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第8話※
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「あ……」
だが次の日、さっそくオフィスに入るタイミングで愛崎とばったりと出会ってしまう。
「お、おはようござい、ます……」
ぎこちない笑顔になってしまった。愛崎もダイキを一瞥してから、ふいっと目をそらし、
「ああ」
とだけ言い、朝礼をはじめるためにデスクにつく。
(き、気まずいっ!)
まだ告白したあとのほうがマシだった。確かにやりにくかったが、まだほほ笑んではくれていた。
(ついに無表情にっ……うう、今まで優しかっただけに、余計冷たく感じる……)
今にも泣いてしまいたい気持ちで、机に突っ伏す。
(やっぱり、忘れてほしいのかな……ってか、愛崎さんの言う通りにしただけなのに、なんで、俺が、こんな─)
泣きたいような怒りたいような、言葉にならない気持ちがぐるぐると渦巻いて、胸が苦しい。
(愛崎さん─本当に……忘れたかっただけなんですか……)
「で、森山はしばらく蛇山のほうに貸し出す」
「!? え!?」
ガタンとダイキが立ち上がると、し~んと静まり返る。どうやらまた、聞いていなかったらしい。
愛崎が眉を顰め、上司然とした態度でもう一度説明する。
「新人研修の一環だ。もう俺の班には一年いるから、ときどき入れ替えていろんなやり方を学ぶんだよ」
「このタイミングで?」
その意味は当然、昨日セックスしたのが原因ですか、だ。それに気づいた愛崎が、ダイキを睨む。
「さっきも言っただろ。一年いたら十分だ。蛇山のところで違うこと学んで来い」
取り付く島もない態度に、ダイキも内心怒りが湧く。
「わかりました。今日から行けばいいですか?」
「ああ、今日、今すぐだ」
ダイキを追い出すように、机をダンッとたたく。
「っつ。わかりました!」
ガタガタとデスクを片付け、愛崎に背を向ける。
「お世話になりました!」
「ねえ、どんどんひどくなってない? 愛崎と何かあったの? 気になるから教えてよ」
仕事が一段落ついたのか、社員食堂で紅が話しかけ、目の前に座る。
その興味津々な瞳に、ダイキは全部ぶちまけてしまいたい衝動に駆られるが、口に入っていたおかずをぐっと飲みこみ、怒りをこめて叫ぶ。
「原因って……それはもう、愛崎主任ですっ!」
こちらの純情を利用してヤリ捨てた上に、あの態度とこの仕打ちはあんまりじゃないのか。少しでも期待したこちらがバカみたいだ。
だいたい、忘れたい過去は忘れられたのか、それすら判然としないのだから余計イライラしてしまう。
「おおっそうなんだ?」
「なんですか」
八つ当たりしても仕方ないが、興味本位で首を突っ込んでくる紅をつい睨んでしまう。
「いや、愛崎が部下相手に下手することあんまりないからさ。怒ると怖いけどあとでフォローするし、基本面倒見いいじゃない? てっきり森山くんの生意気が過ぎたのかと─」
痴話げんかだと思われている様だ。そんなほほ笑ましいものならどんなに良かったか。
「俺が生意気なのは今さらでしょ」
「まあ、それもそうね。あ、ほら、うわさをすれば─」
紅の視線の先を見ると、食堂の注文口に、愛崎が並んでいるのを発見する。ジャケットを脱いでいるせいで、細い腰と引き締まったお尻が丸見えだ。
(やっぱり、脱いでしたほうが良かったって……)
あのシャツがどんなふうに乱れるのか、容易に想像がついてしまい、ダイキは焦る。
「─の?」
「え、あ。すみません」
「愛崎と話さなくていいの? 呼びに行こうか?」
ずっと愛崎のことを見ながら、箸が止まっていたようだ。
「え、あー、と、大丈夫です。もう、戻れないでしょうし……」
ひどく深刻な空気が出てしまい、紅が心配そうに見つめる。
