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三十二話 行動

 花見の日以降、年相応に無邪気な演技をする気力さえ失った由利の表情は、暗く強張ったものになっていた。  加賀見は当然、由利の異変にすぐさま気付いていた。  それでも数日は黙って見守ってくれていたのだが、とうとう言及してきた。 「由利、最近元気あらへんな。何かあった?」 「ううん、何も」  咄嗟に見え透いた嘘を吐いてしまったが、加賀見がそれ以上追求してくることは無かった。  佐久良があんなぼろぼろの姿になって、凶器を向けてきた。  平気な筈が無い。  心配だが、幽閉の身では何も出来なくて、不安で千切れそうだった。 「加賀見。佐久良って子知ってる?  俺と同じくらいの男」  胸の内を明かさぬ代わりに、ぽつぽつと質問する。 「佐久良くん? いや、知らんわ。  どうかしたん?」 「佐久良が最近何してるか知りたいから、誰かに訊いてくれへん?   その……佐久良は俺の秘密の友達やから、小路に目ぇ付けられへんように、気を付けてほしいねんけど……」 由利は事情を誤魔化そうとしてしどろもどろになるが、加賀見は快諾してくれた。 「分かった。任しといて」  次の日から、次第に加賀見の表情や所作が緊張したものになっていった。  そして三日後に、沈痛な面持ちで報告してくれた。 「塔院さんと氷室さんのとこの、佐久良くんで合うてるよね。  長い黒髪で、可愛らしい顔のDom」 「そう、その子」 「ああ……。佐久良くんな、本人は助かってんけど、ご両親と一族が……皆、殺されてしもてんて。  小路さん主導で」 「親父が……?」  訳が分からなかった。  確かに小路は、佐久良との出会いを切っ掛けに由利のSub性が目覚めたことを快く思っていなかった。  その報復かとも思ったが、由利は強いDomに出会ったとは言ったものの佐久良の名を出してはいない。  目撃証言を辿って今更佐久良こそ件のDomだと突き止めたとしても、本人は無事放免の一方で血縁者を殲滅するというのは、陰湿を通り越して不可解だ。  ――否、そもそも小路は由利の為に新人類が暮らしやすい世界を作ってくれると約束した筈だ。  由利を病気ということにして幽閉している現状には疑問も怒りもあるが、少なくとも小路は失脚することなく権威を高め続け、新人類とUsualの平等の為に尽力している筈。  それともまさか、自分はとんでもなく誤った認識をしているのだろうか。 「由利。佐久良くんのことを伝える前に、ネオ南都に起きてることを隠さず話さなあかんねん。  気を強く持って聞いてな」 「うん……」 「小路さんは、確かに新人類の地位を向上させた、ように見える。  でもそれは全人類が同じ権利を手に入れたってことやない。  新人類を過剰に持ち上げて、Usualを差別してるだけ。  今までと構造が入れ替わっただけや」  それを聞いた由利は、一縷の望みに縋るように質問する。  加賀見が珍しく悪趣味な冗談を言っているだけだと思いたかった。 「そんなん、さすがに誰か親父を止めるやろ?   五月七日の時代から居る頑固な部下が、そんなやり方に付いていく訳ない。  町の人達から反発されて失脚してへんのやって、おかしい」  しかし加賀見は淡々と答える。 「昔から浄世講に居た人達は、この塔より暗くて狭い密室に一人ぼっちで閉じ込められて、何日もご飯を貰えへんと、新人類を讃える言葉やUsualを見下す言葉を、一文につき千回書かされた。  他にも色んな手段で心を折られて、小路の言いなりにされた」 「そんな……」 「単純なことで、って思うやろ?   でもほんまやねん。  うちの父ちゃんもやられたから」  加賀見の父、雪村は五月七日の時代から浄世講に囲われていた刀匠だ。  食客であった彼までそんな目に遭うとは、尋常ではない。 「父ちゃんは小路の思想に染まらんかったけど、言いなりになった振りをして、どうにかその『教育プログラム』を脱出出来た。  せやないと家族諸共殺されるからな。  私が弱っちいのに浄世講に入ったのも――入らされたのも、人質みたいなもん。  町の人達に言うこと聞かせた手口は、もっと巧かった。  小路が新しい当主になった時の演説、由利達新人類にはちょっと長ったらしい普通の演説に聞こえたと思う。  でもネオ南都の大多数を占める私たちUsualにとっては、とにかく罪悪感を煽るものやった」 「罪悪感? 何に対しての?」 「新人類を見下してたことに対して。  