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六十話 関山桜

 再び二人が並んで出掛ける時は、その約束の数日後には訪れた。  佐久良の私室で、部屋の主は鏡台付属の椅子に悠々と座っている。  フリルで縁取られた詰襟ブラウスの上に白茶の着物を纏い、帯の代わりにコルセットで締め上げている。  白いリボンでポニーテールにした髪束は、その半ばにも幾つか同色のリボンが結ばれていて、紙に包まれたキャンディのようなシルエットになっている。  桜色のストールを弄ぶ彼の眼下には、ラグマットに膝を突く由利の姿があった。  由利は赤と黒を基調にしたミリタリールックだ。  詰襟にオープンショルダーという変則的なラインのコートワンピースは、ショットシェルホルダーやフラップポケットといった実用的な装飾が付いている。スカート部分は前開きにしており、PVC(ポリ塩化ビニル)のホットパンツやガーターリングと白い脚のコントラストを美しく見せている。  プラスチックチューブのエクステや、ファーのレッグカバーの赤は、由利自身の髪や化粧と合わさって目に突き刺さるような鮮やかさだ。  そのまま邪機を狩りに繰り出せそうな恰好だが、今は文字がびっしり並んだ本を手に跪いている。  Kneel(跪け)のコマンドを出された後、『勉強の成果を見せてみろ』と促され、渡された本を音読させられていた。 「女王様がムチを持って、み……いや、けん……?」  平易な文章の上、難しい漢字には振り仮名が振ってあるので、平仮名と音さえ一致すれば読めた。  問題は、識字率の高い時代ならば大抵の人が読めたような漢字だ。  振り仮名が無いせいで、かえって由利を悩ませる。  似た形の漢字から何となく推測するしかない。 「あらわれる」  梃摺っている由利を見兼ねて、佐久良が教えてくれる。 「現れると、男は、よんつん……ちゃうな。  四つん這いになって、し……尻尾、をぶんぶんと振った」  読み進めていくうちに、これが如何わしい小説であるということには気付いた。  尻尾の生えた男という不思議な存在に首を傾げつつも、架空の物語ならばそんなものかと適当に納得する。  そのうち物語の中の男は女王様に馬として跨られ、轡を引っ張られ、更には鞭で打たれる。 「淫らな行為に、男はよだれを垂らして……喜ぶ」  自分たちがやってきたことは、この本を書いた数百年前の人間にとっても淫らなものなのだ。  再認識させられてしまい、由利の身体は熱くなる。  物語には男の嬌声も台詞として書かれていた。由利がちらりと佐久良の様子を窺うと、佐久良は微動だにせず続きを待っているようだった。 「やん、うぅ、もっと」  地の文と同じトーンで淡々と読み上げると案の定叱られる。 「さすがに棒読みすぎる。もう一回、Say(言え)」 「ゃ……ん、うぅっ、もっと……」  喉が引き攣るのを感じながら再び台詞を読み上げる。すると佐久良はグレアを発動した。  由利はグレアによる不安で息を呑む。 「もう少し原文に忠実に。Say(言え)」 「はいっ」  グレアに追い立てられて返事したものの、急に上手くなる訳もない。  俯いて、オーオンを叩きのめす自分を想像し気力を溜める。  それから全力で媚びた声を出した。 「ひゃうんっ、うう~、もっとぉ!」  言いきると同時に、とてつもない疲労感に襲われて頭を抱えた。 「Goodboy(良い子)」  佐久良は上体を倒して由利に手を伸べ、由利の唇を撫でた。 「はぁ、ん……」  褒められながら撫でられ、由利は悩ましい声を漏らした。  唇に触れていた指が、今度は額をこつんと突く。 「そんな可愛い台詞、どこにも書いてへんかったけど」 「あ……ごめんなさい……」  可愛いと言われたことが引っ掛かり、胸が締め付けられる。  由利はすかさず本に目線を落とした。 「書いてへんことは声に出したらあかんで。  グレアの直後やから今は勘弁したるけど、次やったらお仕置きやから」 「……女王様は男の背後に立つと……」  息を整えてから由利は続きを読むが、すぐに詰まってしまう。 