9 / 20

第9話

   9 「ってことがあってさ~! おれのことすきなのかなとかおもうじゃんっ!」  二丁目のバーでくだを巻きながら、ダイキはママに愚痴る。 「確かに、話聞く限り、相手もダイちゃんのこと好きっぽいけどね」  カンター内でゆったりとお酒を作りながら、ママがうなづいてくれる。 「でしょ! なのに、こっちからいったら逃げるし、避けたら来るしで……もう、つかれた……」  グラスに手をかけたまま、ダイキは机に突っ伏し、気の抜けきった体でメソメソしてみる。誰でもいいから、慰めてもらいたい。 「……待ってあげられたら、良かったのかもね」  だが、ふいにこぼれたママの言葉に、ダイキは一瞬、なんのことを言われたのか分からなかった。 「……どういう意味?」  良くも悪くも、かすみがかった雲が、晴れていくような妙な感覚── 「待つって、俺が?」  その様子にママは少し困ったように、やさしくほほ笑む。 「そうよ。向こうからしてみたら、ダイちゃんは年下で、部下で、男でしょ? 簡単には、飛び込めないんじゃないかなって」  ダイキはハッとする。 「え、まってまって……じゃ、俺がもっと慎重にいってたら……」  付き、合えた──?  ダイキは固まる。同時に激しい後悔が襲ってくる。 (あれ? おれ、どこで間違えた? どこから、から回ってた──?)  最初は確かに、部下と上司の距離感で、一緒にお酒を飲んで、楽しく話をしていた。  それなのに、どうして──。  両想いだと思い込んで、酔って襲ってしまったとき──?  忘れたいと言われ、抱いてしまったとき──?  もっとちゃんと、向き合ってほしいと頼んでいたら──もしかしたら── 「……ッ……ぁ、どうしよ……おれ……さいあくっ……」  涙が溢れてくる。後悔の、苦い涙だ。 「まだ、間に合うんじゃないの?」  だがその言葉に、ダイキは力なく首をふる。 「たぶん……むり……おれ、ひどいこと言ったし……した……」 「──そう」 〝あんたなんか、好きになるんじゃなかったッ……!〟  思い出し、頭を抱えるダイキの前で、カランと氷が解けて沈む。 〝いや、それはそれで、寂しいなって……〟 〝森山……そのっ……〟  愛崎は何かを言いかけていた。だがそれを全部遮って、ダイキは愛崎を拒絶してしまった。 「ぅっ……おれっ、なんでっせっかく、なにか話そうとしてくれてたのにっ、なんで、っ──」  目頭が熱くなり、溢れた涙が、次々に頬を伝っていく。 「ダイちゃん、強引でせっかちなところあるもんね」  そうだ。それでいつも失敗してきたのだ。 〝こっちの都合も考えろよ!〟 〝ぼくの気持ちはどうでもいいわけ?〟 〝お前ってさ、いっつも自分自分だよな!〟 どうしてまた同じことを繰り返してしまったのだろうか──悔しい。もっと自分にこらえ性があればと、ダイキはただただ後悔の念に苛まれる。 「……もどりたいっ……!」  お酒を飲んで、楽しく笑っていた頃に──。  だがもう遅い。最後のチャンスを、自らの手で潰してしまったのだから──。  それからというもの、ダイキは鬼のように仕事をこなした。だがふとした瞬間に、ダイキは立ち止まり、彼の姿を目で追ってしまう。 ほんの数メートル離れた距離だ。同じオフィス内で、愛崎が部下たちと仕事をしている姿が見える。きりっと気合の入った顔が、ふいにほころぶ瞬間に、ダイキは胸が締め付けられる思いがする。 (もう俺には、あんな風に笑ってくれないんだろうな……) そして、その強い視線に、愛崎が気づかないはずがないのに、気づかないふりをする。声をかけてくることもない。  終わったのだ。今度こそ、本当に──。  ダイキはこみ上げる切なさを必死に耐え、振り切るようにデスクに向き直る。 「よしっ!」  頬を両手で叩き、気合を入れる。