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四十話 終焉のデュオローグ

 塔の扉が開く音がした。  加賀見より重々しく、夏目より細やかな靴音が螺旋階段を上って来る。  父がここに来るのは実に五年ぶりか。    削れた床をカーペットで覆い隠し、重しとして箱型の椅子を一つ置く。  そこに脚を組んで腰掛け、指先に留めた赤蜻蛉を眺めながら由利は待ち構えた。 「由利……新人類との交配を嫌がってるみたいやな。  夏目から聞いたで」 会わなかった時間や流れた血を感じさせない調子で小路が話し掛けてきた。  そこでやっと由利は宵闇へ蜻蛉を逃がし、顔を上げる。  父子ながら似ても似つかぬ二対の瞳が、壁に組み込まれた繊維状ダイオードの灯りの下でぶつかった。 「好きな人が居るっちゅうのも、それが旧人類やとも聞かせてもろた。  やけどもこれは新人類の権利向上の為に、万人の平等の為に必要なことや。  賢い由利なら分かってくれるやろ」 「分かるで。  やけどそれ以上にあんたのことを信用出来ひん。  親父かて母さんを迎え入れたのは自分の意志やなかった筈。  その結果、家庭はどうなった?   上手いこといっとったか?」  喋る口と瞬く眼以外は一切微動だにせず問い掛ける由利に対して、小路は困ったように笑って肩を竦めた。 「今は私のことは関係あらへん。  全ての人々に関わる話をしとるんや」 「俺は親父みたいに万人を幸せに出来るなんぞ思い上がった考えはしとらんし、その為に人生を犠牲にするようなご立派な性分でもないからな。  五月七日の言いなりに生きて女を見る目が碌に養われてへんあんたに、初恋を忘れさせる程の娘を選び出すセンスはあらへんと思うけど」  当主として、男としての尊厳を踏み躙るような言葉を選び、心理的に追い詰めて行く。  次第に小路から笑みは失われていき、その右手の指が忙しなく太刀の柄を叩き始めた。 「なんや由利らしくもない。  よう考えろ、これは由利にとっても悪い話やない筈や。  感情に流されることなく最善の選択をすれば、新人類になってしもた由利でも平和に生きていける」 「新人類になってしもた……なあ」  由利は立ち上がり、小路に一歩近づく。  そして自身の首筋を横一文字になぞって見せた。 「Usualがそういう言葉遣いしたら、どないして罪を償わなあかんのやったっけ?   教えてえや、罪深い旧人類さんよぉ」  煽るような言動をしているが、由利の内心は至って冷静に研ぎ澄まされていた。  このやり取りは全て、複数の小型カメラによって撮影されている。  数日前、夏目が策を巡らせて塔にカメラを持ち込んでくれた。  カメラを紛れさせた大荷物を抱え、堂々と入口を潜る。  当然、金属警報が鳴り兵士達が駆け付けてくる。  夏目は出入口を何度も往復して耳障りなブザーを鳴らし続け、あれでもないこれでもないと荷物を漁り、兵士を苛立たせた。  その場で最も地位が高いのは夏目であったため、文句を付けられることも無い。  散々時間を取らせた後、原因を見付けたと言って塔の中で立ち止まると、腕だけを外に伸べて一本のペンを差し出した。  警報はペンに反応して一度鳴いたきり沈黙する。  うんざりしていた兵士はペンを受け取ると、それ以上追求することなく立ち去ったのだ。 「私は由利の為に……」 「息子が新人類になったのを切っ掛けに新人類の権利向上に目覚めた?   十分な美談やないか。  やのにあんたは俺を病気やと虚偽の発表をして、いつまで経っても撤回せえへん。  そろそろ外に出たって良えやろ?   あんたが演説で自慢しとったように、あれだけUsualを虐殺……いや悪い、粛清したんやったら、小路様の息子かつ新人類様であるこの俺が外に出ても歯向かってくるあほは居らんやろ。  せやのに幽閉を続けるのはどういう訳や。  俺を利用して達成したい目的が、平和以外にあるみたいやな」  滔々と語りながら、由利は自分の口振りにどこか懐かしさを感じていたのだが、その正体が今やっと分かった。  五月七日だ。  祖父譲りの昂然たる振る舞いが発揮されるのに比例して目前の小路の表情は曇っていき、端整な唇は二の句が継げないでいる。  夏目の立案通り、小路のコンプレックスの源と思われる点を的確に突いていく。  心の奥底には、確かに怒りが燃え盛っている。  ただ由利が感情を発露させずとも、事実を皮肉混じりに並べ立てていくだけで小路は勝手に追い詰められていく。  そのお陰か、脳の表層は異様な程冷静に次の出方を計算出来ていた。 「案外、五月七日を殺したのもお前やったりしてな。  嫌やで俺は、あほな親父と好きでもない女、可愛くない餓鬼に囲まれてしみったれた家庭を築いた挙句、何もかも嫌になってあんたらの血で手を染めるなんざ」 「誰の……誰のせいや思てんねん!」  とうとう小路が声を荒げた。 「お前が新人類なんぞになったせいで、俺の未来は絶たれたんやぞ!   お前は昔から生意気で独善的で……浄世講の世襲っちゅう旨味が無かったら、誰がお前なんかと家族で居りたいと思うか!」  