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二十七話 恋の自覚
昼は鞭の音や由利の叫び声でやかましかった寝室も、夜には本来の静謐さを取り戻していた。
洗い物の時に泡を引っ被ったせいで寝間着が全て洗濯中のため、由利は佐久良から借りた、光沢のある白いシルクに白木蓮が描かれたガウンを着て眠っていた。
膝を立てたせいで捲れた裾から覗く脚にはもう、佐久良が付けた赤みは無い。
この手で悩ましく色付けた肌を美しいと思ってしまったのは事実だ。
しかし、やはり元の慎ましい宍色の方が見ていて安心する――胸がざわつかずに済む。
目が冴えてしまい、佐久良は架子床を抜け出す。
窓辺に立ち、星空を見上げた。
ほんの小さな声で、歌を口遊む。
『スぺイス・オダティー』というその曲は、題名も詞も全て異国の言葉で、何を歌ったものなのか真実は分からない。
日本語の中に定着した外来語や、コマンドに使うような簡単な英単語しか現代のネオ南都に暮らす人々には理解出来ないのだ。
ただ父の入谷は、これは星空の歌だと言っていた。
髪を掻き上げると、タッセルのピアスが指に触れた。
由利は大切な友人だ。
どこまでも強さを追い求めるその歩みを支えることが佐久良の生業であり、喜びだ。
しかし気付いてしまった。
由利のオッドアイについて話した時だ。
本人含む誰も知らなかったことを、佐久良だけは当然のように知っていた。
栗栖が髪を一〇センチ近く短くしてきても、父の手によって中の間のテーブルクロスが全く違う柄の新品になっていても気付かなかった鈍感な自分が。
赤みの引いた由利の肌を見て何故安心したのか、認めたくはないことだが理解しつつあった。
由利に手ずから付けた痕が残っているのを見て、佐久良は昂っていた。
痕が消えれば、心が掻き乱れる原因が失せたので、ほっとしていた。
ずっと前から、由利を目で追い掛け続けていた。
清い慕情も、加虐の欲求も、自分でも知らぬ間に由利へ捧げてしまっていた。
恐ろしいことに、この感情を知覚した時、新発見をしたといったような衝撃が走ることは無く、何の引っかかりも無く心の中にすとんと落ちてきた。
由利に恋していたのだ、と。
自覚の前後で由利の見え方が変わったなんてことも無い。
ここで惚れたのだというきっかけも無い。ただ曇りが晴れて、潜んでいた想いが照らし出されただけ。
ずっと曇ったままなら良かった。
強さを失いたくないから恋をしないという由利の考えを知っていながら、彼に想いを告げることなど出来ない。
それに佐久良はモノノベのリーダーとして、由利が力を取り戻せなかった場合には彼を殺し、その誇りを守らなくてはならない役だ。
恋心など押し込めて、戦友として在り続けなくてはならないのだ。
俺だけを見て欲しい、ずっと一緒に居たい、なんて甘い考えは由利の邪魔になる。
佐久良はただのロボット――目標設定も思考も碌に出来ない、プログラムに従って状況に対応するしか能の無い人形だとオーオンは嗤った。
その通り、佐久良は常に流されるようにして生きてきた。
由利を殺すと人々に約束したのも、殺してくれと由利に言われた時「分かっとる」なんて返事をしたのも、全てはモノノベのリーダーとしての責任感からであった。
愛する人を殺したくない、という内心の悲鳴を、単なる倫理的な葛藤だろうと思い込んで聞かないようにしながら。
思えば幼い頃も、刃と爆弾を懐に忍ばせて、佐久良は由利の命を奪おうとした。
二人は結ばれない運命なのだ。
十歳の頃の佐久良も、この窓から夜空を見上げるのが好きであった。
図鑑にはこんなにも沢山の天体が紹介されているのに、ネオ南都の夜空には月と砂粒のような星が五つしか浮かんでいない。
町が明るすぎると星が見えづらくなるらしい。
それでも、天体図と比較しながら遠い宇宙の光景を想像するのは楽しいものだ。
