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第18話
⑱
(一致したんだ……被害者の爪に残っていたDNAが──)
その場の緊迫感が一気に上がる。
「釈放されて二年か? やってくれる」
ちりっ、と皮膚が焼けるような殺気を静かに立ち昇らせ、愛崎が画面を睨みつけたかと思うと、突然、踵を返して走り出す。
「ちょ、愛崎さっ」
「紅、俺は現場に出る! 後は頼んだ!」
「え!? うそでしょっ!」
言うが否や、走り去っていく背中を、ダイキが追いかける。
「紅先輩、あとで連絡しますっ!」
「頼んだわよっ!」
その言葉に大きく頷き、ダイキは愛崎が一人で発車させようとしている車に乗り込む。
「ついてくんな」
「放っておけるわけないでしょっ」
互いに言い合いながらベルトを装着していく。ハンドルを握り、愛崎が確認してくる。
「……付き合ってんのバレたんだ。私情だなんだの、あとで言われても知らねーぞ」
「薫さんだって私情でしょ」
「なに?」
「〝一発ぶん殴りたい〟違いますか?」
確信を持って告げると、愛崎がハッと笑う。
「正解」
瞬間、全力でアクセルが踏み込まれた。
「おいダイキ、さっきから何ぺたぺた触ってんだよ」
運転しにくいだろ、と文句を言う愛崎のスーツのポケットや裏地に念入りにあるモノを仕掛けていく。
「小型のGPSです。犯人は、毎回被害者の服を脱がさずに犯行に及んでいます。だから──」
「それは分かるが、なんで俺につけるんだ?」
その言葉に、ダイキは一瞬手を止める。
「──薫さんは、犯人が覚えてるはずないって言ってましたけど、俺は嫌な予感がするんです」
「まさか。アラフォーのオッサンだぞ?」
案の定、愛崎は気にも止めていないようだ。そうでなければ、単独行動しようなんて思わないだろう。
「……手足が長くてスタイル抜群、野性的で色気があって、どこか放っておけない……」
「どーも」
「──薫さんの証言で捕まったんです。どこかでその情報を入手してたら」
「復讐か」
俺と同じ──と自虐的に笑い飛ばす愛崎を、ダイキが真剣な顔で見つめる。
「念のため、GPSのことは紅先輩にもLINEで伝えておきます……絶対に、俺から離れないでください」
「……わかったよ」
車は、被害者宅へ向かっていった。
愛崎はいつも必ず、捜査前に被害者宅へお邪魔し、線香をあげてから捜査を開始する。捜査の進捗や情報などもこまめに報告するように心がけていて、そしてその姿勢を、ダイキは心から尊敬している。
(飛び出したから心配したけど、よかった。いつも通りだ……)
紅には、とりあえず愛崎と行動していることと、GPSの件を伝えておいた。既読にはなったが、返事がないところをみると、いきなり愛崎の代わりに三班をまとめるように丸投げされたから、今頃大わらわに違いない。
「では、なにか分かりましたら、ご連絡いたします」
愛崎に続き、線香をあげ、丁寧に頭を下げてから被害者宅を出る。
「どのあたりから聞き込みます?」
「そうだな……まずは」
並んで話しながら、マンションの敷地内を出た瞬間、首に激痛が走り、ダイキはその場に崩れ落ちる。
「ッツッ!?」
「薫さ─ッ!?」
何が起きたのか、まったく理解できなかった。激痛で意識が遠のいていく。身体が痺れて動かない──すぐ隣にいた愛崎も倒れ、大柄の男に担ぎ上げられていくのを、ダイキはただ、見ていることしかできなかった。
次に目が覚めた時、ダイキは別の捜査車両に乗せられていた。
「!? か、薫さ……あ、愛崎さんがっ! 大柄の男にっ! 早くっ! 早くしないとっ!」
混乱しながら運転席に飛びつくと、頼もしい声が聞こえてくる。
「森山くん、落ち着いて、今追ってるから!」
「紅先輩っ!?」
「でもごめん。気づくのが遅れて──山に入られちゃって」
「すみませんっ、俺──俺のせいでっ」
あれはおそらく犯人だ。迷わず愛崎を連れて行ったということは、やはり最初から狙われていたのだ。
「スタンガンね。愛崎だけさらって、森山くんは見つかりにくい植木の裏に移動させられてたのよ。私がもう少し早く、GPSを確認していたら──っ」
紅が気づいた時には、高速に入り、都心部から遠ざかった上、電波が届きにくい山に入っていくところだったというのだ。
「あっという間に圏外になっちゃって、GPSの電波が拾えないの。山にいるだろうってことくらいしか」
「山っ……そんな……!」
あの男は、刑事二人を相手に、なんの迷いもなくスタンガンを使った。すでに、人としての一線を越えているとしか思えない。捕まれば、次は間違いなく死刑だろう。
(それは、犯人が一番よくわかってるはず──)
それでも犯行に及んだということは、死刑になっても構わないということ──何をしでかすかわからない。
「ど、どうしようっ、俺のせいで、愛崎さんがっ、どうしたらっ!」
もしかしたら、殺され──頭をよぎる最悪の結末に、ダイキは全身の力が抜けてしまいそうになる。