「彼の尻尾を……引っこ抜く!?」  尻尾というのが男の秘所に挿入された張形を示していると、由利は気付かない。  なんて残酷なことをするのだ、と顔を顰めている。  佐久良はそういった暗喩も理解していたが、敢えて教えなかった。  由利とのプレイの為に色事の知識を急速にインプットした佐久良とは違い、由利は今一つ無知なままだ。  そんな由利を弄びたいという一種の加虐欲が、佐久良には芽生えていた。  由利がこの一文の真相を知るのは、実際に佐久良が由利を張形で責めた後でなくてはならない。  しかしそんな日は永遠にやってこないだろうから、由利が本の内容を正しく理解する日も来なくて良いのだ。 「合うてるよ。Say(言え)」  由利はまだ困惑しているが、コマンドを出されては仕方がなかった。 「引っこ抜くと、ぽっかりと空いたその跡にムチのさき……」 「先端」 「せんたん、を差し込んで、掻き回した。  男の口から、少女のように高い声が、えっと……漏れる。  お願いします、入れてください、」  由利の口が作中の『女王様』の名を紡ごうとした時、佐久良が本を取り上げた。 「Goodboy(良い子)。もう良えよ。よう勉強したな」 「そう、ですか?」 「ああ。上等や」  アフターケアとして、佐久良は由利の口にウイスキーボンボンを放り込んでやる。  それを味わいながら、由利は軽く首を傾げた。 「尻尾引っこ抜いた傷口に鞭をぶっ刺すとか、プレイの域超えとるやろ」 「せやな」  適当に返事してから、佐久良は由利の手を取り立ち上がる。 「アフターケアの続き……今から一緒に出掛けへんか」 「おう。どこ行くん?」 「北町や。  何かおもろいもん無いか探しとったら、林さんがうちに来たら珍しいもん見したるって」 佐久良は猫足ヒールの編み上げブーツを、由利は箱のように底が厚いブーツを履き、外に出る。  由利はもう佐久良の支えを必要とはしていないようで、しゃきっとした足取りで桜の花弁が散る道を行く。 「関山桜はまだ咲いとるな」 「あの丸っこい桜、そんな名前なんや? 今知ったわ」 「多分な、間違うてたらごめん」 「まあ佐久良が言うんやったら、合うとるやろ」  多くはないが言葉を交わし、高田の坂を下って行く。  長い坂の途中で、佐久良は一軒の店を指差した。 「ケーキ買うて行こう」 「ほな俺はレモン系で頼む。無かったら苺とか」 「……分かった」  由利は自然と店から離れた所に立ち、佐久良の背を見送る。  続けてやって来た仲睦まじげな二人組が、連れ立って店に入って行った。  大人しそうな少女を活発そうな娘が押していく姿が、昔の自分達とどことなく重なる。  モノノベのメンバーで買い出しに出掛けて、由利だけ店内に入らないことなど今までにもあった。  揉め事を防ぐ為の、ごく当たり前のことなのに、今日はそれがやけに引っ掛かる。  湧き上がるのは、目の前に強そうな邪機が居るのに撤退せざるを得ない時と似た感覚――悔しいとでも言うべきもの。  店から目を逸らしかけた時、丁度佐久良が出て来た。 「レモンのショートケーキ」 「あ、ありがと」  手渡されたのは所謂ジャーケーキという瓶詰めのケーキだ。  透明のグラスを、果実の断面やジュレが内側から彩っている。  佐久良も全く同じものを注文したようで、二人は爽やかな甘味をつつきながら西へ下り、放生池までやって来た。  人通りの多い道ということもあり、数多の視線が二人を突き刺す。 「ほんま、歩く姿は百合の花とは佐久良様のことやな。隣に居る奴の名前が同じ音なのが憎たらしい」  自分が悪く言われている、とさすがの由利にも分かった。  立場上、佐久良は由利を庇えない。  それを理解して押し黙る佐久良の肩に、感謝の意を込めて軽く手を置く。 『俺はさしずめ水仙、鳥兜、彼岸花かな……』  頭の中で自分を都都逸風に花に例える由利を、涅色の瞳が冷ややかに見下ろした。 「しょーもないこと考えとるって顔やな」 「そうか?」 「ああ」  それきり特に話すことは無く、登宮(のぼりみや)通りなるネオ南都を東西に横切る大通りを渡って北町に入る。  