星空の歌を口遊みながら窓の外を見上げる佐久良の背後に、足音が近付いて来た。
父の入谷が階段を上って来たところであった。
「ただいま、佐久良」
「おかえり。何の騒ぎやったん?」
外での騒ぎを聞きつけ、入谷は少し家を出ていたのだ。
入谷は表情を曇らせる。
「うん……中村さんのところが邪機に襲われたみたいで、家族全員が亡くならはった。
邪機は浄世講が駆け付けて倒されたけど、浄世講にも一人死者が出てしもてな」
説明する入谷の後から、常磐も上ってきて話を聴いている。
「原因っちゅうのが、昼間に大人が出払っとった時に息子さんが友達集めて、庭で火遊びしとったことらしくてな……小火を起こしかけたんやけど大事にはならんくて、大人には黙っとったらしい。
やけどその時の煤が、家の周りの灯りに付いてしもて……辺りが少し暗くなった所に、邪機が入り込んだっちゅう訳らしい」
何となく遣る瀬無い気持ちにはなるが、ネオ南都では有り触れた話だ。
「佐久良は、私が良えって言うまで火なんざ使うなよ」
常磐がそう言っただけで、事故についての話は終わった。
三人は窓辺に並んで座る。
暫くは星について他愛ない話をしていたが、ふと疑問が湧いて佐久良は問うた。
「なあ、今って昔に比べて人が死にやすい危険な時代なんやろ。
いつ死ぬか分からへん世界に、父さんと母さんは何で僕を産んだん?」
すると両親は少し驚いたような顔をした。
やがて入谷がゆっくりと話し始める。
「せやな。どの時代でも、どの場所でも、人はいつか死ぬ運命からは逃れられへん。
中でも現代のネオ南都は危険な方なんやろう。
生まれてきたくなかったと思うのも無理はあらへんくらいに」
佐久良は大きな涅色の瞳で両親をじっと見つめる。
両親の耳にも、佐久良と揃いのタッセルのピアスが輝いていた。
「でも、そんな苦しみを超えるような綺麗なものが、この世界にはあるって信じとる。
ほんで私と常磐なら、我が子をそこまで導けるって信じた。
やから佐久良に生まれてきてほしいと思ったんやで」
父が言ったことを完全に理解出来た訳ではなかったが、両親が何の考えも無く自分を産み育てているのではないと知って佐久良は安心した。
「いつか佐久良にも見付かるで。
これに出会う為に生まれてきたんやって思えるようなものが」
「うん」
ふと佐久良は、長い赤髪の少年のことを思い出した。
結婚の桜の下で出会ったきり、由利と出会えることはなく一週間が経った。
今度は由利と何の話をしよう。
彼の好きな物は何だろう。
星には興味を持ってくれるだろうか。
佐久良は思いを巡らせた。
ふかふかのベッドの上で、由利は昼寝から目覚める。
一枚身に着けているだけでも温かいフリースのワンピースから、マグノリアのフレグランスが香った。
とても良い夢を見た気がする――よく覚えていないが、佐久良が出て来たような。
サイドボードに置かれたブザーを鳴らし、御守を呼び付ける。
「お呼びでしょうか」
一分もしないうちに御守役が駆けて来て、由利の部屋のスチール扉の向こうに立った。
「おやつ持って来てえや」
由利はドアを開けて頼み事を告げる。
すると御守役の顔は、どんどん蒼白になっていった。
悲鳴を上げながら彼は逃げて行き、少し離れた所に立っていた衛兵に何やら喚き散らしている。
由利が振り向くと、ドレッサーの鏡に映る自分と目が合う。
その全身には、葉脈のような模様が青くびっしりと浮かんでいた。
「――由利!」
叫びながら、小路が部屋に駆け込んで来る。
「由利が新人類やなんて、そんな……嘘や」
新人類にのみ時折現れる奇妙な模様に浸食された由利の姿を見るなり、小路は泣き崩れる。
後から第一発見者の御守と衛兵、医者、己波、五月七日がぞろぞろとやって来る。
「今朝までは何ともない普通の身体やったのに、いきなり新人類になるなんて、そんなことあるんか!?
