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六十四話※ 陰獣

 眠ることも出来ず、二人は回廊に座りながら白む空を眺めていた。  中庭では鹿島が身を起こし、つくばいの水を飲んでいる。 「明日は雨か……」  左目の傷を頻りに気にする由利の隣で、佐久良が呟いた。  料理房で揉めてから数時間経った後、玄関でブザーが鳴った。 「見てくる」  そう言って立ち上がった佐久良は、戻って来る時には夏目と栗栖、相馬、三善を連れていた。  夏目は雨戸の修理をしてくれるつもりのようで、材料と工具を抱えている。  六人で中の間の椅子に座り、向かい合う。 「知ってて集まったんやと思うけど、佐久良が暴走状態に陥った。  やけど引き金は、襲ってきた奴から俺を守ったことの筈や。  勘に過ぎひんけど、Domの暴走には必ず原因とか条件があると俺は考えとる。  無理にとは言わへんが今まで通り佐久良に付いていったってほしい」  由利が言うが、夏目達は意外な程に顔色一つ変えなかった。 「そんなん当たり前やないですか。  それより僕、美味いもん食うてたら治るって由利さんの言葉を鵜呑みにして、二人が大変な思いしてたの気ぃ付かんくて……」  項垂れた相馬の額を、向かいに座っていた由利が指先で突く。 「相馬達に格好悪い姿を知られたくなかったから必死こいて隠してたんや。  隠し事も上手い有能な上司を持ったことを誇りに思っとけ。  それより、俺のドロップが完治せんかった場合どないしてオーオンを迎え討つか考えろ」 「はっ、はい。そうですね」 「Domの暴走が起こる条件さえ分かったらなあ。  うちにはDom二人とSwitch一人が居るんやから、オーオンなんて一発どついて終いやねんけど」  栗栖は彼女らしく大雑把なことを考えている。  しかしさすがに現実的ではない。 「おばあ、エレクトロウェアの電流を抑える抵抗器っちゅうかリミッターみたいなもんって作れるか。感電を防ぐ為に使いたい」  由利が訊ねると、三善は明るく返答した。 「勿論や。小一時間あれば作ったる」 「着脱のロックを遺伝子認証にすることは」 「出来るで」 「そっか。やったら、五つ頼む。  遺伝子認証に指紋センサーも加えた二重ロックにしといてくれ」 「由利、ドロップ治らんくてもエレクトロウェア付けてオーオンを迎え討つ気なん?」  栗栖が意外そうに言った。  その隣で夏目が呟く。 「由利を安全圏に残しておけば、邪機共は無理にでも防衛ラインを突破しよるでしょう。  そうすれば護衛ががら空きの由利が狙われてまうし、悪ければ無関係の犠牲者を出しかねへん。  武装した私達と一緒に由利も戦場に居った方が、邪機が防衛ラインを超える必要は無くなって結果的に全員の生存率が上がる」 「なるほど。でも何でわざわざ遺伝子認証?」 「認証させるのは佐久良の遺伝子や」  由利の言葉に皆が息を呑む中、佐久良だけが満足げに頷いた。 「俺と由利、二人で勝つか、二人で死ぬか。それしかあらへんって訳やな」  次の日は予想通りの雨となった。  ドロップと古傷の痛みで一晩苦しんでいた由利を起こさぬよう、佐久良はそっと寝台を出る。  正式な番となった由利から流れ込むデバフは、佐久良の精神を蝕んでいた。  雪村に授けられたガゴゼ、李朝風の飾り棚の片隅に座っている文化人形、鏡台に映る年々両親の面影を濃くする容貌――全てが血塗られた過去を想起させる。  ドロップによる抑鬱状態の影響だ。  一階に下りて鹿島の世話を終えた後、ミルクティーに蜂蜜を混ぜてとろみの付いた甘さを味わう。  後で由利にも持って行ってやろうと考えていた矢先、上階から気配が近付いてきた。  階段に視線を遣った佐久良は、一目でぎょっとさせられる。  丈の余る芍薬柄の着物の前を掻き抱きながら歩いてくる所作と、力強さの中に憂いを帯びた表情が、由利に重々しい風格を纏わせていた。  凛とした佇まいに見え隠れする有機的な美しさが目を奪う。 「座っとって」  佐久良を椅子に留めさせ、その前に立った由利も、内心では贅沢な絶望を味わっていた。  存外直情的な性格は恋心を自覚した瞬間に本心を叫びたがった。  しかし制御装置のように強固な理性が、それをきつく縛めている。  