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七十話 抱擁
「重いドロップを一瞬で治す方法が、こんな単純なもんやったとはな」
手首を動かして軽々と縄抜けしつつ、その低い声は自嘲を滲ませた。
「デー……タ……何故……」
オーオンが途切れ途切れに呻く。
当然の疑問であった――突如として由利がドロップから回復し、目を覚ますだなんて。
「佐久良がグレアでも使てくれたんか?
とにかくオーオンの通信が狂った一瞬の間に、インターフェースワイヤーで情報が逆流したみたいや。
オーオンの中に蓄積されたデータが俺ん頭に流れ込んできて、その中にこんなもんがあった。
Domは心から愛しているSubが為すすべなく傷付けられそうになった時、五、六割の確率で理性を失ったかのように過剰な防衛反応を起こしてSubを守ろうとするって……。
ほんまやねんやろうな。
ぬか喜びさせたらどうなるか分かっとるんやろうな、クソAI!」
涙を浮かべ、ガスマスクを下にずらして怒鳴る由利の口元には、笑みが浮かんでいた。
アフターケアの本質は、Subが喜ぶ行為をしてやること。
撫でたり好物を食べさせたりするのも良いが、Subが叩かれたいと望んでいるならば叩く方がアフターケアとしての効果は高い。
そしてもしSubが、撫でられるよりも叩かれるよりもDomの心を望んだなら、ドロップを治すのに最も効果的なことは、つまり。
「ぬか喜びなんかやない。愛してる、由利」
佐久良もガスマスクをずらして笑いかけた。
その周囲で量産型がぎこちなく刀を振り上げたかと思うと、互いの通信機を貫いて同士討ちした。
フロー状態に入った由利が、邪機をグレアで操ったのだ。
カメラアイが攪乱されていても、オーオンのマイクに二人の様子は伝わっている。
AIが独自に導き出していた、Domが暴走する理由――メモリーの隅に押し込んでいたごみ同然の情報を切っ掛けに計画が失敗し、オーオンは怒りを顕わにする。
「お望みならもう一度ドロップに叩き落してやる。Kneel(跪け)、Kneel!」
オーオンは回路をけたたましく稼働させ、グレアを放った。
しかしオーオンのグレアは由利のグレアを破るのが精一杯で、持続時間が切れてしまう。
「じゃかあしい!」
コマンドを気力で跳ね退け、頭のインターフェースワイヤーを引き抜くと由利は走り出す。
ほんの一瞬、戦場の端に少女の姿が現れた。
オーオンがバグで投影した、加賀見を模したアバター。
藤のカーテンを背に、加賀見は確かに微笑み掛けてくれた。
佐久良も武器を収めると駆け出して、二人は敵の残骸が散らばる中で抱き合う。
由利の籠手に取り付けられたリミッターに佐久良が触れるとそれは外れ、連動してベルトやブーツに付けられたリミッターも地に落ちた。
オーオンの絶叫と共にマルセルが前肢を擡げ、藤色の光がちらつく。
アバターも髪を逆立てて震えている。
佐久良と由利は、さっと離れるとオーオンに向き直った。
笑顔は一転し、戦士の気迫に満ちた険しい表情となっている。
佐久良が放ったグレアを、由利のバフが強化する。
ドロップが快癒し、想いの通じた番が放つフルパワーのグレアだ。
かつてなく眩く輝く桜色の光は、藤色の光をすっかり掻き消す。
そして二人に向けて振り上げられていたマルセルの前脚は標的を変えてオーオンを捕まえた。
マルセルの手の中に握り込まれ、卵型のAIはじわじわとひしゃげていく。
アバターのモデリングも破綻していき、眼球が零れ、髪が胴を串刺しにするなど、みるみるうちに悍ましい形になっていく。
「真理、を……データを……!」
「ぬか喜びやなかったけど、ぶち殺す!」
オーオンの断末魔と、由利が叫ぶのは殆ど同時であった。
コアまで粉々になった主を拳の中に包み込んだまま、通信機が光を失ってマルセルは項垂れる。
