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第16話※
⑯
ダイキは車に乗り込み、エンジンをかける。
愛崎にとってはたかが名前なのかもしれない。だが、ダイキは苗字で呼ばれたとき、どうしようもないほど寂しい気持ちになってしまった。
「俺が……欲張りなだけなんだよな……」
声が震える。なんだか泣きたい気分なのに、涙が出ない。いや、これくらいで泣いてしまったら、これから先、彼との温度差や価値観の違いが露呈して、続けていけなくなるかもしれない──そう直感的に感じて、ダイキは涙を抑え込んでしまっていた。
(大したことない。名前くらい、別に、苗字で呼び合ってる仲良しカップルもいるだろ……知らんけど……)
ハンドルを握って突っ伏し、とにかく自分にそう言い聞かせる。
(〝名前で呼び合うことにこだわっちゃいました〟って、後で明るくLINEすれば、また、きっと──)
と、ふいに寒さで、体が震える。暖房はつけているが、まだ温まる気配はない。
「やば。マフラー忘れた……」
ダイキは取りに戻るか迷う。だが、気まずい空気を元に戻すチャンスかもしれない。なにより、ダイキは自転車出勤だ。冬の朝にマフラーがないのは、辛い。
「あいざきさーん?」
どう言い訳をしようかと思いながら玄関を開けたせいか、思いのほか小声になってしまったようだ。聞こえなかったのか、返事がない。
「愛崎さん?」
ダイキはリビングに続く廊下をゆっくりと歩いていく。だが、明かりはついているのに、部屋はしんとしていて、静かだ。
「あいざ──」
ソファの方からくぐもった声が聞こえる。だが背もたれに隠れて姿が見えない。
(もしかして、泣いてる──?)
途中でやめて帰ってしまったから、傷つけてしまったかもしれない。
「……ッぅ」
「愛崎さん、すみません、俺──え?」
「え……」
一足飛びに近づき、ソファの背もたれからのぞき込んだダイキは、一瞬目を疑う。
「……ッツ……!?」
「それ……俺の、マフラー……?」
「うわっちがっ、これ、忘れてたからっ、なんでっ!? 帰ったんじゃ──ッ」
あまりにも驚いたのか、愛崎がソファから転げ落ちてしまう。それもそうだろう。なにせ、首にダイキのマフラーを巻いたまま、自慰をしているところを本人に見られたのだから──。
「っつ……ばかっ、もう、かえれよっつ……」
床にうつ伏せで転がったまま、両手で股を隠し、動くに動けず、愛崎が涙声で肩をふるわせている。そのいじらしい姿に、ダイキは興奮してしまう。
「──意外……あんたはそういうこと、しないと思ってた」
そう言いながら、床の上で震えている愛崎に覆いかぶさっていく。
「俺の匂い、興奮しました?」
「うるせーだまっ──ッぅ!」
「すごい濡れてる。なに想像してたんですか?」
「アッ、ばかっ、いま、さわんなっ……」
「どうして? 気持ちいいでしょ?」
やさしく握りこんだつもりだが、愛崎がびくりと身体を震わせる。
「ちがっ……い、今、イッたばっか、だから……」
「──ッツ!?」
消え入りそうな声で愛崎が告白する。その耳は、信じられないほど真っ赤だ。
「え、ほんとに?」
「ッツ……」
すぐに戻ってきたと思う。それなのに、愛崎はマフラーを首に巻いて、ダイキとのことを想像して達していたのだ。
「かわいすぎでしょ……」
「アッさわんなってっ」
達したばかりのそこは、ひどく敏感になる。ダイキだって触られたくない。だが、どうしようもないほどめちゃくちゃにしたくなってしまった。
「愛崎さん。知ってます? イッタばかりで敏感なここ、思いっきり擦ると、潮吹けるんですよ」
「な……おま……やっぱ、名前で呼ばないこと怒って……」
「んーどうですかね?」
適当にごまかしながら、にやりと笑って見せると、今度こそ愛崎の顔が青ざめる。
「やっ、ちょ……うそだろ、やめ」
「暴れていいですよ。抑えつけとくんで」
そう言ってうつ伏せになっている愛崎にのしかかり、後ろから手をまわして、思いっきり上下に扱く。
「ヒッ!? ぃあっ、ヤッぁあっ、あ゛~~~ッ! 死ぬ、しぬしぬ!」
「死にませんって」
「やぁ、ぁあ゛ぁっ!」
ダイキの下で、びくびくと全身をわななかせながら、愛崎が激しく身もだえる。それもそのはず、そこに行きつくまでは、快感というより、鳥肌が立つような不快感が、全身を襲うのだ。
「ぁあ゛っ、ダイッ……ダイキぃッ、や゛っ、もうっやめぇ!」
「ふ、今言うの? ズルい」
だが扱く手を緩めるつもりは毛頭ない。手加減すれば、ゴールが遠のいてしまうからだ。だが剥き出しの性感帯を無遠慮に擦られ、行き過ぎた快感に、愛崎がカーペットに爪を立て、激しく掻き毟っていく。
「ごめっ、わ、るかったってっあ゛あ~~ッ、ぁ、ア゛ぁッ! ぁ~~~っ!」
か細い声とともに、ぷしゅっと透明な液体が溢れ、ダイキの手を濡らしていくのがわかる。それと同時に愛崎の身体が二、三度びくびくと震え、やがて小刻みになる。
「ふふっ、ぐちょぐちょ。潮、上手に吹けましたね」
「……やっぱ、怒ってんじゃね―か……」
めずらしく、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を隠そうともせず、愛崎がゆっくりと振り返る。