愛崎に殴られた頬の痛みも、今はもうない。 (こんなふうに、心の傷も、消えていくんだろうな─)  頬を一撫でしてひとりごち、防犯カメラの映像の解析をすすめていく。 それにしても、蛇山班は合理的で証拠集めがうまい。直感で行動する愛崎班とは大違いだ。 (愛崎さんとこだと精神面鍛えられたけど、ここだと応用が身につくな……)  思い返せば、愛崎班は個々の能力がずば抜けているがゆえに、犯人にたどり着くまでの道筋が謎だ。 〝なんとなく〟〝直感で〟などというふわっとした理由で当たりをつけ、バレていると思った犯人が先に勝手に自供し、あとから証拠が集まってくるという不思議。それを思い出し、ダイキは思わずふふっと笑ってしまう。 (検挙率ナンバーワンだもんなあ……)  まあ、そのせいでダイキの捜査力はなかなか上がらなかったわけだが─。 〝研修のためだ〟 (ん? あれ? まさか、ほんとに俺のためを思って─? いや、いやいやいや……勘弁してよ。もう、忘れないといけないってのにっ─)  愛崎の本当の意図はわからない。セックスして気まずかったのかもしれないし、本当にダイキのためを思ってくれてのことかもしれない。もしくはその両方だったのかもしれないが、結果的に、ダイキの捜査力がぐんぐん伸びていることは事実なのだ。  そしてまた、思い出す。 〝森山……そのっ……〟 「…………」  あのとき、愛崎は何を言おうとしていたのだろうかと──。 (ハッ! ダメだ! 仕事、仕事仕事!!)  オフィスで思い出し笑いをしたり、青くなったり、ぶんぶん頭を振ったりしていると、紅が楽しそうねと声をかけてくる。 「ね、今日仕事終わったらさ、飲みに行かない? もう年明けたっていうか、すでに二月だけど。新年の飲み会ってことで」 「俺、ですか?」 「なによ。ダメ?」 「いいですけど……紅先輩、彼氏いましたよね? 一か月半ぶりの定時上がり、そっち優先しなくていいんですか?」  正直、年末年始は激務だった。闇バイトで死人が出るわ、使われていないはずの倉庫に遺体が放置されてるわ、酔っ払って相手を刺すわで、捜査一課はどの班もてんやわんやで、家に帰る暇などなかったのだ。 ようやく年が明け、落ち着いてきた今、真っ先に恋人と過ごすのがベストな気がしてならない。  だが、紅は肩を落とし、大きなため息をつく。 「フラれたんだって~、察しろよお~」 「す、すみません」  がくがくと肩を揺さぶられ、謝るしかない。 だが、ちょうどこちらも傷心中なのだ。飲んで忘れるのもいい。 「いいですよ」  場所は紅が決めてくれるらしい。いつもとは違った場所で飲めば、気分も晴れるだろう。 「うわっ、雪っ!?……ほんとに春になんのかな」  まだ指先がかじかむ二月半ば、雪がちらつく中、ダイキは裏地のついた茶色の皮素材の上着を羽織り、手のひらに息を吹きかけてこすってみる。 (えーっと、お好み焼き居酒屋……ってここか─って、ん!?)  ナビを見ながら指定された居酒屋の前に着くと、紅ではなく愛崎がいた。 (愛崎主任っ!? なんでっ!?) ダイキは急いで街路樹の陰に隠れ、そっと様子を窺う。 冬物の黒いロングコートを羽織り、人目につかないところに立っていて、あやうく見落とすところだった。 どこか落ち着きない感じでまわりを見渡しているところを見ると、待ち合わせに違いない。 (絶対紅先輩が呼んでるよな……)  ハッキリ言ってまだ気持ちの整理がついていない。愛崎だってまさか自分が来るなんて思っていないだろう。 (紅先輩、マジ余計なお世話だし……)  そっと帰りたいが、下手に動くと勘の鋭い愛崎に気づかれてしまいそうだ。とそこへ携帯の通知音が鳴り、到着した連絡だと思ったダイキはすぐに確認する。 『ごめーん、彼氏にフラれたってのは嘘♡ さっさと仲直りしちゃいなさいよ』 「はあああ!?」 