を抱える。 (二人っきりで飲み……めちゃくちゃうれしいけど……)  襲わない様に気を付けないと──。 数日後、約束通り愛崎に誘われ、ダイキは大衆食堂へ足を運ぶ。 新緑の季節だ。夏が近づいてくる予感に、ダイキの気分も盛り上がる。 (いろいろ考えんのはやめだ! とにかく今日は楽しむ!)  そう決心し、店の前で待っていると、愛崎がかるく手を上げてやってくる。 「わり、ちょっと遅れた」 「いえ、ぜんぜん」 (私服……カッコイイ……)  とはいえ、上下黒で、Vネックのシャツにジーンズなのだから、スーツとあまり変わらないのだが、いつもはジャケットで隠れている腰回りのラインが丸見えで、ダイキは釘づけになる。 (足長っ、腰細っ! お尻も小さくてキュッとしてるの、ヤバいな……)  その下にはしなやなか筋肉があるのかと想像するだけでダイキはにやけそうになる。思わず店の外観を撮るフリをして、その後姿をカメラにおさめる。 「どうした? いくぞ」 「は、はいっ」 ダイキは表情筋に喝を入れ、愛崎に続いてのれんをくぐる。 「らっしゃい!」 にぎやかな人であふれていて活気のある店内だ。所狭しと並べられた椅子や机とは別に、小上がりの個室もあり、常連なのか、愛崎の顔を確認した大将は、空けてますよーと、元気に出迎えてくれる。 「雰囲気、すごくいいですね」 「だろ? 料理も格別だ」  向かい合って座り、注文する。愛崎は肉だけでなくバランスよく野菜も頼み、ダイキもとくにこだわりがないため、同じものをと答えた。 「じゃ、とりあえず、おつかれ」  ビールで乾杯し、運ばれてきた料理をおもいおもいにつつく。仕事の話もそうそうに、お互いに体を鍛えるのが好きだとわかって、二人は意気投合していく。 「俺、コカ・コーラ味のプロテイン好きなんすよ。でもこの間、間違えて牛乳で割って」 「は!? コーラ味を牛乳で!? おまえそれないだろー!!www」  眉尻を下げ、大きく口をあけて、少年のように愛崎が笑う。 (仕事中、キリッとしてんのに、たまに見せるこの笑顔まじやばいよなー……)  思えばこの笑顔にダイキは惹かれたのだ。もっと楽しませたくて、ダイキは十八番を連発する。 「あと冬、寒いじゃないですか。だからあったかいプロテイン飲もうと思ってお湯で割ったんですよ」 「なんだなんだ? どうなるんだ?」  そう言って前のめりに話を聞いてくれる愛崎に、ダイキはうれしくなる。 「すっごいダマになるんです。味のしないひき肉飲んでるみたいで」  真顔で言うと、愛崎がお腹をかかえて机に突っ伏す。 「あ、味のしないひき肉ってっ、くっそマズいだろっ!w」 「捨てました」 「ドヤ顔すんな! ツボる!ww あーもう、久々にこんな笑ったわ」  そう言って目元の涙を指でぬぐう。 正直、これ以上見たことない彼を見せられると、深みにハマりそうで怖い。ダイキは当たり障りのない質問に切り替える。 「そういえば、愛崎主任は、どうして刑事になったんですか?」 「なんだ、そんなのよくあるやつだよ。ヒーローになりたかったとかそんなとこ」  ビール片手に串を食べながら、愛崎が答える。 「へえ、主任って見るからにザ・刑事って感じですもんね」 「あ、お前、古いタイプの刑事だって言いたいんだろ~」  指をさす代わりにジョッキを突き出し、いたずらっぽく笑う。その仕草が、ダイキの心を揺さぶる。 「ま、まあゲンコツしたり、犯人蹴り飛ばしたり。よく問題にならないなーとは思いますよ」  軽口のつもりだったのだが、愛崎がふいに真剣な顔でダイキを見る。 「そのことだけどな……お前には感謝してる」  そう言ってあぐらをかいたまま、ぺこりと頭を下げる。 「へ!? なんすか改まってっ、やめてくださいよっ! らしくないっす!」  だが、ゆっくりと頭を上げた愛崎の目は、真剣なままだ。 「……ちょっと前、俺が逆上した動画がネットに拡散されて、大問題になったんだ。その時、次はないって言われてた。だから、お前が止めてくれなかったら、俺は今頃クビだ」  そう言って独り言ち、ビールを一口飲む。 「……なんでそこまで、犯人が憎いんですか」  ダイキはずっと疑問に思っていたことを口にする。  彼と仕事をしてもう半年──普段冷静な彼が、犯人を前に逆上するのには、なにか理由がある気がしてならない。 「捜一だからな。凄惨な現場見てりゃこうなる。お前は? なんで刑事なったんだ?」  俺のターンは終わりと言わんばかりにこちらに質問を投げかけてくる。愛崎はきっと言いたくないのだろう。