「愛崎さっ、薫さんっ!」
「落ち着きなさいっ! 森山ダイキ!」
運転席の紅から叱責が飛ぶ。
「あいつは強くてしぶとい。殺そうと思っても、簡単には死なない。そうでしょ!?」
ダイキは大きく頷く。
「ッツ……は、はいっ!」
ダイキはパニックになりそうになるのをなんとか堪える。
そうだ。一発ぶん殴りたいはずなのだ。簡単に殺されたりはしないだろう。ダイキ達が到着するまで、時間を稼いでくれるはずだ。
どれくらい気絶していたのだろう──愛崎が気づいた時、すでに山道に入っているところだった。車窓から見える緑と、カビ臭い車内に、一瞬、愛崎は自分がどこにいるのかわからなかった。
「ッツ……!?」
起き上がろうと身じろいだ時、ようやく拘束されていることに気づく。
(まじ、かよ……)
手足はビニール紐で縛られ、銃も取られている。その状態で後部座席に転がされていることがわかり、愛崎は冷や汗が出てくる。まさか、まさか──盗み見るように運転席へ視線を移すと、バックミラーで様子を確認していた男が、ゆっくりと振り向き、下卑た笑いを浮かべる。
「久しぶり、会いたかったよ」
「──ッツ!!!」
ぞくりと全身の毛が総毛立つ。ワカメのように真っ黒く、ベタついた前髪のすき間から、鈍く光る瞳がこちらを覗いている。二十五年以上経っても夢に見る──その不気味な瞳──冷や汗と、鳥肌が止まらず、呼吸が浅くなるのが自分でもわかる。愛崎は知らず、距離を取るように、後部座席に身をくっつける。
「……なんで、俺を覚えてる?」
怯んでいることを悟られるわけにはいかない。愛崎の勘が正しければ、この男は強気でいった方が、時間を稼げる。
「二十五年も刑務所に入ってたらさ、いろんな看守に会えるんだよ。その中の一人が教えてくれた。〝お前がヤッた奴が、刑事になった〟って」
「ツッ!」
まさか身内から情報が流れているとは思わなかった愛崎は、愕然としてしまう。
「ボクの似顔絵に協力したのもキミなんだって? くふふっ! 会いたくもなるよぉ!」
「下衆がっ!」
「く、ふふ、うふふっ」
男は肩を揺する。
「ボクもそう思うよ。なんで死刑にならなかったんだろうって。だから、こう考えた。これは神様が与えてくれたチャンス──」
男が恍惚とした表情でほほ笑む。
「好きな子と、もう一度ヤレる」
「──ッ……!」
最悪だ。ダイキの言う通り、この男は最初から自分を狙っていたのだ。絶句する愛崎を尻目に、男が続ける。
「釈放されてから、ずっとキミを見てた。外観がオレンジのキレイなマンションに住んでるよね?」
「な──……」
まさか住所まで特定されているとは思わず、愛崎は血の気が引いていく。一体いつから、どこまで、この男に見られていたのだろうかと──。
「近くに古い公園があるよね。キミとボクが出会った公園にそっくりだ。それを見た時、確信した。キミは、ボクを忘れていない」
まるでこちらの心を見透かすように鋭い視線を愛崎に向ける。
「──ッツ……」
「〝忘れた、もう平気だ、だから大丈夫〟──そう自分に言い聞かせてあそこを選んだんだろう? でも、それってまだ忘れてないってことだ。ボクを意識してるってことだ。かわいいよ。かわいくて、めちゃくちゃにしてあげたくなったよ」
饒舌な言葉の数々が、愛崎の身体にまとわりついていく。ゆっくりと、底のないため池に引きずり込まれていくようだ。
「く、ふふ。捜査前に、必ず被害者宅に寄るのも知ってたよ。案の定、キミはお線香をあげにきてくれた」
そして嬉しくてたまらないという顔をする。
「そう、つまりボクたちは、相思相愛」
「ッツ」
うかつにも悲鳴を上げてしまいそうになるのを、なんとか呑み込む。
(くそ、身体がびびってる。隙を見て紐を切っても、いつも通り動けるかどうか……とにかく時間を稼いで、気持ちを落ち着かせないと──)
俺はこいつに、殺される──!
「ぐっ!」
男が丁度いい小屋を見つけたとかで、車を見つかりにくい茂みの中に停め、小屋の中に愛崎を乱暴に放り込む。
「ッツ……げほっ、けほっ!」
小屋の中は人が住むというよりは、倉庫に近く、放り込まれた瞬間、埃が舞い、愛崎はむせてしまう。どうやらずいぶん長い間、使われていないようだ。角材や土の入った土嚢が乱雑に置かれ、ヒビの入った窓ガラスを、色褪せたガムテープがとどめている。
「さて、と……早くしないと。仲間が助けに来ちゃうよね」
だが言葉とは裏腹に、男はゆっくりと近づいて来る。まるで、獲物を追い詰めるのを楽しんでいるようだ。
「ッツ……」
愛崎は背中を板壁に押し付けながら、なんとか二本足で立ち上がり、近づいて来る男を睨む。
「ハハッ、やっぱりキミが一番威勢がいい。その目、忘れられなかったよ」
そう言って舌なめずりをする男に、身震いしてしまいそうになるのをなんとか耐える。
「くふふ。でも、両手足縛られた状態じゃ、何もできないだろう? 大人しく──」
ガシャーンッ!