「森山くん? ね、ほんとに話さなくていいの?」
「あ、その、ちょっとおなかの調子が悪いみたいなんで、先、戻ります」
配膳口に食器を戻し、前かがみのままトイレに直行する。
「っ……んっ……」
まさか職場で抜く日が来るとは思わなかった。ダイキは便座に座り、すでに半勃ちのソレを取り出して握りこむ。
(愛崎さんの中、熱くて、好きだって言ったらぎゅって締まって、女の子みたいな声だして喘いで、泣いて─)
〝だめ、もうっだめだ、てっ─ッ!〟
「─ッん! はあ、はっ……」
汚れた手のひらを見ながら、漠然と考える。
(もし、あの場にいたのが俺じゃなくて、ほかの誰かだったら、そっちに抱かれてたのかな……)
結局、忘れられれば誰でも良かったのかもしれない─。
そう考えるだけで、どうしようもないほど胸が締めつけられて苦しい。
「っ……ぅう……くそっ」
あきらめないといけない。
冷たくされ、班からも追い出されたのだ。
もう、顔も見たくないはずだ。
結局、どこまで行っても、愛崎にとってダイキは、トラウマを克服するための手段に過ぎなかったのだ。
それから数か月、愛崎とはろくに目も合わせていない。そもそも班が違うのだから、同じオフィスにいても、遠くから眺めるくらいの距離感だ。
それでも目で追いかけると、毎晩飲んで笑った楽しい思い出が蘇り、胸が苦しくなってしまう。
(俺、やっぱりまだ好きだな─)
そこへ課長が小走りでやってくる。
「ちょっといいかー? 悪いな、残業中に。都内のゲイバーで殺人事件だ。もう犯人も自首していて、あとは実況見分と裏取りだけなんだが、誰か行ってくれないか?」
「俺が行く」
すらりとした長い手を上げ、愛崎が立ち上がる。
「おお、助かる。もう一人、誰かいないか?」
「…………」
ダイキは気配を消し、別件の証拠品の購入者リストに視線を戻す。
(!?)
だがふいに目の前に社用車のキーがぶら下げられ、大きな手のひらがダイキの頭をぽんっと撫でる。驚いて見上げると、愛崎がまるでなにもなかったようにほほ笑んでいる。
「行くぞ」
「は? え? 俺、ですか?」
ダイキは自分で間違いないのかまわりを見渡してあたふたしてしまう。
「お前以外に誰がいる? 蛇山、借りてくぞ」
「どうぞ。こっちは先に帰らせてもらうよ」
「どういうつもりですか?」
「お前が一番暇そうだったからな」
ストレートにぶつけた質問をさらりとかわされてしまい、ダイキは握るハンドルに力を込め、半ばヤケになって返す。
「暇なわけないですよねえ~!? 主任の目は節穴ですかあ~!?」
「くはっ、なんだその言い方っ」
久しぶりに見る愛崎の笑った顔に、ダイキは愛しい気持ちがこみ上げてくる。内心かわいいと思いつつも、ダイキの態度は真逆だ。
「勝手に仕事増やさないでもらえますか? パワハラですよ。パ・ワ・ハ・ラ!」
「ははっ、確かに」
「そこは否定してくださいよっ」
だが前のように楽しく会話ができたのもつかの間、愛崎は急に沈黙し、ネオンが流れていく窓の外を見る。
「……今、どう思ってんだ? 俺の事」
「………………は?」
どうして今さらそんなことを聞くのだろうか。ダイキは思わず眉を顰め、助手席に座る男を睨む。だが愛崎は窓の外を眺めたままだ。
「あれから三カ月たつし、もう、吹っ切れたのかなと思って」
「─だったらなんですか? 自分の班に戻すつもりですか?」
正直、勘弁してもらいたい。愛崎はただの上司と部下に戻りたいのかもしれないが、ダイキはまだ気持ちの整理がちゃんとついていないのだ。
「……安心してください。時間はかかりますけど、ちゃんと忘れますから」
自分に言い聞かせるようにそう口にすると、愛崎がひどく複雑な表情でほほ笑む。
「そうか……」
「なんですか?」
「いや、それはそれで、寂しいなって……」
そう言って窓の外を見つめたまま、切なげに目を細める。
(─ッ!)
