63 / 76

六十二話 暴走

 一階に下りた由利は、鹿島が居る中庭に灰が降り掛からないようシェードを設置した。  焦げた臭いがここまで漂ってくる。  外からは消火に奔走する人々の喧騒が響いてくる。  それを掻き消すように、間近で破壊音が鳴った。  突如として裏庭に通じる雨戸が破られる。  エレクトロウェアに強化された腕で刀を振るい雨戸を切り刻んだのは、彫像群遺跡で佐久良に振られたという、あのSwitchの美丈夫だった。 「何やお前!」  由利は怒鳴りながら、鹿島を土間の方へ逃がす。    繰り出される刀を躱し続け、中の間まで後退したところで机の上に置いてあったペンを手に取る。  ペンを握り締めて姿勢を低くした由利の気迫は、男の闘志を挫いたようだった。 「そのザマでうちのリーダーを殺しに来たんか?   佐久良の命はそんなに安くないで」  今にも男に飛び付いてペンを眼にでも刺し兼ねない威圧感を放ったまま、由利は啖呵を切る。  不意打ちに失敗した男は一歩も踏み込むことが出来ず、二人は中の間で睨み合う。 「死ぬべきはお前じゃ、率川由利」  彼の言葉は、由利の半生では聞き飽きた類のものだった。 「俺はお前のことなんぞ知らん、恨みを買う筋合いは無い。  浄世講の虐殺の件で来たにしてもお門違いや。  失せろ」  由利が溜め息混じりに吐き捨てると、男は感情的に叫んだ。 「お前を殺す理由やったら有る。  戦場でも、そうやない所でも佐久良さんにべたべたしよって……佐久良さんを戦いに縛り付けとるお前が消えへん限り、あの人は恋に目を向けてはくれへん!」 「っ、訳が分からん……」  予想外な動機を聞いた由利は思わず溢していた。  すると男は吹き出した。 「せやろな。  戦うしか能のあらへんお前には一生分からへんやろうよ。  ところでお前、虐殺の犯人って汚名を覆そうと、人は斬らへんなんて無駄な誓いを立てとるみたいやな?   一瞬怯んでしもたけど、俺が負ける道理があらへんやないか!」  哄笑と共に迫る白刃の突きを、由利は跳び上がって躱した。  天井の低い屋内で刀を振り上げる程こいつは馬鹿ではないと、即座に見切っていたのだ。  玄関の扉が開いているので、鹿島は外へ逃げてくれたようだ。  これなら思いきり戦える。  そのまま欄間に掴まった由利は振り子のように撓ると、男の顔面を蹴り付けた。  男は見世の間に派手に倒れ込む。  起き上がろうとするも、立ち眩みがしたようで土間に転げ落ちる。  彼がぶつかったことで靴箱の扉が開き、靴が幾つか飛び出てきた。  それは全て由利のものだった。  今日履いていたブーツは勿論、狩りに出る際の靴も、明らかに佐久良のセンスとは異なるぎらついたスニーカーも覗いている。 「率川由利……そこまで佐久良さんの生活に入り込んどったんか……?   俺は体よく振られたっちゅうことか」  男は由利を尾行した結果として佐久良の家に襲撃を仕掛けることになったが、由利がここに寝泊まりすることをせいぜい一日二日の偶然だと思っていたようだ。  しかし隠されていた複数の靴がそれを否定する。  初めて三善以外の人物に共同生活を知られてしまった。  しかし男が想像しているような関係性でないことは事実なのだ。  由利は動揺を悟らせることなく男を見下ろす。 「佐久良が足を、俺が腹を負傷したって話を知らんのか?   怪我が治るまでの間だけ、詰所で介助し合って暮らしとるんや」 「だから何や!?   それがほんまでも、お前が邪魔なことに変わりは無い!」  男が立ち上がり刀を構え直した時、鹿の鳴き声が甲高く響いた。 「鹿島さん、佐久良を呼んで来てくれたんか!」  由利の安堵の声を、男は笑い飛ばした。 「そんなハッタリに引っ掛かるか。  ぶち殺したる、蓮見由利!」 「コマが揃ったようやな。勝負や」  地を這うような低い声が、丁半博打じみた台詞を呟きながら男の背後に迫る。  俺から見えとったらイカサマやんけ、と由利が叩きかけた軽口は、すぐに引っ込んでしまう。  