「森山?」  百八十を超える巨体が街路樹からはみ出したらしく、思わず声をかけてしまったらしい愛崎と目が合う。 「なにしてんだ? こんなとこで」 「あ、……えーと」  ぽかんとしている愛崎を見て、やはりダイキが来るとは聞かされていなかったのだとわかる。 「あ、紅先輩に呼ばれたんですけど、来られないみたい……です……」  聞くが否や、愛崎のこめかみに怒りマークが浮かぶ。 「は!? どういう意味──何考えてっ……あのやろっ、ほっとけって言ったのにっ!」  せわしなくLINEをチェックし、携帯を耳にあてるが、相手が出ないとわかると、盛大なため息と舌打ちをかます。どうやら、はめられたことに気づいたらしい。びりびりしたオーラに、ダイキは逃げ出したい気持ちになる。 (めっちゃ怖い。まじで今さら何も話すことないですって~、くれないせんぱいのばか~!)  だが、愛崎はあきらめたように携帯をポケットにしまい、ぽつりとつぶやく。 「はぁ……わるかったな、なんか巻き込んで」 「え?」 「紅だよ。様子が変だってしつこいから、けんかしたって言ったら、仲直りしろってうるさくて……」  そう言って前髪をかき上げ、頭をかく。 「……けんかだったら、良かったですね」 「はは。ほんとにな」 「…………」 「…………」  なにか、話さないといけない気がする。それなのに、気持ちが焦るばかりで、なにも言葉にならない。ただ、白い息が舞っては消えていく。 「……帰るか。とくに予約入れてたわけでもなさそうだし。今さら……お前も、もう俺に用なんかねーだろ」  そう言った時の、彼の表情をどう表現したらいいのだろうか。寂寞? 安堵? 後悔? 〝……今、どう思ってんだ? 俺の事〟  あの時もそうだった。どんな気持ちなのか、複雑な彼の心情は、単純なダイキには推し量れない。だが、ほんの少しでも、気持ちがこちらに向いているのなら、それをすくい取りたい。  今度こそ、大切に──。 「じゃな」  そう言って、すぐ横を通り過ぎようとするその腕を、ダイキは思わず掴んでいた。 「なん──」 「愛崎さん。俺たちやり直しませんか? 一から──」 「は……?」 「俺と、デートしましょう」 「なに……言って……」  愛崎はひどく困惑しているようだ。だが、振りほどかれる気配はない。ダイキはそっと掴んでいた腕を放す。 「俺、後悔してるんです。もっとちゃんと、愛崎さんと向き合えばよかったって」 「…………」 「俺、愛崎さんの都合とか、ペースとか考えずに突っ走って、勝手に玉砕して──勝手に傷ついてました。ちゃんと愛崎さんのこと、見てなかったんです。本当に、すみませんでした!」  そう言ってがばりと頭を下げる。愛崎が当惑しているのはもちろん、川沿いを歩いている人たちが何事かと横目で見ながら通り過ぎていくのがわかる。だが、ここは引けない。たとえ今さら遅いと言われても、後悔したくない。 「俺とデートして、いろいろ試して、ダメだったらキッチリフッてください。そしたら、今度こそ、あきらめます」  面を上げ、晴れやかな顔で言ってのけると、ふいに愛崎の瞳が潤み、それを隠すように顔をそむけ、口元に手をやる。 「……ご、めんっ……」 「っつ……」  フラれた。ダイキはできるだけ微笑み、ゆっくりと首を横に振る。 「……いいんです。愛崎さん、もともと女の人が好きだし。俺が勝手に勘違いして──」 「違うっ……! そうじゃっ、なくてっ……」 「え──?」  愛崎が涙をこらえながら、ふるえる声を必死に絞り出していく。 「ずっとっ、あやまりたかった、お前を、ふりまわしたことっ……〝好きになるんじゃなかった〟なんて、言わせるつもりなかったっ……ただ、どうしていいか、わからなくて……っ」 「あいざきさ──」  顔を覆うように手のひらで隠していても、指のすき間から、頬を伝って涙がこぼれ落ちていくのが見える。