差別意識は無かったとしても、Usualに生まれただけで新人類より生きやすいのは事実や。  それを小路は暴き立てて、罪を償うようしつこく演説した。  Usualが一人それに共感して、小路を讃え始める。  影響されて一人また一人と、小路の支持者が増えていく。  勿論、優遇されるならそれに越したことはあらへんと考えて小路に付く新人類も沢山居る。  新人類である子どもに恩恵を受けさせたりたくて、小路に疑問を抱きつつも支持するしかないUsualの親御さんかて居る。  優遇される新人類への恨みを募らせて、余計に差別意識を激しくするUsualも居る」  加賀見が語るネオ南都の現状は滅茶苦茶だとしか言いようが無かった。 「でも加賀見は、新人類もUsualも同じくらい幸せになってくれたら良えって思ってくれるやんな? そういう考えの人も居るやんな?」  由利が今にも泣きだしそうな声で訊くと、加賀見は頷いた。 「うん、私も同じ気持ちや。  そういう小路にとって都合の悪い意見を言うたら殺されてまうから表立って言われへんだけで、由利と同じ考えの人も少なくないと思う。  無能な働き者って奴なんか、裏に狙いがあるんかは知らんけど、小路のやっとることは新人類とUsualの溝を深めとるだけや」  小路の力量が五月七日と比べると劣るとはいえ、彼が当主になってからの一連の行動に意味が有るか無いかといえば、有るのではないかと由利は考えていた。  やはり小路には、由利を幽閉しておく理由があるのだ。  しかし、加賀見を巻き込むまいと考えると、やはり自分が病身ではないとは言えなかった。 「で、本題やねんけどな。  Domの佐久良くんから物を盗んだんちゃうかって、勝手に浄世講の奴がいちゃもんつけてUsualの子どもを殺そうとしてん。  佐久良くんはご両親を呼んで、その他にも町の人何十人かと一緒に浄世講の前で、子どもを助けてと小路に直訴した。  でも訴えを聞いてもらえる訳もなくて、罪を吹っ掛けられた子とその一族、それから佐久良くんのご両親と一族、他にも居合わせた沢山のUsualが殺された。  佐久良くんが助かったのは、彼の一族では唯一の新人類やったからや……小路の考えはつまり、そういうことやねん」  何をしたかではなく、何に生まれ付いたかで小路ただ一人が万人を裁く時代が来た。  それが、父が作り上げた『由利が有りのままで居られる』世界。 「……ああ……そういうことか」  由利はよろめき、気を失いそうになる。  ネオ南都が狂ったのは、佐久良が独りぼっちになったのは、由利が原因だ。  由利の新人類の因子が奇跡的な確率で目覚めることなどなく眠っていれば、悲劇は起きなかった。  自由を求めて浄世講の外に出たいと何度もだだを捏ね、無力なくせに種族間の終わらない争いに首を突っ込んだことが招いた最悪の世界。  だから佐久良は、小路と由利に復讐しに来たのだろう。  二人は、巡り合ってはならなかった。  死んだように心が動かぬまま、小さな窓から巡る四季を眺め、新しい春が訪れる。  その頃には戦力不足のため、実質非戦闘員であった加賀見も町で邪機の襲撃を防御する任務に駆り出されるようになっていた。  練度の低い兵を使い潰し、日々粛清で人員を減らす。  小路のそんなやり方の煽りを食らったのだ。  いくら努力しても強くなれないと苦笑し、日に日に傷付いていきながらも、加賀見は毎日、嫌な顔一つせず由利の御守としての任務を果たしてくれていた。 「誰でも強くなれる方法があったら良えのに。  上手い人に教えてもらう機会とか無いの?」  加賀見と一緒に部屋を掃除しながら、由利は訊ねる。  加賀見は頭を振った。 「無いなあ。人手が足りひんからなあ。  それに、結局は個人のセンスの問題やもん。  上手い人を見習おうとしたって、場数踏んだって、しゃあないんよ」  自分のことについては心配させまいと笑って話す加賀見だが、由利のことになると真剣な表情になる。 「言おうかどうかちょっと迷ってんけど……町で由利の良うない話が流れてて」  ある日、加賀見が切り出した。  それでもなお言いにくそうに目を泳がせている彼女に、由利が促す。 「教えて」 「うん……何かな、今の浄世講の指針を決めとるのは由利やないかってのが、殆ど定説になってんねん」  それを聞いて由利は納得した。  佐久良が、小路はともかく虐殺の場に居なかった由利を殺そうとしたのは、その噂を信じたせいなのだと。 「……しゃあないのかも。  五月七日も小路も新人類に興味無かったもん。  