男が驚いて口を開ける。
「ッツぅッ──!」
愛崎は自分の頭で、窓ガラスを割ったのだ。その拍子に額が切れたのも構わず、素早く、窓枠に残っている尖ったガラスを使い、手首を縛っているビニール紐を切る。そうして、自由になった両手でガラス片を拾い、足も解放する。
「ふー」
これでようやくぶん殴れる──額から流れる血を手のひらで乱暴にぬぐい、愛崎が男を見据える。
「……すごいね。ぞくぞくする」
男が感心するように口笛を吹く。
「二度もヤラれてたまるかよっ」
「……舐めてたわけじゃないけど、やっぱり、現役の刑事さんは、簡単にはいかないか」
口角を上げ、ゆったりと近づいて来る男に、愛崎は身構える。小屋のつくりは丸く、二十畳くらいの広さがあるが、空間が迫ってくるような圧迫感に、足がぐらつきそうになる。
(頼むから、呑まれるなよっ……)
「ッツ!」
掴み掛かってくる男を蹴り飛ばし、狭い小屋の中でなんとか距離を取り続ける。だが──
(タッパもリーチも俺より上……なのにスピードは互角!)
確か五十代のはずだ。だが、見た目は嫌になる程若々しい筋肉に覆われている。スタミナもあちらのほうがあるだろう。なにより、額を切り、血を流している愛崎の方が圧倒的に不利だ。
(くそ……血が止まんねえ──)
だらだらと垂れた血が、右目の視界を奪っていく。これ以上、長引かせるわけにはいかないというのに、つけ入る隙が見当たらない。
「ふふ、驚いてるね。刑務所は暇でさ。柔道、空手、剣道の達人にいろいろ教わってたんだ」
「どうりで。隙がないわけだ」
「キミも、強いね」
男もそろそろ決着をつけたいのだろう。角棒を拾い上げ、竹刀のように振り回してくる。
「くッ!」
横腹に当たる直前に、同じ方向に飛んでダメージを減らし、そのまま角棒を掴んで勢いをつけ、男の懐に飛び込む。
「げふっ!」
「一発じゃ足りねー、な!」
「ごふっ、ぅっつぐ!」
馬乗りになり、一気に畳みかける。男の頭が左右に揺れ、口から血を吹きだす。だが──
「ッツぅっ!?」
太ももに激痛が走り、愛崎はそのまま床に倒れこんでしまった。見ると、男が注射器を持ったまま、にやりと下卑た笑いを浮かべている。
「な、に、打ちやがったっ……」
焦って失敗したと思った時にはもう遅い──相手はスタンガンを使うような男──正々堂々やるわけがないのだから、もっと慎重にいくべきだったのだ。
「ッツ……」
手足が痺れてくる。これではもう、まともに動けそうにない。
「んー僕もよくわかんないんだよね。今流行りの混ぜ物危険ドラッグ」
その粗悪品、そう言って口角をさらに上げる。
「お金ないから、いいのが買えなくて。いくつか試して、やっと欲しい効き目のやつが見つかったんだよね」
「試して、だと?」
「昨日の女、量が多くてダメになった」
残念、と肩を竦ませる。
「薬を、試すためにやったのかっ」
「うん。たくさん試したよ。覚えてるかな? 公園で襲われただろ? 若い刑事さんが助けに来てくれた」
「あ、の時のっ!」
妙だと思ったのだ。あのあたりは治安がいい。ゴミの分別もしっかりしているような場所に、あの男は場違いだった。だが、まさか裏にこいつがいたとは──知らずこの男の手の上だったのかと思うと、ベタベタとした気味の悪い何かに囚われていくような感覚に陥っていく──。
「く、ふふ。キミを襲ったら、もっと薬をあげるよって伝えたら、あっさり言う事を聞いてくれてね。キミが、ボクのことをどれくらい覚えてくれてるのか知りたかったんだけど──」
思い出しているのか、にたりと口を歪ませる。
「震えて、立てなくなっちゃって──ふふふ、あの時のキミも、最高にかわいかった」
「く、そがっ」
男の大きな影が、愛崎を覆う。
「唯一、キミだけだった。ボクに犯されても、目が死ななかったのは」
「ハァッ、ハッ……」
身体が熱くなり、呼吸も荒くなっていく。意識はあるのに手足は痺れ、愛崎はその場から動けなくなってしまう。また一歩、男の影が近づいて来る。
「ッツ……く、るな」
「キミを犯して殺して、ボクも死刑になる。最高だ」
今度こそ、絶望させてあげる──恍惚とした表情で、男が愛崎に手を伸ばした。
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