プライドの高い彼が、まさか往来で泣くとは思わず、ダイキは信じられない気持ちで見守る。今度こそ、最後まで受け止めたい──。 「もりやま……おれはっ……っつ……」 「……ゆっくりで大丈夫ですよ。俺、ちゃんと最後まで聞きますから」  その言葉に、ふっと口元をゆるませ、小さくうなずく。次第に気持ちが落ち着いてきたのか、まだ濡れた瞳のまま顔を上げ、まっすぐにダイキを見つめる。 「森山……俺も、お前とやり直したいっ……」 「──ッ!?」  予想外の言葉に、ダイキは一瞬耳を疑う。〝部下として大事に思ってる〟とか〝気にはなってた〟とかせいぜい過去形で言われると思っていた。 だが聞き間違いではない。愛崎が少しスッキリとした顔で照れくさそうに笑っているからだ。 「ははっ……あー言っちまった。お前とデートかあ、何着て、どこ行こうか?」  まだ目元を赤く腫らしたまま、カッコつけて言う彼が可愛くてたまらない。 「まっじ──ッ」  瞬間、抱きつきそうになるのを耐え、そのまま自分自身を抱きしめる。その様子に、愛崎が眉尻を下げ、口を大きくあけて笑う。 「ふはっ、おまえっ、耐えたな、いまっ!」 「ぜ、ぜんぜん楽勝ですよ! 俺は待てる男になったんで!」  バレバレの強がりに、愛崎がまた吹きだす。 「ははっ! あーまぁ、いいよ。ぎゅってするくらい。お前の言う通り、あれこれ悩むより試したほうが早そうだ」  そう言って人気のない路地に誘うように入っていく。 「なんか、主任のこういうところ、えっちです」 「はあ? お前が抱きしめたいとか言っ──」  正面からぎゅっと抱きしめると、互いの心臓が跳ねて大きく脈打つのがわかった。 「……っ」 しっかりとした肉づきに、すっぽりとおさまるサイズ感が心地よくて、ダイキは抱きしめる腕に力を込める。厚手の布を通して、じんわりと、彼の体温が伝わってくる。 「…………」 なつかしい、タバコと石鹸の混ざった匂い。思わず擦りつけた頬が、外気で冷えている彼の耳に触れて気持ちがいい──。 「……くるしーって」 「すみません……加減、できないです……」 「……そうかよ」 「はい。あったかいです……」 「…………」  もう二度と触れられないと思っていた体温が今、腕の中にある──ダイキはもう死んでもいいとさえ思いながら、大きく鼻で息を吸う──匂い、体温、吐息、それから──とふいに、ダイキの背中に腕がまわるのがわかる。愛崎が、かるく抱きしめ返してきたのだ。 「──ッ……」 「おまえ、やっぱデカいな……腕、まわんねーじゃん……」 「あいざきさ……」  心臓がどくどくと脈打ち、緊張で頭がまっ白になりそうになる。 (愛崎さんっ、こういうところですよっ!)  わざとか天然か。今一つ測りかねる。  だが、ふいに自分以外の心音が重なっていることに気づき、腕の力を弱めてのぞき込む。 「愛崎さん、顔、真っ赤」 「は!? ばかっ、見んなっ!」  そう言ってダイキの肩口に顔を押しつけて隠そうとするが、耳がますます赤くなっていくのが見てとれ、ダイキは昂る気持ちのまま、再び強く抱きしめる。 「うー……」  好きだ。かわいい。キスしたい──。どろどろに甘やかして、泣かせたい。  だがきっと、そういう事を言えばまた困らせてしまうのだろう。  今は我慢だ。がまんがまん……。 「……いつまでやってんだ。いーかげん離れろ」  そう言って、やさしくダイキの腕をたたく。 「えーまだ離れたくないですう~……」 「……じゃあ、あと少しだけな」  そう言ったかと思うと、愛崎が力を抜き、ダイキの腕の中に大人しくおさまる。 (う~かわぃ~……)  雪がちらつく中、二人はしばらくそうしていた。

ともだちにシェアしよう!