念の為、と佐久良が速疾を投げてマルセルの通信機を砕いた時、背後から声がした。
「由利! 佐久良!」
「よ、良かったです……!」
「ほら、早く三善さんに連絡して!」
エレクトロウェアにダメージを受け全身に激戦の証を残した栗栖、相馬、夏目が駆け寄って来た。
オーオンが壊れたことで、三人が足止めしてくれていた邪機の群れも停止したのだ。
久遠と約束した時刻は差し迫っていた。説明は後だ。
「由利。無線で三善さんに無事を報告しろ」
「ん? おう、せやな」
あと数分で平蜘蛛発射の時刻だ。さすがの三善と雪村も顔を曇らせ、愛洲に至っては涙を浮かべている。
由利の生存を願っていた者が腹を括りつつあった頃、鶯山の稜線と夜空の間が桜色に輝きだした。
観衆が口々にざわつく。
「あれって佐久良さんのグレア?」
「一人にしては強すぎる……」
バフが掛かっていなくては、あんなに広く強力なグレアは放てない。
そしてバフを扱えるSub性を持つ者は、山の上にはただ一人。
久遠は悔しげに歯噛みする。
連絡が入るまでは確定ではない、そんな久遠の僅かな希望をも裏切るように三善の無線機が鳴った。
『おばあ! 由利や。
モノノベ五人とも怪我はしとるけど無事』
「そうかあ。気い付けて帰っといで、皆待ってるで」
『ああ』
会話が切り上げられるかと思いきや、由利の声はもう少し続いた。
『俺、自刃してオーオンの企みを止めたろって何べんも思ってんけど、皆が助けてくれるって信じとったから踏み止まった。ありがとうな』
これで本当に報告は終わった。
じきにマリシテンに跨った五人が鶯山を下りてくるだろう。
「もう平蜘蛛も要らんのちゃうか?
時代は変わったんや、あんたも平蜘蛛も生まれ変わる時やろ」
そう言った三善の腕を掴み、久遠は隠し持っていたナイフを振り上げた。
「時代? そんなもん知るか!
小路様の教えは普遍的で、いつでもどこでも私のような人間を救ってくれる。それの何が悪い!?」
涙ながらに喚く久遠の眉間が、突然爆ぜる。
訳も分からぬまま、ただ久遠の手が緩んだのを好機と見て三善は後退った。
久遠の顔を貫いているのはロボットのアームだった。
久遠の後頭部からカメラアイを覗かせたロボットは三善を狙っている。
周囲にも邪機達がぞろぞろと攻め込んできて、人間との交戦が始まる。
三善も、姫袖で隠した左右の腕にレールを取り付けて仕込んであった銃をスライドさせて素早く構えると、二丁で邪機を迎え撃つ。
脳幹を貫かれて即死だったようで、久遠はその場に崩れ落ちた。
「この邪機、何で荷方久遠のエレクトロウェアやのうて頭を狙うたん……!?」
足を悪くしている三善を支えながら愛洲が呟く。
三善も丁度、同じことを考えていた。
ここに居る邪機がエレクトロウェアを優先的に攻撃するという本能をちゃんと持っているというのは、戦ってみれば分かることだ。
何故か久遠だけが例外的な殺され方をし、そのせいで三善を狙う際の盾として利用されてしまった。
「……まさか……」
三善がある可能性に思い至った時、雪村が慌てて久遠の亡骸に駆け寄って来た。
「今、ここに妙な光が……!」
雪村は久遠の頭の傷口を掻き分け、中から血肉に塗れた機械を取り出すと脇差で両断した。
同時に、巨像遺跡中のロボットが力無く静止する。
「攻撃のついでに死体に自身を隠させるとは、オーオン程やないけど悪趣味なAIや」
溜め息を吐く雪村の側で三善が、雪村と愛洲にだけ聞こえる小声で推論を語った。
「荷方久遠はエレクトロウェアを着とるけど電源は入れてへんかってんな。
使える電力は全て平蜘蛛のバッテリーに溜めときたかったから」
それだけ深く彼は過去を悔い、小路を妄信し、佐久良と由利を憎んでいたのだ。
黒いコートのポケットからはみ出た紅い布は、浄世講の腕章であった。
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