ダイキは深追いせず、質問に答える。 「俺の父親、酒飲んで暴力振るうやつだったんです。でも元刑事のばーちゃんが気づいて、助けてくれて……」 「はは。まじか。カッケーな、お前のばーさん。でも、そうか、それで暴力ダメなんだな」  そう言って箸を止め、言いにくそうに確認してくる。 「……怖がらせたな。まじで、悪かった」 「え、やめてくださいって! 確かに犯人蹴り飛ばした時はさすがにビビりましたけど。俺、最後の方は父親に殴り返してたし、実際そんなに大したことないんですよ」 「ふ。つえーな、おまえ」  愛崎が感心したようにつぶやく。 「でもイヤですよ。暴力に暴力じゃ解決しないって、ばーちゃんもいつも言ってたし」 「……そうだな。俺も見習うわ」  そう言ってビールを一気に飲み干す。ごくごくと音が鳴るたび、上下するのど仏を見ながら、ダイキは唐揚げにかぶりつく。  触れたいと、唐突な欲求がダイキを襲う。 (やっぱ、来なけりゃよかった……)  優しいのにぶっきらぼうで、プライドが高いのかと思えば、部下にも頭を下げる──そのギャップに、ダイキは心を乱されていく。 「……前に、俺に幻滅されたくないから冷静になれるって、あれ、ほんとですか?」 「……ああ」 「ッツ──な、んで」  正直、力になれるどころか、今のところ足手まといでしかないだろう。 「さあ? 俺もよくわかんねーけど、お前にとって、いい上司でありたいんだよ。そう思ったら……俺も不思議だ」  そう言ってダイキを見つめる眼差しは、酔い始めているのか、ひどく潤んで見える。 「……いえ、そんな、愛崎主任のはツッコミだと思ってるんで──ばーちゃんも叩いてきたし」 「はは、叩いてくんのかよっ!」 「ふふ、ウケるでしょ。でも、ばーちゃんのは愛情があるっていうか、ぜんぜんイヤじゃなかったし……」  そこまで言ってダイキは気づいてしまう。愛崎の拳もイヤじゃないのだ。あたたかくて、大きな包容力を感じることさえある。 (あ、俺、もうとっくに──) 愛崎主任の全部が、好きなんだ──  と、愛崎が飲み干したグラスを置き、しみじみとつぶやく。 「……楽しいな。お前と飲むの」 「──ッ……」  酔っているのか、頬をほんのりと染め、その瞳は、どこかふわふわと浮いているようだ。 「また、誘っていいか?」 「──……はい、ぜひ……」  うなずくダイキに、愛崎が安心したような、ひどくうれしそうな顔で笑う。 「はは、やった……やくそくだぞ?」 「ええ、もちろん……ってか主任? ちょっと、大丈夫ですか?」  どうやらかなり酔っ払っているようだ。 「え? あーうん、俺酒弱いの忘れてたわ……いつも一杯しか飲まねーんらけろ」  ろれつがまわっていない。そのまま座敷に眠そうに仰向けのまま横になる。 「一杯!? 五杯くらい飲んでますよ」 「あーやば……てきとーにこれで払って、たくしーよんろいて……」  クレジットカードを片手に持ったまま、すーっとそのまま寝落ちしてしまったようだ。ダイキはごくりと唾を飲み込む。 (うそだろ。プライベート隙だらけじゃん……こんなの─)  襲えって言ってるようなもん─ 「─っつ……」 薄くひらいた唇に、ごくりと唾を飲み込む。 (まつ毛、やっぱり長いな。ヒゲも触ってみたいけど、さすがに起きるかな……)  ゆっくりと覆いかぶさり、いつもより赤みがかった唇に、そっと自分のそれでタッチする。 (柔らかい─)  この間は一瞬すぎて分からなかったが、もしかしたら思っていたより厚みがあるかもしれない。 本能的に舌を出し、もう一度顔を近づける。 「ん……」  だが舌先で触れようとした瞬間、むずがるように寝返りを打たれ、ダイキは飛び退く。だが愛崎は起きる気配はない。 「ッ─はあ、びびったぁ~」  へなへなとその場にしゃがみ込み、頭を抱えて丸くなる。遅れて顔が熱くなり、落とした視線の先に、かるく元気になった息子が見える。 「……あーくそ、まじで俺、やばいかも……」  本気だと伝えたら、愛崎は応えてくれるだろうか──。 〝俺はふつーに女がいいよ〟  ああ言っていたが、嫌われてはいないと思う。むしろ、他の先輩たちと比べても、愛崎はダイキを気に入っているだろう。 (頭撫でたり、肩組んだりも俺だけだし──もっと仲良くなったら、ワンチャン……)  タクシーが来るまでの間、ダイキは愛崎の寝顔を見ていた。

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