佐久良の全身に白い線が浮き出ている。  身体中のDom神経が光って、樹の枝や葉脈というよりは、一突きすれば粉々になる程罅割れた硝子のようだ。  Dom神経は時折青く光ったり、エラーを起こして赤く光ったりはするが、白く輝く様子など見たことが無い。  男が何か反応する間さえ与えず、佐久良は片手で彼の頭を鷲掴む。  佐久良の指が男の額を突き破り、血に染まった。  エレクトロウェアで強化されてもいないのに、この怪力は異常だ。  しかも佐久良は未だ、由利のドロップが流れ込むことによる弱体化から完全に脱した訳ではないのだ。  呆然とする由利の目前で、男の足が宙に浮いた。  腕一本の力だけで、佐久良が彼を吊り上げている。  獣のような唸り声を発しながら振りかぶり、佐久良は男の全身を土間に激しく叩き付けた。  由利への殺意で満ちていた彼も、思わぬ猛攻に耐え兼ねて外へ這い出て行く。  ――Domの暴走。その言葉を思い出した由利は、男を追って外に出て行こうとする佐久良を背後から羽交い絞めにする。 「佐久良、止めぇや!」  必死で訴えるも、佐久良には届いていない。  外から土間を振り返った男は、由利を睨み据え叫んだ。 「お前……佐久良さんの仮の番か!?」  佐久良の暴走に加え、仮の番であることを看破され、さすがの由利も動揺した。  男の視線を瞬時に辿ると、薬指の腺を中心に由利の左腕が、白い罅のような光に覆われているのが目に入った。  光は佐久良のそれと同じ周期で瞬いている。  もはや言い逃れなど出来なかった。 「自分が佐久良さんに相応しい人間やとでも思っとるんか……?   ちょっと仇討ちに加わったからって運命の相手のつもりか?   どうせ自由になる為に打算的に動いただけで、一族全滅させられた佐久良さんの悲しみに寄り添うつもりも無かったくせに」  佐久良にここまでされても、彼が憎むのは由利ただ一人だった。  血塗れながら立ち上がり、刀を構える。  佐久良は強い力で由利の腕を押し返すと羽交い絞めから逃れ、外に出て行く。  しかしその頃には消火活動を終えた人々が騒ぎを聞きつけて集まっており、佐久良を押さえ込んだ。 「由利さん、これはどういうことや」  近隣住民に問われ、由利は説明に困る。  同時に、火を放ったのはあの男だったのかと悟った。  家に二人も居るなら消火に向かう者と留守を預かる者に分かれるだろうと思い付き、由利を一人きりにさせるために火を放ったのだ。 「見ろ、皆!   率川由利は佐久良さんを誑かして仮の番になったんや!   殺しても文句あらへんよな?」  仮の番、という男の言葉に周囲がざわついた。  由利と仮契約を結んだというだけでも佐久良にとってはこの上ない不名誉だ。  そして佐久良も同様に由利の面子を気遣ってくれていたからこそ、モノノベのメンバーにすら同居を明かさなかったのだ。  何より、二人で結託してネオ南都を支配しようと目論んでいると嫌疑を掛けられるのが最も困る。  しかしそれらを晴らそうとすれば、由利が現在ドロップに陥って弱体化している――つまり由利を消したい者にとっては都合の良い状態であるということも、由利を執拗に狙うAIが居るということも、全てを明かさねばならない。  驚いた人々が硬直している隙を衝いて、男は由利に飛び掛かった。  いつもの由利ならば躱せた。  しかし今は、脚が萎えて動いてくれない。  この脱力感はあの夜、雨の浮見堂で味わったものと同じだ。  由利自身は至って冷静でいるつもりなのに、無意識ではショックを受けているらしい。  迫りくる刀を他人事のように眺める由利の前に、広い背中が立ちはだかった。  背に掛かる黒髪はネオンを反射して青く輝いている。  由利が唯一リーダーとして仰ぎ見ても良いと思った、逞しく美しい姿。  いざという時に助けてくれる頼もしさは、浮見堂での戦いを再現したかのようだ。  ただ、暴走する佐久良の姿はオーオンと対峙した時以上の不安を由利に齎していた。  