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五十一話 初めての嫉妬

 最中はどれだけ甘い空気でも、プレイが終われば二人は友人兼仕事仲間に戻る。    昼頃から佐久良は、由利が読み書きを勉強するのを隣で手助けしていた。 「あー、文語文むずすぎ……漢字の種類多すぎ……」  二時間程続けて勉強したところで、由利が欠伸しながら背筋を反らした。  佐久良も軽く首を回す。 「そういえば、さっき考えとった明日の献立って? 何かリクエストでもあるん?」  佐久良は訊ねた。由利が料理中に倒れては危ないので、料理は全面的に佐久良が担当している。  それなのに由利が献立を考えていたというのは妙な気がしていた。 「あー、そのことな……実はな」  由利は気まずそうに口を開く。 「佐久良の料理は美味いねんけど、何ちゅうか、レシピ本の第一章に載っとるようなもんばっかりで……たまにはもうちょっと凝ったもんが食べたいなーと思ってたんや。  オレンジチキンとか……」  そういうことか、と佐久良は納得した。  リクエストがあるのではないかという推測はあながち間違っていなかったらしい。  自分が凝った料理を作らないのは事実なので、腹は立たない。  むしろ、由利が食べたいというのなら何でも作ってやる気でいる。 「良えよ。  凝っとるっちゅうからには、まさか唐揚げにオレンジ汁を掛けたもんやないやろ?   レシピ教えてくれたら作る」 「おう。まずオレンジソースの作り方を説明せなな……オレンジジュースってある?」 「お菓子用に買うというたオレンジをミキサーに掛けるのでも良えか」 「なんやったら、その方が濃厚な味になるかも」  学習の成果を披露するように辿々しい字でレシピを書く由利の横顔を、佐久良はじっと見つめていた。  由利が懸命に書いてくれたレシピを持って、夕方から佐久良は料理房に立った。  夕餉の席で佐久良手製のオレンジチキンを食べた由利は満足げに頷く。 「うん、美味しい」 「ああ。良えもん教えてもろたわ」  佐久良の箸がいつもより進んでいることに由利は気付き、少し嬉しくなる。 「ドロップ治ったら、俺がもっと手え込んだもんいっぱい作ったる」  そう言ってから、由利は失言したことに気付く。  佐久良の家に住まうのはドロップの治療の為だというのに、何故自分は回復後も図々しく居座り続けるかのようなことを口走ってしまったのだろう。 「うん」 「そ、そこは、体調良うなったんやったら帰れ! って突っ込むとこやろ」  失言に対して佐久良は疑いもせず肯定した。  由利は慌てて、冗談だったということにしようとする。  そうか、と佐久良は無表情のまま呟いた。  ドロップが治れば、もう佐久良に迷惑を掛けずに済む。  ベッドを半分占める夜も、食事を二人ぶん作らせる日々も、プレイも終わり。  ドロップが流れ込んで苦しい思いをさせることも無くなる。  それなのに、嬉しいという気持が何かに邪魔をされている。  本来の強さを取り戻すという無上の喜びを堰き止める感情が、確かに自分の中にある。  我が事ながら全く理解出来ない。  ドロップの抑鬱のせいだろうか、とひとまず理屈を付けたが、どことなく澱が残ったままだった。  ドロップが軽くなったことで、鹿島の世話は由利の役目になった。  野芝を食べさせてから、裏庭へ連れて行き遊ばせてやる。  その間、由利は中庭に落ちた糞や抜け毛を掃除する。  足に後遺症がある鹿島は跳ねたり走ったりは出来ないが、草の上に伏せてうっとりと目を閉じ、思い出したように毛繕いするなど、楽しく過ごしているらしい。  掃除が終わると縁側に腰掛けて鹿島を見守る。  ここ数日は暑い日と寒い日が交互に訪れてドロップを起こした身体に少なからず負担を掛ける。  今日は夏のように気温が高いので、由利は素肌の上にサスペンダー付きのズボンと燕尾のショートジャケットだけを身に着けている。  肩口のセーフティーピンやフロントボタンに引っ掛けたチェーンブローチ、蜘蛛の巣を模したビブネックレスなどが彼のグレアとよく似た銀色に煌めく。  奥の間からは、佐久良が筆を走らせる音、紙を捲る音が僅かに聞こえる。  事務仕事に集中する佐久良の真剣な表情が、目の前にあるかのように脳裏に浮かぶ。  長閑な朝だ。 「おはよー!」  土間の方から、栗栖の明るい声が響いてきた。  今日は道場を開ける日だ。  指南役の栗栖と夏目と相馬がやって来たので、由利は鹿島を中庭に戻して見世の間へ出て行く。 「由利。今日も早う来てたんですね」  夏目が心配そうに言う。  由利当分の間ここで暮らしているというのは佐久良と三善のみが知る情報なので、夏目がこう言うのも仕方ない。  栗栖と相馬も気遣わしげに由利を見ている。 「ここのところずっと早うに目が覚める言うてましたけど……ドロップのせいで不眠になったりしてませんよね?   無理はあきませんよ」 「大丈夫や。  ゆっくり休ましてもろとるお陰でドロップはましになってきとる」  たまたま早起きしたから先に詰所に来ていただけ、という言い訳も、そろそろ苦しくなってきている。  由利は遅刻こそしないものの、さほど時間にきっちりした性格ではないので詰所に現れる時間は今までまちまちだった。  それがドロップを起こしてからは百発百中で一番乗りしているように見えるので、かえって心配される羽目になっている。 