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第15話

 幸せだ。あれからデートの約束もスムーズになり、二人でいるときの時間が落ち着いていて、とてもほっとする。愛崎の部屋で裸で抱き合いながら、ダイキは幸せを噛みしめていた。  だが──。 「ぁっ、もりやまっ……」 「っつ……」 「? 森山?」 「いえ──」  付き合ってそろそろ半年になる。 (名前で呼び合いたい、なんて……子どもっぽいって思われるかな……)  これ以上望むのは欲張りだと分かっている。だが、ダイキは愛崎ともっと、親密になりたいと思うのだった。 「ふぁ~」 「起きたか? お前の分も作ってやろうか?」  言われた瞬間、ダイキは青ざめ、ベッドから跳ね起きる。 「えっ!? アレですよねっ? あのゲ○みたいなやつですよねっ!?」 「食いにくくなる言い方やめろ」  ダイキは台所に立っている愛崎の方へ向かい、電子レンジから出てきたものを見てぞっとする。 「ほらやっぱり! オートミールに、生卵とアボカドと納豆混ぜて、レンチンしてカレー粉振ったやつじゃないですかっ」 「タンパク質が豊富でうまい」 「味がそれなりでも見た目がアウトなんですよ!」  どう見てもソレにしか見えない。愛崎は腹に入れば一緒だと思っているようだが、ダイキとしては、美味しく頂きたい。まあ、そのストイックなところも好きなのだが、やりすぎじゃないのかと心配にもなる。  そんな気持ちが伝わったのか、愛崎が安心させるように答える。 「体重戻したいんだよ。お前と飲みに行きすぎてだいぶ太ったから」 「そうなんですか?」  あまりそうは思えない。もともとすらりとした体型なのだから、むしろ、ほんの少し脂肪がある今が、色っぽいと思う。 「……あんま見るな」  そう言って居心地悪そうに視線をそらす。シャツの合間から、つい先ほど鎖骨につけたキスマークが見え、ダイキはまた、情欲をくすぐられてしまう。 「……薫さん」 「な、なん、だよいきなり」  明らかに戸惑った表情でダイキを見る。 「いや、そろそろ名前で呼び合いたいなって……ダメ?」  そう言って近づいてみるも、するりとかわされてしまう。 「……急に言われてもな……」 「ダイキって呼んでくれないんですか?」  つれない背中に声をかけるも、愛崎は思った通り、のらりくらりとかわす。 「そのうちでいいだろ」  ソファに座って、例のものを食べ始める。 「……そのうち、ですか」  付き合って半年──愛崎がこうやって誤魔化すときは、だいたい、気が進まない時だ。 (でも、やっぱり、寂しいですよ……) 「そういえば、結婚してた時も、お互いに苗字呼びだったわ」  給湯室で、紅が思い出したように答えるのを聞いて、ダイキは頭を悩ませる。想像以上に手ごわいかもしれない。 「ま、今さら照れくさいだけでしょ」 「ですかね……愛崎さん、先輩に何か言ってません?」  そう探りを入れてみるが、紅はぶんぶんと首を横に振る。 「なーんにも。あいつ、そもそも私に相談したり甘えたりしないわよ。それもあって別れたんだし。あいつが私に愚痴るのは、よほどの時!」  そう言って、紅は怒ったように人差し指を立てる。 「そうですか……」  普段は紅が面白半分につついて、ほとんど誘導尋問のように聞きだしているらしい。 「うふふ、森山くんのことになると、面白いくらい隙だらけになるから」  そう言って、今度はにやっと笑う。 「待った方がいいと思います? それとも押したほうがいいですかね」  紅はうーんと唸ってから、一息にまくしたてる。 「押して押して押しまくって引く! たぶんこれが一番効くわ」  びしっと立った親指には自信が満ち溢れている。単純なダイキはその意見を参考にすることに決めた。  最近は、二週間に一回は必ず会えるようになってきた。夜遅くになることも多いため、もっぱら、愛崎の家でお家デートだ。  だからこそ、人目を気にする必要がない。 「薫さん、薫さん、かーおーるーさーん!」  そう言いながらソファでじゃれついてみるが、相変わらず愛崎は戸惑うばかりだ。 「あーもう、やめろっなんなんだよ」 「……だって、俺もっと特別だって思いたいです。愛崎さんは、そう思わないんですか?」  抱きついたまま、上目遣いで瞳をうるうるさせてみる。 「っつ……ちょっと待てって、言っただろ……いきなり言われても、呼びにくいんだよ……」  照れたようにそっぽを向くのを見て、本当に恥ずかしいだけなんだろうとダイキは思う。 (そういえば、押して引くの〝引く〟ってどうやるんだ? しばらく今まで通りに呼べばいいってことかな?)  