北町は南側に比べると静かだ。  昔は庁舎や最高学府が建っていた地域で、それらが潰えた後の広い土地を活用したラボが多い。  その一角に文具店『烏口(からすぐち)堂』はあった。  店舗兼住宅であるそこが林の家だ。  ただし林は家業に関わっておらず、烏口堂を営むのは彼女の親や姉達だ。  由利と佐久良が目的としているのも店ではなく、その手前の駐車場に停まっているボンネットバスだった。  ミントグリーンの車体に臙脂色のライン、側面に描かれた鹿のシルエットが特徴の可愛らしいバスだ。  ドアに取り付けられたブザーを佐久良が押すと、車窓を覆っているカーテンが揺れ、林が顔を出した。  林が手招きするので、二人は車内に入る。 「いらっしゃい、私の秘密基地へ」 「言う程秘密か? めっちゃ目立ってるけど」 「言葉の綾やん!」  早速、林と由利はくだらない会話をしている。  二人掛けの座席が通路の左右に並ぶ車内は、赤黒いカーテンで日光を遮られた上に、茸型の照明が壁面を飾る原色の包装紙やポスターをどぎつく浮かび上がらせている。  座席にゴム製の蛇や気味の悪い仮面が転がっているのも林らしい。  中でも不思議なのは、最も後ろの席に三善の店でも見たことがないような機械が、フロントガラスに白い布が設置されていることだった。    佐久良は林に手土産として買ってあったジャーケーキを渡す。  礼を述べてから、林は揚々と語りだした。 「二人はさ、『映画』って知ってる?   WSOが廃絶したものの一つでな、平たく言えば物語を人とか人形が演じて、それを映像に収めて繰り返し見れるようにしたもんやねんけど」  言いながら林は車輪のようなものを持って来て、巻き付けてある紐状のものを少し広げて見せた。  紐はよく見ると四角いフィルム素材を一列に繋げて出来ており、四角の一つ一つに風景が描かれている。 「この紐が巻かれた輪っかを機械にセットして、白い布に投影したら映像が見れんねん」  林が説明してくれるが、由利には信じ難かった。 「これが古代の記録媒体? 想像も付かんな」 「微妙に異なる絵柄が連続してて、それが残像を起こして動いとるように見えるんかな。  電気信号で記録する映像も、原理は同じやしな」  佐久良にはすぐに理解出来たようだった。 「WSOの弾圧から逃れたもんが、近くの工事現場で出てきてん。  雨に打たれて土ん中から覗いてたのを拾って、棟梁とか地主に訊いてみたら要らんって言うから貰てきた。  三善さんとか愛洲ちゃんと相談しもって、土埃とかカビを除いたり、くしゃくしゃになっとったのを伸ばしたり、そもそもこれはどう使うんか考えたりして……どうにかある程度見れるようになったんや」  去年辺り、林が三善の店に足繁く通っていたのは由利も認識していた。  詮索しなかったので知る由も無かったが、そういう事情だったのかと今更ながら合点がいく。 「見れる所を掻き集めても二十分くらいにしかならんかってんけどな。  今からこれを二本回すから、座って見とって」  林は後ろの機械を操作しに向かった。  由利と佐久良は前から三つ目のシートに腰掛ける。  照明が少し暗くなり、前方の白い布に映像が映し出される。  広大な施設に、揃いの制服を着た若者達が百人単位で集められている様子から始まり、すぐにカメラはある一人の少女の生活を追い掛け始める。 「もしかして『学校』か、これ」 「御名答~」  佐久良の呟きに、後方から林が反応した。  少女は同じ学校に属する少年と親しくなり、かと思えば喧嘩でもしたのか気まずい雰囲気を漂わせる。  登場人物が軒並み文語文で喋る上に、数秒に一回は文字やぼかしが画面を覆い尽くすために細かい内容は全く分からない。 「佐久良、この文字何て書いてる?」 「注意、警告、これは二〇〇三年当時の習俗であり、作中と同様の行為は現在WSOの開発目標により禁止されています……やて。  WSOの検閲が入ったんやな」 「え? ほなこの文字とかぼかしって後付けなん?   めっちゃ邪魔ちゃうん、これ」  WSOの検閲ということは、少女の脚にずっとぼかしが掛けられているのは、彼女のスカートが短いからであろう。  