「待たしたな」  道場の鍵を持って、佐久良が奥の間から現れる。  今日は佐久良も露出の多い格好だ。  肌の上に直接、身頃を三連のフロントベルトだけで締めたPVC(ポリ塩化ビニル)のロングジレを着ており、レザーのズボンもサイドがレースアップになっているため白皙の五体が強調されている。  そこに丈の長いアームカバーが禁欲的な香りを足していた。  胸元が寂しくならないよう、パイソン柄のネクタイ風飾りが付いたチョーカーを首に巻いている。  ネクタイにはルミネセンスが組み込まれており、夜になると雨粒のように光るのだろう。  涼しげなポニーテールに結んだ髪には、ピアスと同じ紫のエクステが織り交ぜられていて華やかだ。  リーダーである佐久良が加わると、空気が引き締まるのを感じる。  やはり俺が推挙しただけある、と由利は改めて思った。  道場へ移り、掃除をして待つうちに子ども達が集まってくる。  時間になり、今日の指導が始まった。  依然佐久良は激しい動作を控え、由利は口頭での指示に徹する。  一時間半程してから、小休憩の為に子ども達は道場の隅へ散らばって行く。  由利の近くで水を飲む少女達の他愛ない話が聞こえてくる。 「そりゃ美人は得やろ。  欲しい物わざわざ買わんでも、強請れば貰えるやんか」  随分ませた話をしているな、と由利は耳を疑った。  自分が彼女達くらいの年齢だった頃は、一人でひたすらミニカーを走らせるか、観客も居ないのに歴史上の英雄になりきってごっこ遊びをするかで一日が終わっていた。  自分の生育環境が特殊だったのか、彼女達が早熟なのか判断が付かない。  後で佐久良達に、七、八歳の時に興味を持っていた物でも訊いてみるか、と思った。  少女達の会話はまだ続いている。 「強請るなんて二流や、二流。  ほんまに麗しい人はな、黙ってても貢がれんねんでっ」  そう言ったのは筑紫だった。他の子達が口々に呼応する。 「そうそう。まさに佐久良さんなんかそれよな。  うちの商店街の恋人募集中な人らは、大抵佐久良さんにおまけすんねんから」 「えー、でも佐久良さんには皆お世話になってんねんから、おまけぐらいするやろ?」 「世話んなってるからって贔屓してたら切りあらへんやんか。  絶対下心あるわ」 「なるほど、何事にも見返りを求める心はあると」  それは真理かもしれんな、と由利も納得すると同時に、何故か胸が痞えた。    俯き加減の視界の上方に、爪が黒く塗られた素足が現れる。  佐久良だ、と思った時には屈み込んできた佐久良の顔が目の前にあった。 「痛むか」  対外的には由利の休養は腹部打撲のせいということになっている。  佐久良の手は由利の腹を軽く撫でた。  しかし今のところ由利の肉体に異変は無い。  ドロップも軽くなったままを維持している。 「いや。俺そんな酷い面しとった?」  由利が言うと、佐久良はこくりと頷いた。 「陰気な面は生まれ付きや。気にせんとって」  冗談めかして言えば、佐久良はやっと立ち上がり離れて行ってくれた。 「皆、そろそろ始めよか」  佐久良の声が道場に響き、子ども達が集まっていく。  陣床几に掛けたまま、由利はその様子を眺めた。    自分と違って佐久良は美しく、誰からも好かれている。  友人として誇らしくはあるが羨んだことは無い。  それなのに気分がもやもやとして仕方ないのが、不思議でならなかった。  陽が正中を指す少し前に子ども達を帰し、モノノベのメンバーは二手に分かれる。  由利と夏目は道場に残って袋竹刀を手入れし、他三人は詰所の土間でバイクを整備する。  それらが終わると五人で中の間に集まって、夏目が作って来たタピオカ入りドーナツを食べながら駄弁った。 「七、八歳の頃?   せやなー、ソリで低い丘を何べんも下るか、延々トランポリン跳ぶかそんなんばっかりしてたわ」  皆が筑紫くらいの年齢だった頃について由利が訊ねると、真っ先に栗栖が答えた。  夏目がにこりと微笑む。 「子どもらしくて可愛らしいですね」 「今でも近所の子らに混ざってやっとるけど、さすがに頻度は減ったなあ」 「そ、そうですか」  続く栗栖の言葉に夏目達は少し驚いたが、まあ栗栖やしな、とすぐに飲み込んだ。 「僕は、あやとりをやたらと練習してる時期があったなー。  難しい技ようやってたけど、今は出来るかどうか」 「私は……山菜をよう採ってました。  親戚の親仁さんが天ぷらにしてくれるのが楽しみで」  相馬と夏目も各々かつてのことを思い出している。 「恋愛に興味あった奴は居らんのか……さすがモノノベに入るだけあるわ」  由利が呟くと、四人とも首を縦に振った。  やはり筑紫達が特別大人びていたのだろうか。 「由利ぃ、佐久良には訊かへんの?」  栗栖に肩を突かれ、由利はハッとする。 「人形とおままごとしてるもんやと勝手に思い込んでたから、つい飛ばしてたわ」 「それで合うてる」  佐久良の幼少期は大体想像通りだったらしい。  初めて出会った時に佐久良が文化人形を抱えていたことは今でも覚えている。  由利の視界の端にモーニングジュエリーが映る。そういえば彼らには――井斗と浪越には、幼少期の遊びを聞いたことは無かった。

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