せっかくのデートも上の空で、ダイキは一人、頭を抱えていた。 「もー! 名前で呼ばれたい!」  あれから三週間、名前で呼んだり苗字で呼んだり、ダイキなりに押して引いてを試してみるが、待てど暮らせどその時は来ない。 気がつけば、オフィスで愚痴ってしまうほど溜まってしまっていた。 (このまま一生苗字呼びって、なんか、なんかヤダっ!) 「手こずってるみたいね~」  耳ざとく聞きつけた紅が、これまた面白そうにつついてくる。 「……どうしたらいいですか? なんかまた空回ってる気がするんですけど……」 「うーん、そうねえ……」  とそこへ、同僚の女性刑事も、首を突っ込んでくる。 「恋人に名前で呼んでもらいたいんだって~」 「きゃー♡」 「ちょ、紅先輩っ!」  恋バナに飢えていた女性刑事はこれでもかと食らいついてくる。 「もりりんの下の名前ってなんだっけ?」 「〝ダイキ〟よね? カタカナで」  後輩からの質問に、紅がすかさず答える。ダイキはもう、嫌な予感しかしない。 「じゃあ、私たちが代わりに呼んであげましょう、先輩!」 「そうね♡ ほらダイキ、しっかり!」 「ダイキ! 報告書早く出してほしいって!」 そして、謎のダイキコールが始まってしまう。 「ダ・イ・キッ! ダ・イ・キッ!」  苦笑いで受け流していると、突然、背中に悪寒が走る。 (愛崎さんが、ものすごい顔でこっち見てる……)  ダイキは直感する。これでは余計に言いにくくなってしまっただろうと──。プライドの高い彼のことだ。他のみんなが呼ぶからどさくさに紛れて呼ぶ、なんてことは絶対にしないだろう。なにかもっとうまいキッカケを作らなければならないが、単純なダイキには思いつかない。 「ダイキ! ダイキ!」  ノリノリでダイキコールをしながら、紅がウィンクしてくる。 (いや、絶対、逆効果ですよ~……)  ダイキは泣きたい気持ちで、悪ふざけをしている二人を見ていた。 (まじで、次会う時、どうしよう……)  楽しいはずのデートが、少しだけ、憂鬱に感じてしまうダイキだった。  だがそこから、ダイキと愛崎はお互いの都合が噛み合わず、しばらく会えない日々が続いてしまった。班が違うせいで、仕事中も会話らしい会話をする機会もない。ようやく会えたのは、前回のデートから、一か月以上も経ってからだった。 「愛崎さん、めちゃくちゃ会いたかったです」  玄関を開けるなりそう伝えると、愛崎も、俺もと返してくれる。 「着替え、持ってきたか?」 「あ、はい!」  丸一日休みがかぶることはほとんどない。今日も、結局仕事終わりに会うことになったのだ。 (明日もお互い仕事だけど……〝泊っていけ〟って、そういう意味、だよな……)  最近は、愛崎からもそういう誘いがある。そういう時は、なぜか初めてのときのように緊張してしまうから不思議だ。 (今日こそ、名前で呼んでくれるかもしれないし……)  紅なりに焚きつけてくれたのだと思う。愛崎も、それは分かっているはずだ。 「夕飯、まだだよな。出前でもとるか」 「はい」  夜も遅かったからか、三十分もしないうちに熱々の出前が届く。ダイキは、どこかのタイミングで、名前を呼んでくれるんじゃないかと期待する。だが── 「ダイ──ニングに持って行って食べるか」 「ダイ──好きなんだよ。レーズンパイ」 「ダイ──ハード久しぶりに見たいな」  そう言ってリモコンを取る手をダイキはつかむ。 「薫さん」 「な、んだよ……」  愛崎は明らかにどぎまぎしている。 「そんなに名前で呼ぶの恥ずかしいですか? 俺たち、付き合ってもう半年ですよ?」  暑い季節が終わって、もう冬だ。ダイキにしては辛抱強く待った方だろう。だからこそ、今日はもう逃がしたくない。 「っ……」 ソファの背に、ゆっくりと押し倒すように迫っていく。 「薫さん……」  しっとりと耳元で囁く。だが──。 「……っ……もりやま……」 「──…………」  名前で呼んでくれない、ただ、それだけのことなのに、ダイキは萎えていく気持ちを、どうすることもできなかった。 「っ……帰ります」 「え」  すっと愛崎から離れ、固まっている彼をそのままに、振り返ることなく玄関に向かっていく。 「もりっ……っ……」  言いかけて、口元を抑えるのが分かる。だが、名前で呼んでくれる気配はない。 「……すみません。なんか、ちょっと……今日はもう、帰って頭冷やします……」  それだけ言うのが、精いっぱいだった

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