急に小路の考えが変わるよりは、俺みたいな奴が裏に付いとる方が自然や」  佐久良の一件は衝撃的だったが、由利を良く思わない者は他にもネオ南都にごまんと居るらしい。  心配げに見つめて来る加賀見に対して、由利の内面は冷静――むしろ無気力、無感動だった。 「問題を根っこから解決する力も無いくせに、新人類をいじめとるUsualを見掛けたら食って掛かった。  中途半端に突いた報いや」  黒幕ではないが、元凶に当たるのならば、市井の噂と実態はさほど変わらないのかもしれない。  塔の隅に座り込み、足首に巻き付く電子の枷を眺める由利の手を加賀見はそっと握る。 「大丈夫。小路に不満を持っとる人達が小路の不可解な行動を穴埋めする為に、賢い由利に疑いを向けとるだけや。  真っ直ぐ生きとったら、いつか疑いは晴れる。  皆が皆とはいかんくても、由利の話を聴いてくれる人は必ず現れるよ」  加賀見の言うように、由利が人々に受け入れられる日は――佐久良と友達だと堂々と言えるようになる日は来るのだろうか。 「教えてくれてありがとう、加賀見」  由利が言うと、加賀見は控えめに微笑んだ。  その後、邪機との戦闘で肋骨を折られた加賀見は、今年の花見に参加出来なくなってしまった。  しかし御守役として、由利の着付けはしてくれた。  白い衣にパステルカラーの女袴。  肩にケープを掛け、宝石を通した紐で前を留める。  仕立ての良い着物をこれほど纏っても、肉付きの悪さは誤魔化せない。  顔の稜線からも少年らしい柔らかさが消えている。  これが食うものにも困っているようなUsualだというなら分かるが、ネオ南都の覇者の息子としては余りにも酷い有り様だった。  加賀見は由利の後ろ髪の表面を軽く掬って、針金や糸を駆使しながら、細く形の良い稚児輪を結ってくれた。  残りの後ろ髪は幅広の三つ編みにして束ね、赤髪に映える白いディモルフォセカの生花を沢山挿し込む。  頭頂部には、宝冠のように繊細な金細工の前櫛。  額にベールを掛け、錦の沓を渡しながら加賀見は含羞む。 「ごめんな、行かれへんくて」 「ううん。あんせい? にしとくんやで」  加賀見が何気ない謝罪に込めた意味の重さは察せられた。  多くを語ることは避けたが、由利が元気を失った切っ掛けが前年の花見にあるというのは明らかだった。  加賀見のことだから、怪我さえなければ由利に付いて行ってやりたいと思ってくれているだろう。  二人で塔を出ると、由利は加賀見に軽く手を振って馬車の二階に乗り込んだ。  今度こそ、佐久良が復讐を遂げるかもしれない。  彼以外にも、由利に恨みを持つ者は幾百と居る筈だ。  佐久良に誤解されたままというのは虚しいが、由利がここで死んだとしても仕方ない。  加賀見がパレードに付いて来なくて済むことに、どこかほっとしていた。  一行は去年と同じく泥梨大路を、大勢に見守られながら盛大に進んで行く。  ここはロトスの外、さすらいの地だ。  集合精神に組み込まれなかった人々の想いは様々だ。  純粋に浄世講を応援している者、単に行列を見に来ただけの者、けちを付けたくてわざわざ粗探しに来た者――そしてきっと、小路や由利に殺したい程の恨みを持つ者。  衣傘町に差し掛かった時、由利は窓の外に身を乗り出して、人混みの中に佐久良を探した。 「由利様!」  少年の声が、一際大きく由利の耳に届いた。  すかさず声の方を見下ろすと、以前より少し身形の整った佐久良がこちらに向かって叫んでいた。  その表情に殺意は窺えず、懐に何かを忍ばせている様子も無い。  佐久良は由利についての悪評よりも、由利その人を信じて来てくれたのだ。 「佐久良……」  今すぐにでも彼の名を呼んで、答えたかった。  しかし由利が佐久良の名を認知していると周囲に明かすのはまずいと直感的に思った。  佐久良の叫びは歓声の一つとしか受け取られず、パレードを止める力は無い。  由利が口を噤んでいるうちに、佐久良は群衆を突っ切って、由利が乗る馬車に近付いて来た。  馬車は止まり、沿道から聞こえてくる声の種類は歓声から動揺へと色を変える。  佐久良が新人類でなかったなら、罵声でも飛んでいただろう。  しかし、浄世講の目の前で新人類の行為を非難する向こう見ずは居ない。  駆け付けた兵士達に佐久良は取り押さえられてしまうが、懸命に叫び続ける。 「由利様が浄世講で実質的なトップやって話はほんまなんですか!   新人類に関心の無かった小路様が急に……」  その時、馬車から飛び出して行った黒い影が佐久良の頭を掴むと、短刀の柄を口に噛ませて言葉を遮った。  