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六十一話 恋敵
ボンネットバスを出る頃には、陽がロトスの方へ傾き始めていた。
登宮大路を横切り、来た道を戻ろうとした由利の手を佐久良が引く。
「人熱れした。こっちの道を通りたい」
「ああ、うん……」
来た時とは別の道からでも、放生池のほとりには出られる。
人通りの多い道に入る手前で曲がり、少し坂を上って彫像群遺跡を通り抜けるのだ。
佐久良が本当に人熱れしたのか、由利には知る由もない。
ただ、由利が心無い視線を浴びなくても済むように気遣ってくれたのかもしれない、とは想像出来た。
彫像群遺跡の広場に差し掛かると、子ども達が見たことも無い遊びをしているのが目に留まった。
プラスチックの輪の内側に入り、腰だけを使って輪を回している。
由利は思わず足を止めていた。
「何やあれ。ええ運動になりそう」
「フラフープって言うんちゃうかったっけ」
遊びのことを多少は知っていた佐久良が言うと同時に、子ども達が騒ぎだす。
「由利兄ちゃん、フラフープ知らんの?」
「やってみる?」
誘われるがまま、由利も輪に身体を通した。
数度の失敗を経てこつを掴み、すぐに上手く輪を回せるようになった由利は子ども達から喝采を浴びる。
少し離れた所で見守っていた佐久良に、一人の男が近付いていった。
自分と同じSwitchだ、と由利は一目見て思った。
Switchは新人類の中でも数が少ないので印象に残りやすい。
しかも彼は由利より一回り筋肉の付いた美丈夫なので余計に目立つ。
男は佐久良に何やら話し掛けているようだった。
「由利兄ちゃんやったら、これ全部一ぺんに回せそう」
「ほんまや! やってみてー」
子ども達は無茶なことを口走ると、持っていたフープを全て押し付けてきた。
佐久良の方を窺っていた由利は、ハッと子ども達に向き直る。
「え、ああ。よっしゃ」
六つもの輪を一ぺんに回すと、ますます大きな歓声が上がる。
暫く続けていたが、輪が落ちてくる気配が無く止め時が分からなかったので、自ら動きを止めた。
「楽しかったわ、貸してくれてありがとうな」
礼を述べつつ、まだ目を輝かせている子ども達に輪を返してやる。
「さすが、邪機一杯やっつけとるだけあるわ!」
「かっこいい~」
「由利兄ちゃんが出来ひんことなんかあんの?」
やたらと褒め称えられ、由利は頭を振る。
「出来ひんことだらけや。
俺は戦うしか能があらへん。
戦いでも弱点はある。
やからモノノベの仲間に背中預けて戦うんや」
「へえ~、佐久良さん達のこと好きやないと出来ひんな」
「ま……まあな」
無邪気な言葉に照れつつ答えた瞬間、強い視線を感じた。
佐久良と話し終えた男がこちらを一睨みしてから去って行くのを、由利は視界の端に捉えた。
立て続けに子ども達に絡まれ、男の存在はすぐに由利の脳内から追い遣られた。
敵意を向けられるのは慣れているのだ。
子ども達に別れを告げた由利は、佐久良と共に五十二段の階段を下って放生池のほとりまで来た。
家までは来た道を戻るだけだ。
「小さい子は由利の面倒見の良さを嗅ぎ取って慕ってくれるな。
相馬も、浪越と井斗もそうやった」
唐突に佐久良が褒めそやしてくる。
相馬はともかく、浪越と井斗は生まれ年だけで言えば俺らと二つしか変わらへん、と突っ込みかけたが、佐久良のいつにも増して陰鬱な無表情を見て止めた。
佐久良にとって二人は永遠に、十五歳の小僧のままだ。
彼らと残された者が刻んだ時間のずれを、由利も頭では理解しているのに、どこか埋められずにいる。
「自分が餓鬼んちょらに怖がられてるから、俺に妬いてるんか?」
由利が茶化してみる。
一蹴されるかと思いきや、あながち間違ってはいないようだった。
「そうかもな。
大人と関わってしがらみが増えるよりは、子どもと戯れる方が良い。
まあ、昔の俺みたいな、こまっしゃくれた餓鬼やったら話は別やけど」
「佐久良はいつでも可愛い良え子やった。
俺が言うんやから間違いあらへん」
いつでも――例え由利を殺そうと決意していた時でも、佐久良は普通の良い子だった。