振り下ろされる刃を、佐久良は右手の指先だけで軽く摘まんで止める。 「っ、退けてください、さく……」  男は柄をきつく握り締めて刀を引き戻そうとするが、どれだけ体重を掛けてもびくともしない。  今まさに悪化し続けている由利のドロップは佐久良にもどんどん伸し掛かっている筈なのに、暴走したDomの力はそれさえ上回っている。  焦れた男がとうとうグレアを使うが、一瞬滲んだ緑色の光は、雷が落ちたような衝撃と共に桜色に塗り替わった。  佐久良のグレアが瞬時に男のそれを打ち負かしたのだ。  Dom神経をずたずたにされた男の肌に赤い線が痛々しく明滅する。  荒々しい咆哮を上げ、佐久良は刃を挟む指先に回転する力を込める。  刀を掴んだままであった男の身体は、ヒュッと浮き上がり、そのまま宙返りに失敗したような形で地面に叩き付けられた。  無様に突っ伏す男の側に四つん這いで屈んだ佐久良は、無表情のまま拳を振り上げた。 「佐久良……止めてくれ、もうこんな奴に構わんで良い」  由利は佐久良の腕にしがみついた。  手の中で怪力と白い光がみるみる弱まっていくのを見届けてから、佐久良を立たせる。 「暴走してたんか、俺……」  そう呟く声は、いつもの理知的な佐久良だった。  ほっとする間も無く、集まった者は口々に騒いでいた。 「率川由利、お前が佐久良さんを暴走させたんか?」 「そもそも佐久良さんかて悪い。  由利は、佐久良さんが監視しておくって条件で生かしといたっとるだけの悪人やろ。  何でそんな奴と仮の番になっとる!?」 「親の仇とそんな関係になるなんて、佐久良さんまでおかしなってしもたんか」 「そんなことをしてるから理性を無くして暴れるんや……」  言葉による非難以上に、新人類を恐れる視線が突き刺さる。  いつも佐久良や由利と快く接してくれる者であっても、暴走を恐ろしいと思わない訳が無かった。  自分だけならばまだしも、佐久良が憎悪の的になるのを由利は見ていられなかった。 「佐久良は、放火して俺を殺そうとしたこいつから守ってくれたんや。  Domの暴走には理由がある。  佐久良を見て感じひんかったんか」  由利が毅然と主張すればする程に反発は強くなり、佐久良にその矛先を向ける。 「笑かすな。せやったら佐久良さんは狩りであんたが邪機に襲われる度に暴走しとんのか!?」 「俺が襲われたのはただの引き金で、他に何か条件があるかもしれんやろ!」  声を荒げかけた由利を、佐久良が押し退けた。 「今、あるAIが由利を執拗に狙っとる。  そいつは強くなる為に由利の戦闘経験をデータとして欲しがっとって、他の人や物には現状興味を示してはない。  一度交戦した時は、機体を壊されたAIと、AIのグレアでドロップに陥った由利とで相討ちになった。  AIが再び襲来するまでにドロップを治そうと、俺と由利は仮契約を結んだ上で治療に当たっとった」  進化したAI、佐久良と由利がプレイを行っていたという事実――多すぎる情報量に、人々はかえって黙り込んでしまう。 「仮契約は治癒の為に仕方なく結んだだけで、由利に対して何の感情もあらへん」 「ほな、何かあれば佐久良さんが由利を殺してくれるんやね?」 「はい」  問いに佐久良は淡々と首肯した。  そこまでしてやっと家の前から人々が散って行った。  由利を襲った男も、頭から爪先まで血塗れになりつつも自力で帰って行く。  彼はきっと、佐久良に袖にされた奴として嗤われながら、一方では大悪人の由利を殺しかけたとして敬われながら生きていくのだろう。  人波の中に、一際背の高い黒尽くめの影が見えた。  小路の側近であった荷方久遠だ、と由利は気付くが、その姿はすぐに高田の坂の下へと消えた。 「休も、佐久良。  さっきは助けてくれて……それから、あいつらに完璧な返事してくれて、ありがとうな」  佐久良の肩を抱いた由利の足元に、今まで隠れていた鹿島が不安げに寄ってくる。 「おう、鹿島さんもな」

ともだちにシェアしよう!