「違うのか?」
「……っ……」
そういう彼は、怒っていないようだ。ダイキはゆっくりと、その胸に力なく頭を預けてみる。
「そう、ですね……たかが名前と思うかもしれませんけど、どうしようもないくらい、気持ちが落ちていっちゃったんです……」
それから、小声ですみません、と付け加えてみる──怖い、〝そんなことで〟なんて言われたら、気持ちの置き所がわからなくなってしまうかもしれない。そう強張る頬に、愛崎の手のひらがやさしく触れる。
「……たかがなんて、思ってない」
「え──」
その瞬間、ぎゅっと強く抱きしめられる。
「……もう、戻ってこないかと思って、すげー焦ったっ……!」
そう叫ぶ愛崎の身体は震えていて、ダイキはゆっくりと抱きしめ返す。
「……捨てられると思ったんですか?」
おそるおそる聞いてみると、愛崎がこくりと頷く。
「……俺はこんな性格だし、名前で呼び合うとかしたことねーから……タイミングとか、まじでわかんなくてっ、早く呼ばなきゃって思うほど、出てこなくなって、またお前を困らせてるって分かってんのに……呼べなくてっ……ごめん、ほんとにっ──」
「愛崎さん……」
ダイキは心底ほっとする。よかった。愛崎も、同じくらい悩んでくれていたのだ。
「ちゃんと、考えてくれてたんですね」
「当たり前だろ、何回も、呼ぶ練習とかしたりして……さっきも──」
「さっき?」
思わず聞き返すと、愛崎がしまったという顔をする。
「お、前に、名前で呼ばれるの、想像して……した……」
「え……」
「おまえに、呼ばれるの、ヤバいんだよ……」
そう言って顔を隠すようにダイキの肩口に埋める。
「──へえ、どんな風に、ヤバいんですか?」
薫さん、と耳元で囁くと、身体をふるりと震わせる。
「っつ、ぞくぞくして、変な気分に、なる……ッ」
「……俺も、同じ気持ちになりたいです」
そう言ってまた名前を囁くと、愛崎が抱きしめる腕に力を込める。
「……ダイキ、もう、急にいなくなるなっ……」
「ずっと一緒にいますよ。薫さん」
「薫さん」
「んっだい、き……っ」
ベッドに移動し、向かい合って名前を呼び合う──ただそれだけで、愛崎の中が、ぎゅっと甘えるようになついてくる。それが心地よくて、知らず、ねっとりとした腰使いになる。
「やば、溶けそう……」
「俺も……」
根本まで埋めたまま、ちゅ、ちゅっとキスを交わしていると、ふいに愛崎の瞳が戸惑ったようにダイキを見上げる。
「ゆっくりだと、なんか……」
「? 気持ちいいですよね?」
「まあ……そうだが……」
今度は繋がっている部分に視線を落とす。
「どうしたんですか?」
「いや、おまえの……かたち、おぼえそう……」
「ッツ!」
言いながら、口元に手をやり、恥ずかしそうに横を向く愛崎の仕草に、ダイキは一気に中心に熱が集まるのを感じる。
「……かたくすんなよ」
あきれたように愛崎が呟くが、ぬかるんだ瞳では逆にダイキを煽るだけだ。
「誰のせいだとっ──ってかまだ覚えてくれてないんですか?」
結構ショックだ。もう両手では数えきれないほど抱き合っているというのに──。
「いつもがっついてくるから、そんな余裕ねーよ。熱くて硬いってくらいしか」
言いながら中をきゅっと締め付けてくるからたまらない。
「ちょっ──ぁっ……~~~!」
イってしまった。隠語にも満たないような、ちょっとえっちな単語だったにも関わらず、いつもストイックな彼からの総攻撃は、思いのほか、ダイキの中心を直撃した。
「も~……いつも急に煽ってくるのなんなんですかっ」
「そんな効くと思わねーよ」
そう言ってふっと笑う。
「一緒にイキたかったのに~」
いろいろあったせいで、さすがに今日はどっと疲れが出てしまう。重い身体のまま、愛崎の上に倒れこみ、心地よい眠気に目を閉じる。
「すみません……今日はもう……」
まどろむダイキの頭を、愛崎の手のひらがやさしく撫でる。
「いーよ、明日仕事だし、寝るか」
そう言ってダイキの頭頂部にキスを落としてくれる。
「おやすみ、ダイキ」
「ん、おやすみなさい。薫さん」
その日はとくに、ぐっすりと眠れた。
「俺、あんまり下の名前、好きじゃなかったんだよ。女みたいで」
仕事が終わり、ダイキの家のソファで一緒にくつろいでいると、ふいに愛崎が話し出す。
「あ、なるほど?」
「ふは、気にしてねえって顔だな」
そう笑って、ダイキの肩に頭を預ける。
過去のこともあるだろうが、どうやら愛崎は、〝男らしさ〟にこだわるところがあるようだ。
「ふっ……俺は好きですよ。なんかいい匂いするって意味でしょ?」
「はは、適当かよ」
そう言って笑う彼の頭に鼻を近づける。
「シャンプーと煙草と、汗と、えっちな匂い混ざって、興奮します。ね、薫さん?」
「……まだ何もしてねーだろ。まあ、お前に呼ばれるのは嫌じゃねーし」
「ぞくぞくするんですもんね?」
にやりと口角を上げると、愛崎も見つめ返してくる。
「お前もだろ、ダイキ」
「もうバッキバキですよ」
「バカ」
そのキスは、この世のどんなお菓子よりも甘い──。
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