佐久良は陽から顔を隠すように俯いたが、その表情は先程よりも和らいでいた。
「さっきの人、佐久良の友達かと思っててんけど、ちゃうかったんか」
佐久良がうんざりした様子なのは、さっきの男が原因に違いないと鈍感な由利にも察せられた。
訊ねてみると、佐久良は口を開く。
「……ただの顔見知りや。
さっきは、恋人になってくれって頼まれた」
驚きが浮遊感となって由利を襲う。
何故こんなに衝撃を受けているのか自分でも分からない。
佐久良を恋い慕う者が多いことなど、分かっていた筈なのに。
「勿論、戦うことしか考えられへんから恋愛するつもりは無いって断ったけど」
「そうか……」
佐久良はそういう人間だ。
思考や判断が由利とあまりにも似ている。
彼が弱体化のリスクより恋を選ぶ訳が無いのだ。
二人が由利と佐久良である限り影は付き纏う。
それでも佐久良は気候の良い昼間を選んで、由利に美味しいものを食べさせ、面白いものを見せてくれた。
何か返してやりたいが、由利はこっそり店に行って気の利いたプレゼントを見繕うことさえ出来ない身の上だ。
ならば、と高田の坂を上りながら由利は言う。
「佐久良。今日も、何ちゅうか……楽しかった。
俺には何も返せるもんがあらへんから、この手ぇが刀を握れる限り、勝利を捧げ続ける。
しみったれてて悪いけど……約束や」
それを聞いて佐久良は、本日一番の柔らかい表情を浮かべた。
由利以外にはとても分からない微妙な変化だが、佐久良の凛々しい眉頭が僅かに上がったのだ。
由利のドロップは大方治りかけている。
もう佐久良が風呂に付き従う必要も無い程だった。
由利の後で入れ違いに佐久良も入浴したが、一人ぶんの水音とはこんなに単調なものだったのかと思わされた。
髪を乾かして三階の私室に上がると、窓辺に由利の姿があった。
屋外から差し込むネオンライトが由利の赤毛と、佐久良が貸した牡丹柄の着物を浮かび上がらせている。
同時に、心地良い音が耳を撫でていった。
微かに聞こえる『スぺイス・オダティー』――家には二人きりなのに、それが由利の歌声だと気付くには少し時間を要した。
由利の声はドスの効いたものだが、何故か歌声は低くはあるものの爽やかで癖が無く真っ直ぐだったからだ。
佐久良の気配を感じ、由利は歌うのを止めて振り向いた。
「歌たら優しそうな声色に聞こえるな」
何故か佐久良の方が気まずくなって無駄口を叩く。
着物の襟をぎゅっと掴み、高鳴る鼓動を隠すのに必死だった。
「ほんまはこっちの方が地声に近いんや。
舐められへんように声を低くして喋るのが、餓鬼の頃から癖になっとってな」
そう説明する由利の声は、普段通りに戻っていた。
「餓鬼の頃って、どのくらいの?」
「佐久良と会う前からや。
そん時は、浄世講は俺が継ぐんやって意気込んで、部下を沢山率いるには舐められたら終いやって思っとった。
成長するに連れて、どんどん敵は増える一方やしな」
由利は着物を翻すと、先に寝台に飛び込んだ。
「他の奴には内緒な。
モノノベのメンバーにもやぞ」
「うん」
「……せや、この歌ってさ、別れの歌なんかな」
天蓋を仰ぎ見たまま由利が訊ねてきた。
突然の問いにやや戸惑いつつも、佐久良は素直に事実を述べる。
「父からは、星空の歌やって教えてもろた」
「そうか」
「でも、もしかしたら両方なんかも」
「ああ……その可能性もあるか」
佐久良も寝台に横たわる。
それきり会話は続くことなく、程なくして二人は眠りに就いた。
外が俄かに騒がしくなり二人が目を覚ましたのは、二時間後のことだった。
風に乗って運ばれてきた煤が窓を汚していく。
近くで火事が起きているのだ。
「手伝えることが無いか見てくる。
由利はここに居って」
佐久良に言い付けられ、由利は渋々頷いた。
この同居を隠している以上、二井市場に住んでいる筈の由利が、高田の火事に真っ先に駆け付ける訳にはいかないからだ。
佐久良は寝間着のまま、髪を後ろで一つに縛りながら家を出て行った。
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