黒ずくめの彼は、久遠だ。 「いくら新人類でも、やって良えこととあかんことはあります。  度が過ぎるようやったら、全体の利益を守る為に貴方から新人類の権利を剥奪して旧人類相当の扱いをすることも検討せな」  佐久良及び周囲の新人類に警告するように久遠が言った。 「ごめんな。知ってくれてると思うけど、由利は重い病気やから。  近付いて雑菌を持ち込まれたら困んねん」  小路は馬車の中から、久遠とは対照的に優しげな口調で断る。  俺が病気だなんて嘘っぱちだ、と叫んで今すぐ小路の悪事を暴いてやっても良かった。  そうすれば、小路は息子を意味も無く幽閉している悪人だと知らしめることが出来る。  今にも自由になれるのだ。  しかし由利は、色めき立った兵士達や沿道の人々を見て思い留まる。  今ここで小路が失脚すれば、ただでさえ差別が横行していた新人類とUsualの間に小路が下手な方法で介入して複雑に拗れきった現状では、五月七日が平定したかつての暴動など可愛いと思える程の戦争が起こるかもしれない。  そもそも由利だって、小路と同じかそれ以上に人々から恨まれている。  小路が由利を幽閉している理由が分からなければ、由利には小路を客観的に糾弾する材料が無いのだ。  洗脳されていたり、家族を人質に取られていたりする兵士達に小路の教育プログラムの実態を明らかにさせるというのも期待は出来ない。  それに由利が小路と争ったところで、それは単なる内輪揉めだ。  由利が小路を倒し浄世講を解体したとして、その後加賀見達はどうなるのだろう。  悪いリーダーは倒したので私達を許してください、と言って再び町に溶け込もうとするのでは反感を買うに違いない。 小路を殺すのは、正当な理由を持った外部の者でなくてはならない。  例えば、両親を殺されて復讐を願う少年のような。  彼が小路を倒し、外部の立場から小路以外の構成員を許すことでしか、洗脳や人質などの手口で浄世講に囚われた人たちを上手く解放する手段は無い。  なおも暴れている佐久良を沿道に引き渡して、行列は再び進もうとする。  由利が馬車の窓から頭を乗り出すと、ベール越しではあるが、確かに佐久良と視線が交わった。  縋るように見上げてくる佐久良の頭上で、由利は三つ編みを解くと長い髪を窓の外に垂らした。  浄世講の旗よりも鮮やかな赤が、地に向かって靡いている――あの時佐久良が話してくれた王子様が見た光景のように。  佐久良の表情が、はっとしたものになる。彼は暴れる振りをしながらも、由利を見つめ返して頷いてくれた。  自分は監禁され、何らかの企みに利用されている。  小路こそ共通の敵だ。  想いが通じたことを由利は確信していた。  佐久良はいつか小路に復讐しに来る。  そして由利達を解放してくれる。  二人は友人に戻れる筈。  曲りなりにも小路は多くの支持を集めている。  彼に翻意を持つ者は少数派だ。  単に殺しても、佐久良の一族の名誉が回復する訳ではない。  本人もそれを理解してはいただろうが、自棄を起こしていたために去年のような行動に走ったのだろう。  しかしこれからは由利が居る。  いつかきっと、佐久良は由利に接触してくる。  その時までに小路の悪事を暴き、大義を得る。  そして、佐久良に小路を殺させてやるのだ。  パレードが通り過ぎて行った後、やっと佐久良は掴まれていた手足を放された。 「大人しい良い子やったのに、ご両親を亡くされてからすっかりおかしなってしもて。可哀想に」 「おい、Domのことを頭いかれたとか言うたら、浄世講に捕まるぞ」 「誰もそこまで言うてへんやろ! それに、Dom全体の話やなくて佐久良くんについてちょっと言うただけやん」 「それでもや」 「大体、塔院常磐と氷室入谷は自業自得やろ。  あんな悪影響な親は処分された方が佐久良くんの為やった。  可哀想なことなんか何もあらへん」  Usualのグループが、少し離れた所でこそこそと話している。  聞くに堪えない言葉が耳に入ってきても、佐久良はその場を動くことなく空を見上げていた。  由利は黒幕などではない。  そして由利の協力さえあれば、一族の無念を晴らし、幽閉されている由利も助けられる。  改めて慚愧が押し寄せ、そして感謝の念でいっぱいになり、涙が浮かぶ。  ぼやけた視界の奥には、物語を模して翻る赤い髪が灼け付いていた。

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