ダイキは急ブレーキをかけて路肩に寄せ、シートベルトを外し、驚いている愛崎に覆いかぶさる。
「っつ、ちょっ、ばかっ、ッツ!」
逃げる顔は追いかけずに、露になった首筋に口づける。
「ンッ─!」
「俺の気持ち弄んで楽しいですかっ、人がせっかく、忘れようとしてんのにっ」
シートを倒し、身体中をまさぐり、ズボンのベルトを外してじかに前に触れる。
「っ、は、ぁ、やめっ!」
柔らかいそこは握りこんだだけで硬さを増していく。
「あの日、あんたを抱いてからもうずっと、触りたくて……首筋も、鎖骨も、胸も腰も敏感なクセに。ほんとは抱かれたいんじゃないですか?」
「ぁっ、さわ、んなっ!」
濡れてきたそこにダイキはハンカチをかぶせ、自身のものと重ねて一緒に扱いていく。
「やめ、も、外から、見えるっ!」
肩を押されるが、腰に力が入っていないせいか弱々しい。
「ここは繁華街の手前で、一番人通りが少ないんですよ。まったくないわけじゃないですけどね」
水気を吸ったハンカチが、ぐしゅぐしゅとやらしい音を立てて上下し始める。
「うっ、もり、やまっ、だめだ、あ」
びくりと腰が波打つたびに、ダイキはもっと触れたい欲望を耐える。
「─愛崎さん……謝りませんからね。これは、あんたが悪い」
顎を捕まえて無理やりキスをし、物欲しそうにひくつく穴を想像して、ダイキは目を閉じ、手の動きを速める。
「ゥ、ンン! ん~~~ッ!!」
びくりと体をふるわせ、愛崎が達する。途端、快感に濡れていた愛崎の瞳が一瞬で怒りに染まる。
「仕事中だぞっ、何考えてんだっ!」
「ぃってえ……」
殴られた頬が痛い。口の中に広がる鉄の味に、ダイキは笑いがこみ上げてくる。
「ははっ……あっははっ! く、ふふっ!」
「おい、もりや─」
心配そうに差し出された手を、ダイキは乱暴にはたく。
「ッツ……」
「最初から、こうしてくれたら良かったじゃないですかっ! 告白したとき、もっと強く否定してくれれば、俺だって、こんな─っ」
涙で言葉が詰まる。このところ、泣いてばかりだ。
「あんたなんか、好きになるんじゃなかったッ……!」
視界がぼやけ、愛崎の表情はよく見えない。スーツの袖で乱暴に目元を拭いながら、ダイキは先に現場に向かった。
被害者の男と加害者の男は元恋人同士で、痴情のもつれから殺害に至ったことが判明した。
ダイキと愛崎の二人は、目撃者の証言や鑑識から物的証拠を集め、署に戻って調書をまとめている。
すでに二十三時。消灯時間を過ぎたオフィスはひんやりと冷たくて暗く、ダイキと愛崎の他に誰もいない。
「目撃情報も、自供した内容と一致。あっという間に片付きそうだな」
「そうですね……目撃者も、全員名簿と一致します」
「……殺したいほど愛し合えるんだな……男同士も─」
まるで独り言のようなその言葉に、ダイキは苛つく。
「そこは男女と変わりませんよ。愛崎主任には、信じられないでしょうけど」
「森山……そのっ……」
「お疲れさまでした!」
なにか言いかけた愛崎の言葉を遮るようにあいさつをして、ダイキはオフィスを出る。
キンと冷えた空気が心地いい。
いつの間にか、もう冬だ。街ではジングルベルがなり、さまざまな色に変化するイルミネーションであふれている。恋人たちや家族連れが浮足立ち、すれ違う人の中には、笑顔でサンタの帽子をかぶっている人もいる。
「そっか、今日、クリスマスかあ……」
もうこの想いは封印しよう──
「ふ、ぅう……はは……好きだったなあ……っ、ほんとに……っ」
一緒にお酒を飲んでくだらないことで笑って、ふざけあった日々が、真っ白な雪に埋もれていく──
「っつ……」
流れる涙をそのままに、ダイキは家路を急いだ。
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