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五十二話※ 理性

 詰所に留まる理由を付けて、由利は夏目達を見送る。  食器を盆に集める由利に、佐久良がいつもの無表情で話し掛けてきた。 「さっきはほんまにしんどくなかったんか」 「ああ、全く。  仮の番として繋がっとるんやから分かるやろ?   俺のドロップが悪化したら佐久良にも不調が流れ込む。  それが無かったってことは大丈夫やってこと」 「せやからかえって不思議やったんや。  ドロップが酷うなっとる訳でもないのに、あんな辛そうな顔しとるから」  心配されればされる程に、道場で味わったもやもやが再び込み上げてくる。 「……佐久良の細やかさは買っとる。  でもちょっと心配性になりすぎちゃう?   佐久良が治してくれとるお陰で俺は元気や。  今まで一緒にやってきたことを信じてくれ」  偉そうなことを言っているが、今すぐにでもこの場から逃げ出したがっているのは由利の方だった。  料理房へ去ろうとする由利に、なおも佐久良は言う。 「俺は、由利を陰気やと思ったことは一ぺんも無い。  初めて会うて助けてもろた時からずっと……篝火みたいな人やと思ってる」  背中を預けて戦える、黙っていても通じ合える戦友が、珍しく胸の内を明かす。 「残りの仕事と家事、一時間くらいで終わる。  そしたらプレイ始めるから待っといて」  由利が二の句を継げないでいる間に、佐久良は奥の間へ去って行った。  追い掛けたいと思いはしたが、そうする理由が無い、と由利の足は止まる。  大人しく料理房へ引っ込んだが、食器を洗う手先の感覚は希薄だった。 『強いとかずる賢いみたいな褒め方はされることあるけど……あんな抽象的な、詩みたいな賛辞は初めてや。  いや、そもそもあれは良い意味って解釈で合うとんのか!?   でも貶してくるなんて佐久良に限って有り得へんし……もしかしたら、俺何か悪いことしたか?』  ますます考え事が増え、訳が分からなくなる。  三階でグレアの鍛錬を始めると、地脈を読んでいる間は心を無に出来るが、小休止を挟むとその度に煩悶が膨らんできた。  ふと振り向いた先、寝台の上に佐久良が脱いでいった寝間着がある。  以前ドロップが激しくなった時、そこからやけに甘ったるい香りがしたことを思い出す。  あの現象は何だったのかと思い、由利は寝間着に顔を近付けてみる。  あの時のような強い香気と獣性は感じないが、佐久良の肌から体温と共に移された白檀がほんのり漂っている。  香りを臓腑一杯に吸い込んだ途端、佐久良に痛めつけられたいという思考で頭が埋め尽くされた。  脳が勝手に佐久良とのプレイを夢として作り出すことや、プレイの最中に佐久良との支配に酔いしれてしまうことは幾度もあった。  しかし一人で意識がはっきりしている時にこんなに佐久良が欲しくなるのは初めてだ。  無意識化での防衛反応のせいにも、本能のせいにも出来はしない。  まだ佐久良が来る時間ではない。  机に置いてあった低周波の機械を引っ掴むと性急にズボンをずらして、太腿に電流を流す。  化粧が寝間着に付いてしまわないようにとだけ気を遣いながら、間近で香りを嗅ぐ。  電流を引き上げても、何故か物足りない。  やはり佐久良が居なくては満足出来なくなっている。 「マジか、俺……」  番を作るなんてデメリットしか無いというのに、由利は本能にも心にも佐久良の存在を刻み込まれてしまったらしい。  恐ろしいが止められない。  佐久良に嬲られる感触を再現したくて、股間にパッドを近付けていく。  その時、階段を上ってくる足音が聞こえた。  由利は慌てて機械を机の上に戻し、ズボンを穿き直した。  窓辺に立って外を眺めていた振りをしていると、佐久良が背後まで来た。 「……プレイ」 「おう、頼む」  佐久良の端的な呼び掛けに、何事も無かったかのように振り向いた。 「Sit(座れ)」  指で示すと共にコマンドを出され、由利はベッドの端に座る。  その隣に佐久良も腰を下ろし、天蓋の下で二人は向かい合う。 「擽るのって拷問に使われてたことがあるねんて」  そう言って佐久良は、由利の上衣の中へ手を差し込んできた。  指先が脇腹を軽くなぞった時、由利は身を捩って笑うどころか、驚愕に目を瞠って飛び退いた。  佐久良の方も驚いて、ぴくりと肩が跳ねる。 「痛かったか」 「いや……痛くはない、けど」 「けど?」 「悪い、よう分からんねん」  共に潜り抜けてきた幾千の戦場で、負傷をものともせず暴れ回る由利の姿を見てきた。  なので少し擽った程度でここまで動揺されるとは予想外で、佐久良は内心困り果てる。 