外で新人類と会うた時に感染されたんやあるまいな!」
端正な顔を歪めながら小路が医者に掴み掛かった。
医者は落ち着いた様子で返答する。
「新人類については未だ分かっていないことも多いですが、これだけは言えます。
新人類というのは感染症ではありませんし、そもそも病ではありません」
「調べ直さんか!」
悪態を吐く小路の首根っこを五月七日が掴み、医者から引き離す。
「止めろ、見苦しい」
医学は実学として、WSOの影響を受けることなく発展し続けた学問だ。
インターネットは、IPアドレスなどの仕組みを管理している組織の技術が丸ごとロトスの中に集約されたために一気に失われてしまった。
しかし医療の場合は、大規模な組織に一括管理されたシステムを使わずとも仕事は出来るので、ロトス完成後も衰退はしなかった。
殆どの病には予防法や治療法が見付かり、ナノマシンの壁を築く切っ掛けとなった感染症でさえも医学は克服した。
ただ、本当の謎というのは人間の内にこそあるらしく、自己免疫の暴走による疾患への研究は停滞しているらしいが。
そんな現代において感染症とそれ以外を、ましてや病とそれ以外を医者が誤認することなど有り得ない。
「由利様は前の外出で、新人類に会われたんですね」
医者が、ドレッサーの前の長い椅子に腰掛けている由利に訊ねる。
「うん。会うた」
由利の身体には、まだ僅かに青い光が残っている。
しかし特に痛みは無いので、呑気に足をぶらぶらさせていた。
「どうやら由利様はSubみたいですね」
「ふうん」
「外でお会いになった新人類は、もしかして強力なDomやありませんでしたか?」
「そう見えた」
佐久良のことを想い浮かべながら、次々と質問に答えていく。
医者はそれを聞いて、何やら納得したようだった。
「統計が難しいので、いまいち仮説の域を出ない話なのですが、Usualのように暮らしていた人が突然、強力かつ相性の良い新人類と共に過ごすことで、奥底に眠っていた新人類の因子に覚醒するのでは……と」
「へえ。トーケー? が難しいってことは、例が少なくてめっちゃ珍しいってこと?」
由利は無邪気に言った。
医者はうんうんと頷く。
「はい。奇跡的な確率で起こり得る現象ではないかと……」
「奇跡かあ」
佐久良との出会い、そして起きた現象が奇跡だと言うのなら、悪い気はしない。
「何が奇跡や……お前は、自分の状況を分かっとるんか!?」
小路が由利に詰め寄って来た。
由利は怯むことなく父を睨み返す。
「分かっとるわ。
俺は別に何も変わりゃせん。
変わったんは、父さん達が俺を見る目やろ」
由利だって新人類として生きることが何を意味するかは知っている。
恐れられ、遠ざけられ、蔑まれる日々が待ち受けているのだろう。
しかし悪いのは新人類に生まれ付いた者ではなく、新人類を見るや否やいじめて掛かるUsualの方だ。
自分は堂々としていれば良いのだ、としか思わない。
「――後は身内で話を付ける」
五月七日が言うと、御守と衛兵、医者は部屋を退出しようと扉の方へ向かって行った。
医者の背中を五月七日は一太刀で切り裂く。
異音に振り向いた御守と衛兵の首をも彼は次々と刎ねた。
一瞬で赤く染まった太刀を振ると、血飛沫が由利の身体に飛び散った。
「すまんな、由利。血ぃ洗っといで」
三人の骸を足蹴にして壁際に寄せながら五月七日は言う。
促された通り、由利は部屋に直通しているバスルームへ向かう。
「わざとやな」
水音が聞こえ始めてから、己波がぽつりと呟いた。
幼いながらに聡明で、五月七日にとっても面倒な相手となる由利をこの場から去らせる為にわざと激しく血振りしたのだと分かり、小路の背中に悪寒が走る。
己波の言葉を無視し、五月七日は話し始めた。
「由利のような卑しい種類の人間に浄世講を継がせる訳にはいかん。
それにこれは由利一代だけの問題やない、新人類は遺伝するもんや。
仮に由利の本性を生涯隠し通せても、その子や孫の代でまた同じことが起こるようでは話にならん。