その言葉で全てのピースが組み合わさり、由利は父の陰謀についての最後の解を口にした。 「俺が新人類になったせいで父子諸共廃嫡されそうになったから、あんたは五月七日を殺してその罪を己波に擦り付け、俺が新人類やと知る者を消してから何食わぬ顔で二代目に収まった。  やるべき仕事はただ一つ、新人類の地位を向上させること。  人の考え方を変えるのは簡単やない、やからあんたは論理やなく恐怖や罪悪感、復讐心や優越感に訴え掛けることで急速に価値観を変えさせた。  四代目……いや、三代目になる俺の子どもがいつ生まれても良えように、それが新人類でも構へんように。  ほんであんたが先代当主として権力を握り続けられるように」 「ああ、その通りや。  やけど、お前がそれを知ったところで何になる?   この塔の中で死ぬしかないお前が」  激昂している小路は、複数台の映像記録装置にカメラを向けられているとは知らず、開き直って全てを認めた。  世界の歪さに、五月七日の冷酷さ、小路の弱さ、由利と佐久良の出会い。  ディストピアの東に、小さなディストピアの卵を産み付けた要因のそれぞれは、そんな小さなものだった。 「廃嫡されたかて自分の実力で頂点を取り返す、その程度のことが出来ひん奴が自警団のトップになったところで、皆に何を保障してやれる?   お前こそ、俺に死なれたら世襲の正当性を失って困るくせに。  余所の血に入られたら、無能なお前なんぞ一瞬で後見人の座を追われるやろうな。  なんぼ嫌うとっても、お前が俺を殺すことは出来ひん!」  啖呵を切る由利の鳩尾を、小路の長い脚が一切の手加減なく蹴り上げた。  由利は膝を突かずに耐え、爛々とした瞳で父を睨み返す。 「まさか由利がここまで俺のことを嫌うてくれとるとはなあ。  やったら尚更、初恋を叶えたる訳にはいかんわ。  Usual様に恋焦がれたかて所詮お前らは、痛めつけ合わな不能も同然の異常性欲者。  どう転んでも気色悪い存在やねんから、せめて生産性は有ってもらわんと」  自分だって五月七日から押し付けられた己波と良い関係を築けなかったにも関わらず――否、築けなかったからこそ、小路は由利の不幸を喜んで高笑いした。 「おっと、うっかりSubを蹴ってしもた!   欲情でもされたらどないしよか、全く吐き気がするわ」  小路は懐からリモコンを取り出して操作する。  突如、由利の足首に巻き付いていた電子枷の鎖が短縮を始め、後退って壁に貼り付くほかなくなってしまう。  動きを封じられた由利の胸倉を小路が掴むと、痩せ衰えた体躯は軽々と持ち上がった。 「教えたるわ……新人類が生まれた原因を」  低めた声で小路が囁く。  ロトスが流した毒ではないということは分かっていたが、発表しなかったというだけで解明はされていたのかと由利は息を呑む。 「新人類の汚い身体を解剖して、一生懸命調べたったんや。  古代ギリシャの神聖隊って知っとるか」 「お前が知ってて俺が知らん訳無いやろが……テーバイ、ヒエロス・ロコスがどないしたって」  強い戦士の伝説なら五月七日から幾度となく「斯く在れ」と聞かされてきた。  神聖隊とは同じ隊に恋人が居ることで結束を高め、無様な姿を見せまいと奮闘した故に驚異的な強さを誇った軍隊だ。 「新人類は自然が生み出した神聖隊や。  番は加虐と被虐で絆を深め、深い程SubのバフはDomのグレアを強くする。  プレイに用いるグレアが戦場でも使える、邪機にも効くと知った時、新人類共は喜んだらしいけど、ほんまは逆。  邪機の脅威に晒され続けた人間が戦闘に特化した変異を遂げたのが真実」  小路の言葉がこんなにも由利の内心を揺さぶったのは初めてだった。  多くの新人類はダイナミクスが齎す特異な本能に悩まされながらも、対邪機の切り札になるグレアに誇りを抱いている。  小路が明かした真実は、彼らの誇りを根底から覆す。  ただし、小路が真実を隠し通すつもりだというのは分かる。  わざわざ嘘のシナリオを作ってロトスに罪を着せ、新人類の被害者意識と団結力を高めたのだから、それを崩すような真似はしないだろう。  事実を突き止めた研究者達を抹殺してでも、小路はこのことを隠し通してきたに違いない。 「つまりロトスの毒云々っちゅうのは嘘やねんな……そうやって仮想敵を作って人を纏め上げようとした人間の名前やったらなんぼか知っとるで。  まあ、そいつらの末路はしょうもないもんばっかりやけどな」  嫌味たっぷりに呟いた由利を、小路は力任せに壁へと叩き付けた。  由利は壁に凭れて大きく咳き込む。 「幽閉の身で勝手なことは出来ひんし、例えそこの窓から何か喚いたところで憐れな病人の戯言を真剣に取る者は居らん。  全部、俺の思い通りや!」  叫びながら駄目押しの一蹴りを浴びせてから、小路は塔を出て行った。  全てが思い通りなのは、こちらの台詞だ。  邪機のコアに似た光は、螺旋階段に消えて行く父の後ろ姿を冷ややかに見下ろした。

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