「何も感じひん訳ではないよな」 「ああ……その、ちょっと擦れてこそばいだけやと思ってたから……急にぶわってなって焦ったっちゅうか……こんなふうに触られたの初めてで……」  それを聞いて佐久良は察した。  自分は常磐と入谷とじゃれるうちに擽られて、けらけらと笑っていた記憶がある。  しかし由利はそういった体験が無いのだ。  五月七日や小路は由利を後継ぎとしか見ておらず、己波は家庭に無関心。  世話係は彼に傅くばかりで遊んではくれない。  加賀見や夏目は愛情を注いでくれたが、その時には由利が擽り遊びで喜ぶような年齢ではなくなっていた。 「そっか、ごめん。もう少し軽いやつにしとこか」  佐久良は由利のジャケットを整えると一旦ベッドを離れ、プレイに使う物を持って戻る。  首輪と手錠を嵌めてやり、コーンフレークをよそった掌を由利の口許に近付けた。 「Eat it(食べろ)」  以前は器に盛られたものを食べるよう命令されたが、今後は違う。  フレークを食べると唇や舌が佐久良の掌に触れてしまう。  罪悪感で震える由利を、佐久良は冷たく見下ろしている。 「分かっとるとは思うけど、綺麗に食べへんかったら『めっ』やからな? 猫ちゃん」 「う、にゃん」  佐久良を汚してしまう気がして遠慮が抜けない由利に、再びコマンドが出される。 「Lick(舐めろ)。欠片もちゃんと食べるんやで」  命令されたことで多少は心理的抵抗が薄れ、由利の動きからぎこちなさが取れた。  コマンドを受けたぶん、快楽は増幅する。 「Goodboy(良い子)」  フレークを食べきった由利を褒めると、スペースでぽんやりとした由利はそのまま佐久良の指先に吸い付いた。  安心しきって幼さの滲んだ顔に見上げられ、指を人肌よりもほんの少し高い熱で包み込まれ、佐久良は腰を抜かしそうになる。 「もっと……」  由利がぼそりと呟く。  痺れる頭を叱咤してDomらしく振る舞おうと、佐久良は腹筋にぐっと力を籠めて堂々とした声を出す。 「もっと、何? 食べたい? それともアフターケア?」 「ちゃう……もっと甚振って、躾けて欲し、です……」  スペースで精神が高揚しているせいで欲望を隠せなくなった由利は、いつになく素直に強請る。 「躾けのお強請りなんて、我儘なんだか殊勝なんだか……」  佐久良は呆れた表情をしてから、舐められていない方の手で、今度は由利の後頭部を鷲掴む。 「まあ良え、知りたいんやったらなんぼでも教えたる。  俺が支配者で、由利が玩具や。  Hold(咥えろ)」  由利の頭を固定したまま、指を二本その腔内に突き入れる。  口蓋を擦り、舌を挟み、苦しげに息をする由利を見下ろす。 「Hold(咥えろ)……」  重ねてコマンドを出してから、由利の頭を抑え付けていた手を離す。  物理的に強いるものが無くなってもなお、由利は喉に佐久良を迎え入れたまま従順にしている。  指先からじわじわと、むず痒いような感覚が上ってくる。  思わず身悶えしそうになり、それを誤魔化すために佐久良は唇を噛んだ。  由利が掻き立てた支配欲が佐久良のDom神経を歓喜させている。  いつも堂々とものを言い、的確な指示を出し、時に恐ろしいまでの咆哮を発する喉は由利の美点だと思う。  それを弄んでいると考えると堪らなくなる。  涙を浮かべて苦しんでいるにも関わらず佐久良から離れられない様も愛らしい。  由利の顎が疲れきる一歩手前で指を引き抜いて、手ずから水を飲ませてやる。 「ありがと……悪い」  由利はいつにも増して照れた表情をしている。  自ら佐久良に迫ってしまったことが今更恥ずかしくなってきたらしい。 「当然のことをしたまでや」  そうとだけ呟いて、佐久良は俯いた。  今すぐにでも由利を抱き締めたかった。  申し訳なさそうに照れる必要など無い、もっと可愛い顔を見せてほしいと言いたかった。  しかし運命に飼い慣らされたロボットのような身体は、そんな考え無しの行動を取ってはくれない。  それどころか、もしもの時は由利を殺さなくてはならない、という責任感だけが募っていく。 『俺はとうとう、あんたらのしけた面しか拝めんかった……少しは俺を見習って楽しく生きろや……やないと、モノノベに……未来は、あらへんわ』  笑いながら息絶えていった井斗のことを思い出す。  井斗が今の二人を見たら、やっぱりモノノベに未来は無いな、とニヒルに笑うのだろうか。  もし佐久良がこの手で由利を殺せば、モノノベの死者数は邪機によるものが一人で、人によるものが二人になってしまう訳だ。  邪機を狩るチームとして、それは不名誉なことだ。 本当にモノノベに未来は無いのかもしれない。  しかし楽しく生きろと言われても、何が足りないのか、どうすればいいのか、佐久良にはよく分からなかった。

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