――そもそも私は、浄世講の頭を世襲にすることには反対やったんや」
少しの間大人しくなっていた小路は息を呑む。
「お前の母親がどうしてもっちゅうから、浄世講を継がせたるつもりで、仕事を側で見せたったんや。
やのにお前はちっとも大将らしゅうならん。
もうあの女も居らんことやし……浄世講の大将は、部下の中から有能な者を選定して引き継ぐことにする」
「やったら、俺は……俺は、どないなるんですか!」
小路は、消えかかりそうな程震えた声で叫んだ。
五月七日は大仰な溜め息を吐いてから冷たく告げる。
「浄世講にお前の居場所は無い。
由利を連れて出て行けば良え――せいぜい由利が新人類やとバレて恥を掻かんようにな。
せや、泥家に頼み込んで発電所で働くっちゅうんはどうや?」
泥の名を出され、壁に凭れ掛かって腕を組んでいた己波は、軽く鼻で笑った。
唯一帯刀しエレクトロウェアを着用出来る身分である自警団『浄世講』と、生死に関わるインフラを担う発電所の一つを管理する泥家が、より強い権力を求めて結び付いた一つの証こそ、小路と己波の夫婦関係であった。
しかし刀やエレクトロウェアを接収することでネオ南都唯一の武力となった浄世講と、いくつか存在する発電所のうちの一つなど、組織としての差は歴然としている。
娘と婿を蔑ろにされたことに対して泥家が反発しても浄世講は別の発電所と手を組むだけだ。
下手に反発すれば武力による圧を受ける可能性さえある。
愛情の無い妻と、新人類である息子を背負ったまま、自分は転落していくのか。
刀やエレクトロウェアを奪われ、日銭を稼ぐことに追われ、浄世講二代目当主の威光を剥がれて追放者の烙印を押される日々に。
小路は無言で震えていたが、突如だらりと脱力すると、丁度バスルームから出て来た由利の方を向いた。
「由利、おいで」
言われた通りに由利が小路の側に立つと、小路は由利の手を引いて部屋を出る。
居館を出て、刀を打ち合ったり、武具の整備をしたりする兵士達、鍛冶場の刀匠らの目を掻い潜るように、浄世講の敷地の隅へと由利を引っ張って行った。
敷地の南方にあたるそちらには倉庫の類が多い。南面を守る塀と電子バリアの壁の向こうはちょっとした崖になっており、能登川なる小流が天然の堀として機能している。
ここまで来ると、浄世講の中にも微かに届いていた町のさざめきなどは全く聞こえない。
「これから暫く、由利にはここで過ごしてもらう」
小路が示したのは、蒼白く輝く円柱の塔だった。
四メートル程の高さで、床面積はせいぜい大人二人が大の字で寝転がることが出来るかどうかの狭さと見受けられる。
「それは俺がDomやから?」
きつい口調で由利が言うと、小路は疲れたような苦笑を浮かべた。
小路は胸元からリモコンを取り出すと何やらボタンを押す。
それに応えるように、塔の扉が開いた。
「父さんな、頑張ってみるわ。
俺が、由利が、有りのままで居られるように……周りを良い方に変えていく。
全部終わるまで、由利はここに居ってくれ」
父には父なりの考え方があるのだろう。
そう納得した由利は大人しく塔の中へ足を踏み入れた。
南に面した、子どもの頭さえ出せない小窓と、簡素な水回りの他は何も無い。
退屈をどう潰そうかと考えていたその時、ブンと低い音が四方から聞こえた。
同時に足を何かに捕まれる感覚がして、由利はたたらを踏む。
見れば右足首が青白い電子の枷で締め付けられていた。
枷から壁に向かって、同じく電子の鎖が伸びている。
由利は慌てて、来た階段を戻ろうとした。
しかし階段に近付くと鎖が短くなって、部屋の中央に引き摺られてしまう。
父は一体何を考えているのだろう。
由利の中に影が差した。
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とうとう佐久良が恋心を自覚しました……!
二人が結ばれてはならない運命にある理由を、しばらくお楽しみください。
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