せめて今だけは佐久良に支配されていたい。  卑怯な夢を見ながら、劣情に掠れた声で友の名を主のように呼ぶ。 「佐久良様」  由利は佐久良の手を取り、帯の結び目へと導く。  されるがままに結び目を掻き乱せば、綻んだ懐の中から由利の肌と共に見慣れた物が出てくる。  乗馬鞭だ。  叩いてほしくて忍ばせてきたのかと思うといじらしくて仕方なかった。  鞭が褒美になるならば、主が唯々諾々と受け取ってやる訳にはいかない。  高鳴る鼓動を悟られぬよう息を浅くしながら、佐久良は告げる。 「叩いてほしかったら、猫の鳴き真似をして」 「……にゃん」  屈んだ由利は、佐久良の足元に擦り寄って低い声で鳴く。  生来のプライドの高さから無意識に眉根が寄っていたが、それが佐久良を余計に楽しませた。  佐久良は蜂蜜を掬って手指に塗り付けると、由利の前に差し出す。 「Look(見ろ)。  俺の目を見て……一回逸らしたら、お仕置きとして一時間ほったらかしにする。  二回なら二時間」  放置もそれはそれで良い響きだが、恥を忍んで鞭を持ってくるくらいには叩かれたかった。  由利はじっと、涅色の瞳を注視し続ける。 「Lick(舐めろ)。咥え込んで綺麗にしろ」  コマンドと共に、蜂蜜に塗れた指を腔内に突き入れられた。  唇に指の股が当たる程に深く侵入され、容赦なく喉奥を突かれる。  由利は異物感に喉を引き攣らせつつも、怖ず怖ずと舌を持ち上げて蜂蜜を舐め取っていく。  由利の意志とは関係なく動いて指を締め付けてくる柔らかい粘膜に加虐欲を煽られ、佐久良の背筋にぞくぞくとしたものが走る。 「ちゃんと出来たな。Goodboy(良い子)」  佐久良が由利の口から抜き取った指を見せ付けるように一舐めすると、由利の目が激しく泳いだ。 「あ、えっと……」 「目を逸らすなって命令? もう良えよ。  由利にはちょっと酷な命令やったかな、案外恥ずかしがりやもんな」 「ん……」 喉を労わるように、或いは猫を可愛がるように頤を擦られ、由利の意識が快楽に眩む。  佐久良はやっと、由利の懐に入ったままだった鞭を手にした。  更に自身の腰から外した帯締めを、由利の口に噛ませてから命令する。 「俺の方に尻を向けて、Crawl(這え)」  命令通りに由利が畳に這うと、佐久良は轡から伸びる手綱を御すかのように後ろから帯締めを引っ張り、足で乱暴に由利の着物の裾を蹴り上げる。  昼間の薄暗がりに晒された下肢は、何も身に着けていなかった。  わざわざ他人の家を覗き込もうなんて馬鹿が居るとも思えないが、通りに面する目の粗い格子が付いただけの大窓は、顔を近付ければ中の間に鞭を持って掛ける佐久良と、その足元に這い蹲る由利が見えてしまう。  明らかに辱めを受けている最中といった乱れた姿を今にも誰かが覗き込むのではないかという緊張感は感覚を鋭敏にさせる。  鞭を臀部に這わされただけで由利の全身は酷く震えた。  唾液を吸い込んだ帯締めが腔内で重みを増し、それもまた由利を屈服させる材料になる。  佐久良がドロップを治す為に由利と一時的な番になっているという話は、既にネオ南都に広まっただろう。  仮に誰かがこの光景を見たとしても、嫌悪したり面白がったりする者はあっても、羨む者は居ないのだと思うと虚しくなる。  待ち望んだ瞬間が訪れ、肌に鋭い痛みが走った。  番になったせいか、かつてなく深い心地良さに由利は堪らず幾度か嬌声を漏らす。  叩いてほしいと迫られ、こんな声まで聞かされた佐久良の方も、今にも狂いそうだった。  花開いたかのように由利が淫らさを増したのは、本能のせいなのか、佐久良からの想いが伝わったせいなのか――僅かにでも後者の可能性があるのではないかと期待してしまう。  ロトスの住人のように集合精神に接続されていたならばこんなにも悩まずに済むのに、などと馬鹿馬鹿しい考えまで過る。 戦いが終わっても、番としてこのままずっと――その一言を、お互い必死に抑え込んだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  江戸川乱歩「陰獣」をオマージュしております。

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