『学校』の隅にある建物が映る度に警告文が現れるのは、それが『宗教』に関する施設だからに違いない。  気まずい関係性に苛立ちを募らせたらしき少年が少女を壁際まで追い詰め、顔を近付ける。  流れ出す甘ったるい音楽とは裏腹に、WSOによる注意書きはかつてない程の長文になって下から上へスクロールしていく。  結局二人がどうなったか分からないまま、映像は終わってしまった。 「酷すぎておもろいやろ?   ほな次の映画見したるから、ちょっと待ってて」  ぽかんとしている由利と佐久良の後ろで、林が笑いながら記録媒体を交換している。  佐久良と同じ空間で揃いの服を着て過ごす――生まれた時代が違えば、そんな少年期もあったのかもしれない。  由利がそんなことを考えているうちに、次の映画が始まった。  今度の映像にはWSOが手を加えた形跡は無かった。  検閲を逃れていたらしい。  鋸のような歯が生えた巨大な魚がラボの水槽で人間を襲い、水槽を破壊したかと思えば陸地を這って行き被害を拡大させ、更には空を飛んで飛行機を丸呑みする。 「何や、この魚!」 「多分、鮫って奴や」  はしゃぐ二人に、林が説明してくれる。  由利も佐久良も、眉尻を吊り上げて目を輝かせた。 「鮫……」 「魚系のラボで働いとる人に聞いたから間違いないと思うで。  フカヒレの生体として伝わっとる魚に似とるらしいわ」 「つまり昔の人はフカヒレ食べる為にこの化け物を狩ってたんか!?   そら美味いけど、気合い入りすぎやろ」  由利が嘆息している間にも、映画の中ではマチェットを振り回す男がネオ南都では見たこともない程の高層ビルをパルクールのように飛び移りながら鮫と交戦している。  その時、佐久良が声を上げた。 「さっきと鮫のサイズが違う」 「そうか?」 「ああ。科学者を襲った時は体高が人間の三倍はあるように見えたけど、このマチェット男の背丈と鮫の体高は殆ど同じや」  分析している佐久良の眼差しは、戦場で邪機に向けられるものかのように鋭い。  佐久良の勘はよく当たる――由利は固唾を飲む。 「マチェット男がでかいって可能性は?」 「無い。  ラボから唯一脱出した子どもを基準に考えたら、科学者とマチェット男の身長はほぼ一緒。  つまり」 「つまり……」 「鮫は身体のサイズを変えられるんや」 「何やて……」  由利も、後ろで聞いていた林も愕然とする。  市街戦では小回りの利くサイズに縮小出来るなど、邪機にもそこまで優秀な機体は多くない。 「それに、鮫の体表を見たか?   さっきは金属みたいに艶々してたのに、今は紙を継ぎ接ぎしたような質感になっとる。  ステルスとかカモフラージュに似た能力を持っとるのかもしれん」 「陸海空全てを制する魚やもんな。  それくらい出来てもおかしない」  深刻そうな顔で話す佐久良と由利に、林が口を挟んできた。 「でもさ、空を飛べるんやったら鳥みたいにナノマシンの壁を超えられるやろ。  何でネオ南都には鮫が一匹も飛んで来おへんの?」  その疑問は尤もだ。 「もしかして映画の鮫って作り物……」  林が言いかけた時、由利はある考えに辿り着く。 「絶滅したんちゃうか」  浮かんでいたのは小路の言葉だった。 『新人類は自然が生み出した神聖隊や』 『プレイに用いるグレアが戦場でも使える、邪機にも効くと知った時、新人類共は喜んだらしいけど、ほんまは逆。  邪機の脅威に晒され続けた人間が戦闘に特化した変異を遂げたのが真実』  人々に甘言を吐き続けていた小路が発した数少ない真実がこれだった、と由利は思っていた。 「こんなに強くて行動範囲が広かったら、他の生き物と共存するのは難しいやろ。  やから人間が鮫を絶滅させたんや、多分」  暗い声で由利は言う。  マチェットが鮫を両断し画面が真っ赤に染まったところで、映像は終わった。 「強く進化しすぎても、良えこと無いんかもな……」  続けてぽつりと呟いた由利を、涅色の双眸が追った。

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